みのハイキングクラブ

友と山に登り、自然に親しみ、心身を健やかに、親睦を深めます。

西方ヶ岳 ― 蠑螺ヶ岳

2018-05-29 | クラブ山行

クラブ報告 

 2018年5月27日(日)     天候 晴れ     参加者 44名          

    

 CL 足立さん

 5月末ともなると5時はすでに明るい。海の風景が見える山行はめずらしく、そのせいか多くの参加者が集まった。定刻少し前、CLの挨拶があり、経路の簡単な説明、新入会者と体験参加者の紹介等があった後、バス1台と乗用車4台に分乗して出発した。
 関ICから東海北陸道、名神、北陸道に入る、賎ガ岳SAでトイレ休憩、こどもの国公園で靴の履き替えを行い、常宮神社付近にはほぼ予定時刻に到着した。
 駐車場でストレッチして登山開始、民家、寺の緩やかな坂を通り入山、階段などあって勾配のきついところもあるが、花崗岩系の登山道は、よく整備されておりあまり苦痛を感じさせない。この辺りでは淡黄色の雁皮や、朱橙色のレンゲツツジが目立つ。
 オーム岩の上に立つと、敦賀湾や越前海岸、若狭の山々が一望でき素晴らしい。順光であればエメラルド色に映える海が見えたはずである。オーム岩を過ぎるとブナ林になり白い幹と新緑の緑が美しい。
 10時過ぎ、西方ケ岳山頂に到達、三角点は避難小屋の北50m程を下り、左に上がった小高いところにあった。避難小屋前で集合写真の後、直ぐに蠑螺ケ岳に向けて出発。稜線にかかるとブナの白い幹と新緑の緑が美しい。ところどころにヤマボウシの白も目立ち、ササユリの清そな花も見られた。
 標高差は少ないもののアップダウンを繰り返し正午少し前に蠑螺ケ岳に到達した。山頂には大きな岩が幾つかあり、スペースは狭い。岩の上や法面など、大勢で立ち位置を調整しながら集合写真の撮影が終わると昼食となった。
 1230分下山を開始。下り一辺倒に考えていたが、意外や、アップダウンを繰り返し、標高はなかなか下がらない。どなたかが「ドウダントンネル」と呼ばれたが、登山道の左右に、ベニドウダンやサラサドウダンが多く見られ、赤く垂れ下がった鐘形の花は見事であった。
 この敦賀半島は、季候のせいか植生は意外に豊かに感じた。貴重な植物に出くわすと周囲の方がその都度名前を教えて下さったが、残念ながら記憶の限界を超えたので記述しないことにした。
 1330分長命水分岐に差し掛かる。湧き水の名前にあやかりペットボトルに汲む人も多かった。以後は淡々と下り、やがて県道に到達してこの日の山行を終えた。
 予定コースに入っていた日本さかな街の立ち寄りは、車毎の判断に任せることになり、ここで、CLさんの挨拶があり解散することになった。私達の車はお土産に干物など買い求めた後、R8R303など経由して1830分頃関市役所に帰着した。
 久々に参加したクラブ山行でした。大勢の参加者にもかかわらず順調に進行し、良い山行であったと思います。CL/SLさんをはじめ、車を提供して頂き長距離運転をされた皆様、また各々担当された役割を果たされた皆様に感謝します。

                                    (記録担当 前島さんの報告より

  コースタイム

関市5:00===関IC===賎ケ岳SA===敦賀IC===こどもの国公園6:40~7:00===常宮神社登山口7:07~7:24
・・・大岩展望台7:59・・・原電敦賀送電鉄塔21番8:11・・・同20番8:22・・・銀命水8:54・・・オーム岩9:25
・・・
西方ケ岳山頂10:20~10:33・・・分岐11:03・・・蠑螺ケ岳山頂(昼食)11:55~12:30・・・大岩12:50
・・・長命水13:31・・・浦底下山口14:55===日本海さかな街(車毎任意立ち寄り)===関市18:30頃

 

 

 

登山道脇の花

                                                            (写真提供 須田Kさん)

 

     
                            (地図提供 須田Kさん)

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創造の森岩稜歩き訓練

2018-05-21 | クラブ山行

クラブ報告

2018年5月20日(日)     天候 晴れ     参加者 31名      

                   

