みのハイキングクラブ

友と山に登り、自然に親しみ、心身を健やかに、親睦を深めます。

夜叉ヶ池・夜叉ヶ池    2019.10.20(日)

2019-10-27 | クラブ山行

クラブ山行

2019年10月20日(日)   天候 曇り時々晴れ   参加者 29名  (黒壁8名を含めると合計37名)

CL 松尾Cさん

 登山口までの林道は狭くて荒れたでこぼこ道に加えあちこちに落石がありました。登山口は一緒なのでA班の黒壁行をみんなで見送りB班は3つに分かれて出発です。
 前日の大雨の影響なのか沢の水量が多く飛び石が水面に出ていないので水の中を渡ります。やっと幽玄の滝に着いて小休憩、もぐもぐタイムでエネルギーを補給します。
 途中に見える右側の滝は、以前来た時は糸のようだったのに今日は水量が多くて迫力がありました!夜叉壁に着くと岩の上を水が流れて滑りそう、ロープを頼りに何とか登るも、ここを下るのかと今から心配になります。夜叉ヶ池に到着すると夜叉丸に行く人と池に降りる人に分かれるそう、私は夜叉ヶ池のハートの写真を撮りたくて登ることにしたもののガスって良い写真は撮れませんでした。
 先行した1、2班はまだ先の夜叉ケ池山まで笹やぶを進んだようです(さすが健脚組!)が私たちはここまでで戻ります。池に降りようとしたら昼食を終えた仲間が上がってきて一足先にゆっくり下るとの事、池の木道が滑りやすく何人か転んだと聞きビビった私はここで昼食をとり休憩、その後に池から戻って来た仲間と一緒に行動しました。紅葉には少し早かったけど黄色い秋の景色に浸れました。
 今回は途中で班編成が変わったりアクシデントがあったりしたけれど、臨機応変にテキパキと対応する仲間たちを見て改めてみのハイの凄さを実感しました。車中で過去の体験談やエピソードを聞いたりして里山歩き専門の私にはハードルが高いとも感じましたが、どうかこれからもよろしくお願いします。
                          (夜叉ヶ池 記録担当 櫻井さんより) 

コースタイム 
関 5:00==道の駅(織部の里)5:50==道の駅坂内6:40~6:45==池ノ又登山口7:30~7:50・・・幽玄の滝9:13~9:20・・・夜叉ヶ池10:00・・・夜叉ヶ丸10:25~10:30・・・夜叉ヶ池10:50~11:40・・・池ノ又登山口13:20~14:10==道の駅坂内==関 16:40

 

 
                                (夜叉ヶ池 写真提供 高岡さん)

 

 

 

                              (地図提供 前田さん、高岡さん、古谷さん)

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黒壁(高丸)        2019.10.20(日)

2019-10-27 | クラブ山行

クラブ報告

2019年10月20日(日)   天候 曇り時々晴れ   参加者 8名 (夜叉ヶ池・夜叉ヶ池山の29名含めると合計37名)

CL 泉谷さん 

 黒壁は、奥美濃地域では伊吹山、能後白山に次ぐ第3の高峰である。岐阜百山でもある。我がみのハイクも2010年6月に黒壁に行っている。
 今回は夜叉ヶ池と黒壁、2コースに分かれて登る。昨夜遅くまで降った雨が心配だったが・・早朝には止んでくれた。よかった!
 定刻に関を出発、道の駅(織部の里)で6名と合流して、一同池ノ又林道登山口へと急ぐ、途中 数匹のサルが顔をのぞかせてくれた。
 登山口に着き、各自準備してストッレチをおこない、黒壁コース8名で登山開始。数年前と同じ登山口すぐ横のベンチから、リーダーを先頭に前の人にしっかりついて、いざ藪の中に突入、いきなりの急登、木やら笹につかまりながら・・現在地を地図,GPSで確認しながら・・赤布を細かく付けながら・・尾根(900m)に取りついた所で休憩、辺りを見ると、ブナ林はまだ紅葉していなかった。青葉のイワウチワが一面にあった。急登、激藪に格闘しながら 午前11時にやっと山頂に到着、思わずみんなでバンザイと叫び、三角点にタッチしました。
 数年とくらべて山頂が狭くなっていて、展望もなく、周りの木々が伸びていた。早目のランチと記念写真を済ませ、11:35分に下山開始、上部ではブナの木も黄葉、ウルシは紅葉していた。赤布を取りながら、急坂を下る。笹がよくすべる!すべる!こける!こける!休憩をとりながら、時々吹く風に『涼しいー気持ち良いー』と言いながら、木、笹につかまりながら慎重に下る。緊張の連続の時下の方から声が聞こえた時ホーとした。
 13:30分に8名無事下山できた。今回みんなで助け合い、赤布を細かく付けて行ったから早く無事に下山できた。藪山の下見山行は大変だったなあと痛感し、お骨折りくださった方に感謝致します。
                                (黒壁 記録担当 森川さんの報告より)

コースタイム
関 5:00==道の駅(織部の里)5:50==道の駅坂内==池ノ又林道登山口 7:30~7:45・・・黒壁(高丸)山頂 11:00~11:35・・・池ノ又林道登山道 13:30~14:10==道の駅坂内==関16:40

 

 
                            (黒壁 写真提供 前田さん )

 

 

                           (黒壁 GPS軌跡提供 前田さん)                  

 

 

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第12回おれんじの会明智荘と金山城

2019-10-19 | 散策

おれんじの会報告

2019年10月16日(水)   天候 晴れ   参加者20名

 

