
昨日、長女の上から3番目(下から2番目)孫(5歳女児)が、おばあちゃんに、とプレゼントしてくれた絵。
中央右端のメガネかけている人?(動物?)が、わたしらしい。
よーく見てみると、頭の上、真ん中に、なにやら鍋蓋のツマミのような丸いものが乗っかっている。
これはわたしのお団子ヘアなのかなあと。
なるほど、わたしなわけだ。
ありがとう。ウルちゃん。
ちなみに、彼女が自分で自分にネーミングした名前(ウル)はまだイキているようだ。
次の名前を付けるまで、あとどれぐらいこの自称ネームを使うのか、誰もわからない。本人も。
彼女は最近、トランプやことわざカルタに参加するようになった。
もっと前は、邪魔するだけの厄介モノだったのに、驚きの成長だ。
その代わりにウルの妹(もうすぐ2歳)が今度は邪魔する脅威のディストロイヤーになっている。
子供の成長は早い。
わたしは本気になっても、ことわざカルタは取れる枚数は下から2番目。
ことわざカルタ、覚えるのも見つけるのも取るのも、彼らは早い。
目を細めて喜んでいたのだが、自分の鈍化を認めざるを得ないことになり、ちょっと胸が痛い。
(老化ではなく、鈍化だと思っている。
実際は老化による鈍化か?
どこが違う? 同じなのだが、わたし的には微妙に違う)
わたしは、ことわざカルタに関しては、もはや戦力外宣言をとっくに受けた。
だが、トランプ部門は、配られたカードの運もあり、まだ在籍中。
ウル。
この子は、自分で作詞作曲の歌を大きな声で歌う。
どうも宇宙規模の歌詞内容だ。
星だの地球だの、わたしは進む〜だの、勇敢で壮大なテーマの歌詞、曲調になっている。
何かのTV番組か映画で見聞きしたものを自分流に歌っているのではないかと想像する。
わたしがアドリブ歌詞を追加してオリジナルで即興で歌うと、さっそくその歌詞を歌に付け加えていた。
ものおじせず堂々とバアちゃんちで歌ってくれるのは、はたしていつまでかな?
きっとしばらくすると歌わなくなると予想している。
長女の子供たちは、みんな内弁慶系で、外では大人しい。恥ずかしがり屋さん。
よく考えると、わたしも夫も、長女も娘婿も、静かなタイプ。
人見知りをしたりする。
長女Mは、ガチャガチャしていないクール系。
先日、長女Mが学生時代に所属していた体育系クラブの部員紹介をインターネットで見つけて読んだ。
一種のデジタル・タツーであるが、面白かった。
部の後輩が先輩を一人一人紹介するものだった。
紹介文がなかなか的を得ていて、長女Mが後輩に恐れられている様子がうかがえて、笑えた。
今、ファミリーに新しい人材が一人増えて、異才を放っている。
次女の夫なのだが、全ての面で、異文化流入感がある。
やはり、遠い地からの文化が運び込まれるのは、カルチャーショックとなり、変化をもたらす。
次女の夫にしてみても、カルチャーショックかも知れないが。
次女は、新しい文化と、自分が生まれ育った文化の狭間で、気を揉んでいることだろう。
二人の別々のキャラクターが生み出した、またまた新しいキャラクター(ベビー)を育てながら、異種が混ざり、家族になっていくのかなと。
わたしは次世代の若者、男性が3人も周囲にいて、幸せである。
一年に数回しか集まらないが、似たり寄ったりの年齢のおとこたち。
最年長と最年少では、3歳しか離れていない。
同じ時代の空気を吸って成長している、この3人。
一人は実の息子、二人は娘婿。
わりとティストが似ているのは、解せる。
なぜなら、姉妹の夫たちなので、姉妹は共通のものがある。
そして、性別は違っても、きょうだいにも、共通のものがある。
だから、全員似たような年齢で、似たような雰囲気。
当たり前といえば、当たり前。
スポーツ選手も、芸能人も、芸術家もいない。
非道な極悪人も遊び人も禁治産者もいない。
仕事の系統は似ている。
だから、5人集まると、似たり寄ったり、話さなくても話しても、共通のものがある。
ジャンル的に同じ世界にいるような気がする。
娘婿たちのご両親たちも、またそれぞれの地方に根付いた生活を送られていて、それぞれに個性がある。
面白いものだ。
明るく朗らかな人々で、ほんとうに幸せだ。
感謝している。
誰に?
わたし教の神様に。