 CL 圓戸さん
 今回の岩登り講習会の主な目的は、9月8日~9日に予定している劔岳登山のための岩稜歩き講習であり、劔岳の予定者は必ず受講する。

講習内容
1、登山中に危険な場所を通過する知恵(簡易ハーネス・トラバース通過方法など) 
 1)今回は腰回し簡易ハーネスの取り付け方 (お腹と簡易ハーネスの間にこぶしが入る程度
  の隙間を作る。お尻から抜けない)
 2)ブルージックの巻きつけ方の練習  移動方法の訓練(ブルージックを握らない)
 3)トラバース通過訓練 平地にロープを張り、簡易ハーネスにカナビラ2個(ゲート方向は
  逆に)掛けて、ロープスリングをブルージックでセットしての訓練。
2、岩場の登り方(夏場の山行の高い山は岩場が多い)
 1)持ち物は全てザックに収納
 2)3点支持 両手・両足の4点のうち3点は確保する。
 3)岩に対して靴は直角に爪先を着ける。(靴の側面では滑りやすい)
 4)小さいピッチで登る。(膝程度の高さ)  狭い巾で登る(肩幅程度)
    岩に体を付け過ぎない。(膝が岩にあたる、足元が見えなくなる)
 5)ロープにブルージックをセットして安全を確保しながら岩場を登る訓練
  ・今回は支点に2個のカナビラをセットして訓練
  1個づつカナビラを外してブルージックを通しカナビラを掛け直す。2個とも同時にカナ
  ビラを外さない。
  ・支点が木や岩に固定されている場合
  簡易ハーネスに2個のカナビラを掛けて1個のカナビラを外して固定した支点の進行側に掛
  け直す。2個とも同時に外さない。ブルージックは取り外し支点の進行側にセットする。
 6)トップロープで安全を確保して、岩場を3点支持で登攀訓練、クライミング下降訓練、
  そして途中の岩場に立ち上がってロープにテンションをかける訓練。

 感想・雑記 
 
4月15日(日)に予定していたが、雨天のため今回の5月20日(日)に延期となった。創造の森には、岩登り講習会に来たことがあるが、雨天のため登山口の東屋でロープワークの講習だけであった。今回は急斜面を登り岩場での講習会となった。
 講習会の冒頭で、今回の講習の目的の劔岳は厳しい山であり、体力・実力・十分な装備が必要であり、誰もかれも行けるものではない。行きたい人が多いと言って大人数で行く山ではない。また、今日の1日の練習でいけると言うものではない、などの厳しい意見が出された。理にかなっており、希望者全員で登頂したいが、怪我・事故・体調を崩した場合、当人の苦しみは元よりみんなに迷惑をかけることになる。ある程度の基準が必要かも。
 その基準は、厳しさの基準というより、やさしさの基準というものにしたいものです。
 また、今回の講習会で感じたことは、何度も身につくまで復習すると言うことです。
今日1日講習会で習ったことは、しばらく使わないと忘れてしまします。家でもカナビラ・テープスリング・ロープスリング・端切れロープがあれば、エイト結び・マスト結び・半マスト結び・簡易ハーネスの作り方、ブルージック・マッシャーの結び方、支点の作り方などの練習が出来ます。ボケ防止のための良い頭の体操にもなりますよ。

                                                                                                     (記録担当 古谷さんの報告より)

 コースタイム
関市7:30===創造の森P800・・・・講習会終了1530===関市1600


                                         (写真提供 古谷さん)          

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第5回おれんじの会 犬山城下街歴史散策

2018-05-17 | 散策

おれんじの会 報告 

2018年5月16日(水)   天候 晴れ    参加者 19名

     

 5回目となります歴史散策を、犬山城と城下町文化を企画しました。お城と言うととかく戦略、戦場のイメージが強いですが、お城と城下町が融合しながら発展してきた、全国的にも珍しい城下町地域なのです。
 犬山城は信長の叔父、信康が1537年に築城されましたが、歴史的にクローズ・アップされたのは、豊臣秀吉と徳川家康との戦い「小牧、長久手の戦い」が有名です。後は成瀬正成が城主となり、その後政治的に表舞台に出ることなく、その子孫達が、代々経済的に豊かな商業地区として努力され、町民文化にも力を入れられ、歴史的な町文化遺産を遺されました。代表的なユネスコ無形文化遺産の犬山祭り。1635年から伝わる針綱神社の祭礼、車山13輌、からくり人形。夜車山には365個の提灯がともされる(国の重要無形民俗文化財)祭りは見応えがあります。
 信長の実弟有楽斎が遺したお茶文化、日本庭園有楽苑(国宝茶室如庵)は、お茶様式の基本の形が萱家造り茶室に色濃く残っております。また犬山城の特に有名なのは、日本最古の天守閣が国宝に指定されていることです。
 江戸時代の風情が残る犬山城下町。町家旧磯辺家の住宅や城下町を散策すると、価値ある江戸時代文化財が遺っております。経済的にかなり豊かな町であったと思われます。
 経済的に豊かであれば、市民生活は向上し豊かな町民文化が生まれ、祭り文化も盛んになり、生活者に潤いのある町文化が、犬山城下町であると感じた歴史散策でありました。 