CL・運営担当 古谷さん

 おれんじの会は早くも12回目を迎え、来年の大河ドラマ「麒麟が来る」の主人公明智光秀ゆかりの地を巡るのも3回目となった。シリーズを企画された古谷さんは各種資料入手やお手配、現地下見を何度も重ねられたそうで感謝と敬意を始めに表しておきたい。
 原則バス利用とされる会行事であったが、今回は近場と言う事でマイカーに分乗し、明智城大手門駐車場で現地参加組と合流した。リーダーの挨拶を頂いてから金木犀の薫る道を通り、明智氏ゆかりの地を古谷さんの名解説を聞きながら巡った。明智光秀公縁寺と石柱に刻まれた天龍寺は1625年の創建で光秀の没年1582年以後である。伝明智氏歴代の墓所が有るが。江戸期以前1390年頃の宝篋印塔や3基の五輪塔が有るが銘が無いので明智氏の物と断定できないとか。本堂では光秀公の日本一とされる位牌と木像が拝観出来た。高さは命日6月13日に因んだ6尺1寸3分(約184㎝)で「長存殿明窓玄智禅門」の戒名が彫られている。50年程前に地元有志から没後400年も経ったのにと顕彰を思い立ち毎年6月に法要が営まれている。
 桔梗の花が植えられた桔梗坂を登り詰めると明智城(長山城)本丸跡。展望台の補修工事中でトラックや作業員で城跡の雰囲気も味わえなかった。本丸跡北側の展望台から眺められる一帯が平安期から明智荘とされて来た明智氏ゆかりの地であるが10月末まで立ち入れず残念。地元ボランテイァが一帯の展望写真を掲示しておられた。1342年に土岐頼兼により築城され1556年に斎藤義龍に攻められて落城と伝えられるが顕著な遺構は見られない。光秀の出生地は県内でもこちらこそと各地で名乗り上げているが、地元びいきのみで何の根拠も無いがここ明智荘の生まれと思いたい、光秀は30歳まで明智城に居住し落城後油阪峠を越えて7月に訪れた越前の地へ落ち延びたとされる昔が偲ばれた。本丸近くの出丸跡には3等三角点羽崎175.2mが有るので山好きな我がメンバー達は立ち寄った。
 駐車地へ戻り旧兼山町の金山城中腹に有る蘭丸広場へ移動。計画ではここで昼食となっていたがお願いした地元ボランティアさんが待っておられると言う事で金山城の見学を先に済ませる事になった。
 金山城は斎藤道三の猶子斎藤正義(斎藤大納言=妙春)によって1537年に築かれ烏峰城と呼ばれた。正義は東美濃に武威を誇ったが1548年に久々利城主久々利頼興によって謀殺された。1565年美濃を制した織田信長は、森可成を金山城主に封じて金山城と改称し東美濃の旗頭とした。可成討死後、小牧長久手の合戦で長可が討死、乱丸から末弟忠政が家督を継いだ。忠政が信濃川中島へ移封され石川光吉が城主となった。 光吉は、犬山城を本拠としたため、金山城を廃して本丸や櫓などの建物を筏に組んで犬山へと運んだ。これを「金山越え」と云う。(犬山では否定的な意見があるとのガイドさんの話あり。) 「美濃金山城 おまもりたい」二人のガイドさんと共に我々も2班に分かれて出丸広場から登城開始、二の丸西面の1601年破城時の石垣跡、三の丸、舛形虎口等々の解説を聞きながら本丸跡に到着。中央に「史跡金山城」の大きな石柱が立っているが古城山276mの標識は見当たらなかった。山頂は天守や御殿が築かれていたので広い平坦地となっている。現在も発掘調査が続いているそうだ。周辺の木々が伐採されて展望の山にもなっていて、青空の下に北は権現山(八百津)、納古山、御殿山など、西は白山(米田)、伊吹山、遠く養老山地などが望めた。
 個人的にはガイドさんの「廃城後350年留山で自然状態が保たれた効果が現在の城跡」との言葉が印象に残ったので詳細を調べてみた。『関ヶ原戦役後廃城となり江戸時代は尾張藩の「御留山」となって一般立入は禁止、明治になると旧皇族の世襲財産である「世伝林」地なったが昭和20年遺構国有林となり、1953年に旧兼山町に払い下げとなり1983年頃から開発が始まった。2005年に城の調査が始まり、2013年に国史跡となった。』
 蘭丸広場へ下りてガイドさんとお別れし待望のランチタイム。食後おれんじの会の今後やアンケートの話を堀越代表から聞いてから、昨年改装オープンしたばかりの可児市戦国山城ミュージアムへ移動して拝観した。 ここは金山城や可児市内に散在する山城解説、古い兼山の資料などが展示されていた。隣接する可児市観光交流館でリーダー挨拶を頂き現地解散となった。
                                        (記録担当 水野さんの報告より)

コースタイム
関8:00==明智城大手門P9:00・・東栄寺9:15・・太元神社9:20 9:30・・天龍寺9:34 10:00・・産湯井戸跡10:15 10:20・・桔梗坂10:30・・明智城10:45・・出丸跡 点名羽崎175.2m11:00・・明智城大手門P11:20==金山城蘭丸広場11:40・・出丸広場11:55・・金山城跡12:11 12:48・・金山城蘭丸広場13:00 14:00==可児市戦国ミュージアム14:13 見学 14:30(可児市観光交流館 現地解散)

       

  
                                             (写真提供 水野さん、古谷さん)

明智城と明智荘地図
 

 

金山城地図 

                                      (地図提供 古谷さん)

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