自分の将来をイメージするには、
まず、まわりの人を見ると、わかりやすい。
私の実母・・・・・
金銭感覚→超インフレになったり、デフレになったり、差が激しい。
類を見ない働き者で、強靭、パワフル、疲れ知らず。
自然児がそのまま大きくなったかんじ。
自分では頭は悪くないと思っているが、思い込みで生きている。
敵はいても、敵知らず(気づかず)。
世間体など、気にしない。
子育ては、放任主義。子供ライオンを崖から放り投げるタイプ。
そのくせ、崖から這い上がってくるのを待てない。
1男2女、孫6人、ひ孫1人。
全然、エレガントではない。
(あ、でも、生け花は上手・・・)
私の義母・・・・・
金銭感覚→あればあるだけ使う、昔のお嬢様。
饗応夫人、お友達いっぱい、気さくなお人柄で、敵なし。
賢婦人、良妻賢母、働き者で、努力家、気働きの人。
家族のためには、とことん尽くす。
頭脳明晰。気がまわりすぎて、ときどきオーバーヒートして、ダウン。
子育ては、男の子には勉強以外、何もさせない
企業戦士(夫)の銃後を守る、教育ママゴン。
とてつもなく常識家だが、時として大胆。
1男1女、孫5人、ひ孫2人。
全然、エレガントではない。
(あ、でも、家事は完璧・・・)
私の永遠のテーマのひとつは、「エレガント」。
自分にないものを探し求める。
しかしながら、理想とするエレガント像とは、ほど遠い二人。
(愛すべき二人ではあるが)
お手本、具体的ノウハウが身近にないとなると、真似のしようがない。
目の前にあるのは、自分に正直に、自分らしく生きている
人間臭い二人。
それって、やたらパワフルで、これまた真似できそうもないが、
なんだか、あんまりエレガントではない。
(至近距離から見すぎているからだろうか。)
そのかわり、地に足が着いて、力強い。
少々のことでは、倒れたり、ぐらついたりはしそうもない。
私の描くエレガントとは・・・
優雅で洗練されているということ。
生臭い、生身の現実感を感じさせない優美な世界。
カタチから入るのは大丈夫だが、
深追いするとデカダンスにつながる
貴族のような、虚の世界を背負ってないと
無理なのかな。
そんなことをぐちぐち言っていること自体が、
すでにエレガントではない。
芯を持って生きている二人は、
ある意味、エレガントなのかも知れない。
まず、まわりの人を見ると、わかりやすい。
私の実母・・・・・
金銭感覚→超インフレになったり、デフレになったり、差が激しい。
類を見ない働き者で、強靭、パワフル、疲れ知らず。
自然児がそのまま大きくなったかんじ。
自分では頭は悪くないと思っているが、思い込みで生きている。
敵はいても、敵知らず(気づかず)。
世間体など、気にしない。
子育ては、放任主義。子供ライオンを崖から放り投げるタイプ。
そのくせ、崖から這い上がってくるのを待てない。
1男2女、孫6人、ひ孫1人。
全然、エレガントではない。
(あ、でも、生け花は上手・・・)
私の義母・・・・・
金銭感覚→あればあるだけ使う、昔のお嬢様。
饗応夫人、お友達いっぱい、気さくなお人柄で、敵なし。
賢婦人、良妻賢母、働き者で、努力家、気働きの人。
家族のためには、とことん尽くす。
頭脳明晰。気がまわりすぎて、ときどきオーバーヒートして、ダウン。
子育ては、男の子には勉強以外、何もさせない
企業戦士(夫)の銃後を守る、教育ママゴン。
とてつもなく常識家だが、時として大胆。
1男1女、孫5人、ひ孫2人。
全然、エレガントではない。
(あ、でも、家事は完璧・・・)
私の永遠のテーマのひとつは、「エレガント」。
自分にないものを探し求める。
しかしながら、理想とするエレガント像とは、ほど遠い二人。
(愛すべき二人ではあるが)
お手本、具体的ノウハウが身近にないとなると、真似のしようがない。
目の前にあるのは、自分に正直に、自分らしく生きている
人間臭い二人。
それって、やたらパワフルで、これまた真似できそうもないが、
なんだか、あんまりエレガントではない。
(至近距離から見すぎているからだろうか。)
そのかわり、地に足が着いて、力強い。
少々のことでは、倒れたり、ぐらついたりはしそうもない。
私の描くエレガントとは・・・
優雅で洗練されているということ。
生臭い、生身の現実感を感じさせない優美な世界。
カタチから入るのは大丈夫だが、
深追いするとデカダンスにつながる
貴族のような、虚の世界を背負ってないと
無理なのかな。
そんなことをぐちぐち言っていること自体が、
すでにエレガントではない。
芯を持って生きている二人は、
ある意味、エレガントなのかも知れない。
それに真似するものでもないのでは?
自分独自の気に入ったエレガンスを身につけてくださいね。
私のイメージではエレガンスは繊細、華やかで素敵だけど、イマイチ生活力に欠ける・・って感じでしょうか。(生活臭がでればエレガンスじゃない?)
美しい世界に浸るのはいいことだと思います。
うちの姑は優美な世界を追い求め続けて生きてきましたが、理想を追うあまり、現実が見えないという弊害がありました。
なにごともバランスが大事ですね。
人から見られて(見える部分が)エレガントであればいい、ということすね。
見えないところで、エレガントではない部分は、
あえて見せる必要はないということ・・・
生活の全てがエレガント、というのは、
無理がありそうです。
別に、人そのものに限らなくても、様式美とか、
モノに限ってもいいわけですよね。
変化しないモノ(物品)、単独なら、生活臭はしないし。
自分自身がエレガントにならなくても、
エレガントな空間に身を置けば、エレガントになれるのでは?
あるいは、エレガントなものが好きなら、
それだけで、エレガントと言えるのでは?
広義に解釈すると、エレガントって、幅が広いようですね。
「優美を求めて、現実が見えない」というのは、
生活範囲を超えて、無理をするということでしょうか?
人が生きていく上での当然の行動が、姑にはとんでもない苦労と感じるのでしょうね。
お嬢様育ちの弊害ですよ。
子どもは甘やかして育てるものじゃありませんね。
一生の間にどんなに状況が変化するか、誰にもわからないものね。
世間にたいしてエレガントじゃない所を完璧に隠そうとして、四苦八苦していましたよ。
今、現在でもそうしています。
その親御さんが立派すぎた。(で、甘く育てた)
そのイマイチのお姑さんでも、その子供は
立派に育っておられる(推測)ので、バランスは取れているのでは?
イマイチの親の子供は、立派に育つ。
立派な親の子供は、イマイチに育つ。
イマイチ→立派→イマイチ→立派→・・・
というように、親子は交互に反面教師として
繰り返し補い合うので、それなりに
継承していくのではないでしょうか。
たいがいは、若いときはイマイチでも
晩年は、熟成されてマトモになって、
さらに、最後は、恍惚になる?