 雑記       歴史散策とおれんじの会の魅力 
 歴史散策の魅力は、その時代の情景を見聞きながら当時を歴史的に空想することが出来る事です。自分が主人公になりきって、想像しロマンを自分に重ね合わせて、当事者になりきれるところに、たまらない想像の魅力があるのです。

 本当の当時の現実は誰も知らないのです。皆、歴史資料の積み重ねで想像し、ストリーを作り、恰も当時を現実の如き作り(創作)しているのですから、自分流の歴史感で創作しても丸きり間違えとは言えないところに魅力を感じるのです。
 歴史を創作する人の読み方で組み立てが変わり、悪人が善人に代わることも起こり得ることがあるのですから・・・。
 歴史散策は、その時代のロマンを創作し楽しむ、堪らない魅力があるのです。
 頭の体操にもなります。「体力的な山行と頭の体操的な歴史散策」を共に楽しもうではありませんか。「おれんじの会」はロマンを楽しむ頭の体操の会なのです。
 おれんじの会は年齢に関係なく、何方でも参加できる会ですので、皆さんの参加をお待ちいたしております。

 第6回は「馬籠宿・・・妻籠宿の馬籠峠越え」の企画です。
 *7月25日(水)です。詳しくは後程広報いたします。

                   (記録担当 堀越さんの報告より)     

  散策コース

9:10犬山城・・・城とまちミュージアム・・・どんでん館・・・町家旧磯辺家・・・如庵(14:30解散)

 

 
                     (写真提供 古谷さん)

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霧訪山ー大芝山

2018-05-09 | クラブ山行

クラブ報告

2018年5月6日(日)   天候 晴れ     参加者 39名
   

CL 長谷川さん
 「霧が訪れる山…きりとうさん」響きの良い名、叙情を感じさせる名の山、さらに大展望が得られる人気の山である。霧訪山は太平洋に流れ込む天竜水系と、日本海に流れる信濃川水系の分水嶺にあり、気候の変化も著しく、山名の如く霧がよく発生し、雨乞いの山として崇められてきた。オキナグサが咲く山頂は戦国時代武田信玄がのろし台として利用したとも紹介されている。今回は花で名高い北側の大芝山からの縦走コースを設定してもらえたので期待を抱いて参加した。

 定刻前に関をスタートし恵那峡SAで可児発の1台と合流し8台で小黒川PAへ向かう。恵那山トンネルを抜け伊那谷へ入ると東に南アルプス連山のシルエット、西は間近に中央アルプスの白い山々が望め好天が期待された。小黒川PAで休憩後に伊北ICから北上した国道153は旧伊那街道・三州街道で小野宿の雰囲気を残し、辰野町・塩尻市境界付近の国道を跨ぐ信濃国二之宮小野神社・矢彦神社の大鳥居を潜って進むと伝説から名付けられた善知鳥峠(うとうとうげ)に着く。分水嶺公園から200m程北に登山者用駐車場が設けられていて下車し登山準備。準備中に各車両は北小野登山口Pに移動し、運転者一同がデポ車で峠駐車場へ戻ったら各自ストレッチを終えておられた。リーダー指示は何故か小生の属するD班を先頭にA~Cの4班編制、脱落懸念ある小生への配慮かも?。スタートしてすぐの路傍にニリンソウの群落やヤマブキが迎えてくれ幸先良し。分水嶺登山道と名付けられた道は地形図の破線路とは違った位置だったが尾根取付から暫く急坂続きで息が弾んだ。10分余登った鉄塔から大芝山方向が望めヤマツツジの咲く赤松の多い尾根の高度を上げて行く。標高950m付近から緩やかな巻道となり1020m標高で主尾根に乗った。付近はカラマツの新緑が眩しいほど美しかった。イカリソウ・ヒトリシズカなどに迎えられて進み3ツ目の鉄塔に着いたら甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳が望めた。1200m標高に着くと「大芝山の肩」標識が有り、洞の峰展望台への名前に魅せられ一部の者のみ進んでみたが距離が有りそうで鉄塔手前でUターン、10分程のロスタイムとなった。平坦な稜線は芽吹きの明るい雑木林が続き名残のカタクリも見られた。特徴の無い平坦地の太い木の横に「大芝山」の標識が立てられて山頂と判るが標識が無ければ通過してしまう。WEBで紹介されていた通り、ここからは林床にニリンソウ大群落、カタクリやラショウモンカズラなども見られ10分程は光と新緑と花のプロムナード。大芝山から下る途中で団体さんと擦れ違う。聞けば北麓の山ノ神自然園を起点として周回中の美濃加茂山岳会さんご一行30名程とか。遠隔地で岐阜の人達と出会うとは奇遇であった。鞍部から僅かに登った鉄塔脇1080mピークが「たきあらしの峰」標識で通り過ぎた大芝山や北アの常念岳等が望めた。平坦地西端で小憩、「もぐもぐタイム」と言う流行の時間となりエネルギーを補給。ここから道はほぼ90度南西方向に向かう。1196m標高点へ着くと「北小野新登山道」分岐標識があり霧訪山30分と記されていて「ようやく着くか」と期待が高まった。1220m標高まで進んだ南側植林、北側雑木の稜線に「ブナの分れ」標識。周囲を見回したがブナの木は見られず不思議。北へ下れば山ノ神自然園に達し霧訪山は20分の地点であった。すぐ先に男坂・女坂分岐標識が有りGLさんよりどちらのルートでも良いとの許しをもらい花が多いとされる女坂を進んだ。男坂は植林境界尾根の直登で、女坂は明るい雑木林の中をジグザグに登っていて最盛期ならカタクリが美しいらしい。振り返ったらこの坂を辿ったのは6名のみ、元気な仲間達殆どが急坂も苦にならない様で男坂を登られた。1260m標高で両坂は合流、北に穂高連峰が望めて感激した。ここからは緩やかな明るい雑木林となり山頂直前は立木が伐採され山頂台地に先着した仲間達が見えた。

