蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、花咲く時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

他人の文章

2018-02-15 | ブログ
人の書く文章を読む。
ジャンルは、ブログやSNS日記。
誤字脱字てにをはレベルは論外として、
文章のうまさ、洗練されているか、わかりやすいか、文体が好みに合うか、などなど、表現方法によって個性が出る。
読み手側には、激辛好きな人や、超難解好きもいる。
好みは様々なので、一概になんとも言えない。

が、肝心カナメは、何が言いたいか、何を訴えたいか、である。
材料、事柄を通しての筆者の「考え」を知る。
そういう意味では、わたしは「言いたい放題」は結構好き。
書き手側の自分目線がきっちり定められていると、面白い。
読み応えがある。

だが、時として、わたしとそっくりさんを発見して、バツが悪い、というか、赤面する、というか、、、
真似した、された、ではなく、自分独自の考え方、自分は唯一無二の個性だと思っていたのに、唯一無二が二つどころか、三つも四つもある現実に触れると、ドギマギする。

なあんだ。
わたしは平凡な没個性だったんだ、と。
河原の石ころ。(路傍の石は、畏れ多く、やめておく)
でも、マイノリティである。
世界で一人ではなく、「多くの人々」という枠からはみ出た人々の集まり。
最近、ブログに書いたが、群れない人々の群れ、みたいな逆説集団。
それって、マイノリティと呼ぶのかも知れない(わたし流解釈)

いくらたくさんの、自分と同じような人を見つけた、と言っても、やはり、全体からの比率で分類するとマイノリティだと予想する。
時代が流れ変わり、マイノリティが主流になる時代も来るかも知れない。
少し先を行くなら良いが、先を行き過ぎて、時代遅れの人にさえ、追い抜かされる可能性がある。
時代が後から付いてくれば問題はないが、たんに時代に取り残された、離れ孤島の不運の人、みたいになる場合もある。
離れ孤島は、それぞれが個々に遠くに存在しすぎて、マイノリティとして連帯するのは不可能。
遠くで個々に離れて埋没していくのだろうか。
頑固モンだったなあ、とか、変わり者だったなあ、あの人は、とか言われて。
本人は、孤高だの、気高き孤独だの自負していても、周りから見れば単なる、へんな人。
人に迷惑さえかけなければ、いいんじゃないかと思っているが。

わたしに人が寄って来ないのは、寄り付かさないからだという指摘をされた。
自分にとって不必要なものは容赦無く切り捨て、離れていくように無意識のうちに仕向けているそうだ。
誰とも関わりを持たないことが、自分を守り、幸せにしているんだとか。
モノの断捨離は出来ないくせに、ヒトの断捨離は鋭く実践しているようだ。
幼い頃からかも知れない。
別に不幸な生い立ちではない。が、孤独が好きみたいだ。
かといって、病的ではない。ウツとかとは無縁のように感じる。
ちゃんと社会人として、明るく暮らしている。

自分にとってマイナス、プラスを嗅ぎ分け、一瞬にして必要BOXと不必要BOXに無意識に振り分けているらしい。
これを打算と言わずに何と言う?
だが、本人には自覚がなく無意識のようなので、意図して注意を払って、路線変更できない。
結果的には幸せになっているから、今までの路線を変えない方が良いようだ。
よく考えると、直感による人物断捨離、判断仕分け用には、必要BOXと不必要BOXと、もう一つ、保留BOXがあると思う。
ほとんどの人は保留BOXに入っている。
保留BOXには鍵付き上段と、その他に分かれる。
必要BOXは、家族、近親者のみ。
不必要BOXは、入れるや否や同時に消去、削除しているので、いつも空。
迷惑メールと同じだ。

究極の自己チューの出来上がり。
人に愛されなくても、自分を自分で愛することが出来るから、いいのだ。
自分への溢れんばかりの愛を注いだ後にもまだ愛が余って、さらに子供や孫に、残った愛を注ぐ。
自分の身を削ってまで犠牲の上に愛を注いでいるわけではないので、当然、見返りは求めない。
(こんなに愛が多いのは、たぶん、あれこれ見返りを求めて他人に愛を注がないからだろう。非善人)
見返りがないのは当たり前。(「愛されない」と嘆くとしたら、アホ)
必要BOXは、無条件に。
保留BOX鍵付き上段は、大切に。
その他は一定時間が過ぎたら自然消去。
時々、鍵を開けて、保管されているかどうか確認しないと、空っぽということがあり得る。
大事にしているなら、それぐらいの手間暇は必要、不可欠。

だから、なんなの?
文字数が膨らみ、結論を急がねば。
似たような考え方、感性の人はいて、自分は独特ではない、ということ。

考え方がどうこうや哲学はさておき、仙人暮らしでは、自動改札機も通れない。
生活に必要な人々(たとえば世話役)は必要BOXだ。

前からそうだったと思うが、わたしのことがハッキリ益々、明確に嫌いになった方がおられることだろう。
「好き」の反対語は「無関心」だと、娘が言っていた。
「嫌い」は、「好き」の反対ではないので、気にしないことにする。


今日は、ブログ村の他のブログを読み、たんなる思い付いたことをダラダラ書くだけの、平和な日にいたします。

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