 やっと辿り着いた山頂中央に2等三角点が鎮座していた。点の記によれば点名は「きりとひやま」明治35年埋標で保護石も有ることになっているが見当たらない。柱石が新しいのは昭和61年(1986年)に交換されたとあった。仲間達は360度の展望や山頂に祀られた会地社(おうちしゃ)周辺に保護された絶滅危惧種のオキナグサ撮影に余念が無い。リーダーから「先に記念写真を撮るよ」との声が有り撮影を終える。終了後13時まで休憩との指示で各自お気に入り場所に陣取って賑やかなランチタイムが始まった。小生は北アを眺めるベンチに腰を下ろし3度目の登頂にして初めて見せてくれた大パノラマに感動しながら摂った。先客の登山者達はいつの間にか消えておられ人気の山なのに我がクラブの貸切状態となっていた。食後はデポ車回収の先発隊3名を見送り予定時間まで改めて山岳展望を楽しんだ。御嶽山は頭部のみを見せていて鉢盛山の三角形が目立つ。穂高連峰から槍ヶ岳・大滝山・常念岳・燕岳辺りまではクッキリ見えたが以北の山々はボンヤリで残念。来し方大芝山の彼方は鉢伏山・美ヶ原。霧ヶ峰の東は蓼科山から連なる八ヶ岳の山々。入笠山・守屋山を前景に南アは甲斐駒ヶ岳・北岳・仙丈ヶ岳・塩見岳、赤石岳辺りからはボンヤリとなりこちらも残念。中アは経ヶ岳の大きな山塊に遮られていた。

 定刻となりA班からかっとりコースを下山開始、わがD班は最後の下山となり誰もいないスッキリとした山頂が撮れてラッキー。道はミツバツツジが咲くいきなりの急坂で始まった。少し下った北の展望地から大芝山や鉢伏山を目に焼き付け、茸山入山禁止看板の目立つヤセ尾根左右のロープに助けられ、爽やかな松籟を聞きながら下る。トタン葺きの避難小屋前にも少し展望が有った。その下で北小野新登山道が合流し下って行くと鉄塔の平坦地となり「かっとり城跡」の標識が立っていた。戦国期の山城らしいが検索しても詳細不明であった。そこから10分程で御嶽大権現碑に着く。1811年に御嶽講の信者が建立と案内されていたが、御嶽山は見えず遙拝もできない場所に有るのが不思議であった。最後は257段のプラ階段を下りやっと横断幕の登山口に帰着。駐車地へ着いたら先発されたデポ車回収隊は既に戻っておられ韋駄天下山に驚いた。リーダー達が心遣いされたコーヒーで疲れを癒し、リーダー挨拶や新会員さん達の感想をお聞きし現地解散となった。

 企画して頂いた山行部、当日の諸役の皆さんに感謝。小生には天候と展望と花々と仲間達に恵まれた幸せな一日であった。下山時刻が早かったので各車渋滞も無く無事帰着できたと後日聞いた。

  感動の花々の名は毎度の事ながら花咲人さんにご教示願った。

クサボケ、ニリンソウ、イカリソウ、ムサシアブミ、ノイバラ、ラショウモンカズラ、カタクリ、エンレイソウ、シロバナエンレイソウ、キジムシロ(黄色)、ルイヨウボタン、ミヤマスミレ、ミツバツツジ、オキナグサ、チゴユリ、ヤブレガサ、マイズルソウ、クサフジ、ヒメオドリコソウ

 ※オキナグサ 山頂の保護区域に咲いていた
絶滅危惧II類 (VU) 白く長い綿毛がある果実の集まった姿を老人の頭にたとえ、翁草(オキナグサ)という。 ネコグサという異称もある。毒性植物なのに花言葉は華麗・清純な心とある。

 ※会地社(おうちしゃ) 山頂の祠 
由緒書には「小野神社の境外社の一つで小野の一番高い霧訪山(1305米)頂上にまつられている。祭神は伊装諾命(いざなぎのみこと)と・伊装冊命(いざなみのみこと)であり神代の昔我が国土・山川草木はじめ、万水・万物の主宰天照大神をはじめ神々を生み成なされた夫婦の神である。古代山岳信仰の地で、健御名方命が跋渉された旧地といわれている。地元では古くから雨乞いの神としても信じられてきた。」

 ※小野宿や、山麓の矢彦・小野神社の由来、憑の里(たのめのさと)と言われる辰野町・塩尻市両小野地区の歴史、善知鳥峠(うとうとうげ)の民話など登った山以外に興味深い事が数多く有るも、山行記録として馴染まないので割愛したが関心の有る方はぜひ検索してみて欲しい。 
                                                                    (記録担当 水野Oさんの報告より)


                                                                    (写真提供 須田Kさん)

 

 登山道脇の

                        (写真提供 須田Kさん)


     
                                                                                                        
(地図提供 須田Kさん)

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桑崎山

2018-05-01 | クラブ山行

クラブ報告

2018年4月29日(日)     天候 晴れ     参加者 22名

     


CL 泉谷さん 
 
早朝5時の集合、少し肌寒さがありましたが、関市役所に22名全員が集合して4時55分に出発しました。
東海北陸自動車道美濃ICより飛騨清見ICまで、ここで高速を降りて飛騨卯の花街道を通り、道の駅 宙ドーム神岡に6時50分着、最後のトイレ休憩をしました。
桑崎山登山口(山吹峠付近)に7時25分到着、Sさんの号令で準備体操を行い7時45分に出発開始、最初のうちは平坦な登りが続いておりました。
登山コースを進むにつけ次第に笹が多く生えてきましたので目印(赤布)を着けて登りましたが、標高約1500m付近になると背丈を超える2mぐらいの笹竹が多く生えていて激藪状態です。3名が左側尾根方面の笹の状態を偵察に行きましたが変わり映えはなく、これ以上進むことが困難と判断してリダ-に連絡しました。皆さんの意見を集約して、これ以上進む事が出来ないとCL、SLが判断され、10時30分に登山撤退を決断されました。
朝が早かったので下山途中の開けた場所で昼食タイム、全員で12時25分に山吹峠付近下山口に到着しました。尚、これまでに何度も中止となった桑崎山、雪の状態で登山の可、不可が決まります。初めて参加挑戦した私でも大変な山だと思いました。何時かこの難敵と対峙しリベンジしたいと思います。
帰路、夕顔の駅、道の駅「いぶし」で休憩をしてから、一路猪臥山を目指すことになりました。転進と言う程大げさな登山では有りませんが、皆さんの欲求不満解消の為、猪臥山を目指すことに意見が纏まりました。小鳥峠から猪臥山林道を車で一気に駆け上がります。
林道の終点は広く、トイレも有り、車は10台以上停められそうです。駐車場には車2台の先客が有りました。車を降りるや否や、北方に臨む北アルプスに釘付け、シャッターを切る音があちこちで聞こえます。そこから10分程の登山道で、猪臥頂上へ。ここは360度の大パノラマ、方位盤をみての山座同定、白い雪を冠した御嶽、乗鞍、北ア連峰、白山、・・・連なる山々に大満足の展望でした。
車で下山途中、広大な斜面にカタクリの群生を発見、自然そのままなので鳩吹よりも凄いと、皆、車から跳び下りてあちらこちらでシャッターをきる音が。おまけの景品の方が遥かに素敵だった山行でした。CL、SLに感謝です。
                   
(記録担当 安田Mさんの報告より)

 

  

                       (写真提供 山田Mさん)

 

       
                       (地図提供 山田Yさん)  

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