蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

下手の横好き

2020-06-27 | 趣味
昔は読み書き算盤が社会で生きていく上での基本だった。
が、なんでもAI、直近では演算スピードを誇る計算能力パソコン、世界一の座を射止めて素晴らしい!の一言である。
なのではあるが、いくらスマホ決済で現金不要といっても、街でちょっとしたお釣りの計算ぐらい出来ないと話にならない。
(わたし、計算しないで相手を信じる、ズボラタイプ。
ますます脳が錆び錆び)

で、今日は短めの助走、序章。

わたしは、ミュンヘンブロガーさんの熱愛的ファンのひとりであるが、またまた共通点を見つけて狂喜している。
(年齢はおそらく二回りぐらい違うとは思うが。もちろん、わたしが歳上)
育成時代が共通しているとは思えないが、なぜか幼い頃のお稽古ごとが同じだった。
日本では20年ぐらいそういう時代は続いたのかも?

つい最近、テレビドラマで、「子供がピアノを習っている家はお金持ちの象徴だった」と、犯罪に巻き込まれる青年が言うセリフがあった。
あんな若い青年の言うセリフではないと思う。
作者か脚本家は何を意図していたのだろうか?と深読みしてしまった。
ワザと?
あるいは、何かの間違い?
または、脚本家の書くストーリーには監督やプロデューサー、スポンサーも不可侵、内政不干渉?
あのセリフの青年が熟年以上ならわからないでもない。
が、すでにわたしと同じシニア世代でも、「ピアノ=お金持ち」の絶対的な定義は違うと思う。
団地にピアノ、という同級生もいたし(だが、後に、音楽、ピアノの道に進んだ)、
東京(の)藝大教授に毎週新幹線で通うなら、お金もかなり必要だ。
後にピアノの道を挫折した小中高時代の元同級生が、輝かしいコースに乗れるのは「強力なコネ」だと悔しがっていた。
親が音大出身、あるいは、音楽家の子供はそれなりの専門的教育を受けている。
が、その後はイバラの道が待っていることもある。

なので、前述のドラマの青年のセリフには補足が必要である。
ピアノ=お金持ち、だから、どうした?の話だが。
ピアノ<お金持ち、かなあと。

まあドラマ脚本家がどんなセリフを言わせようが自由なのではあるが、あの回の、あのストーリーにおいては、ちょっと違和感があった。
まじめに見てなかったせいもあり、なんであの青年がドラマ内で殺されたのか、よくわかっていない。
まじめに見ていても、よくわからないことは多々あるが。

と、これは寄り道、道草。
中途半端ですみません。
ピアノ、算盤、習字。これにバレエ。
最後のバレエこそが、本日の本題。

バレエには苦い思い出がある。
わたしの思い出は、たいがい苦い。
輝かしい思い出はほぼ皆無。
(安心してお読みください)

ある日、母にバレエを習いたいと告げた。
姉は無関心。わたしだけ。
母の返事はノー。
わたしの根性の薄さを見抜いているのだろう。
伊達に母親業をやっていない。

だが、少しわたしは粘った。
ピアノ、習字に加え、小学校高学年の同時期、更に別の習い事希望の算盤は二つ返事でオッケーだったのに、バレエはダメ。
なんでやー。
それはわたしが一番よく知っていた。
たんなる憧れだったからだ。
薄い薄い浅い浅いミーハーのわたし。
ほんとうに、漫画チックな憧れ。
なんの素養もないのに、単に憧れた。
(次女が高校ぐらいの時に少林寺拳法に憧れて、地元のクラブに入ったのと同じぐらいの、実のない憧れ。
すぐに辞めるのは目に見えていたが渋々許可した。
案の定、道着は汚れもせず美しいままである)
そういう時期は誰にでもある。
ただし、姉の琴線には触れず、バレエのどこがいいんだか?と無関心、無反応。

近所の商家の娘さんたちも同じ教室に通っていた。
学年3才ぐらい上と、3才ぐらい下。
二人ともとても別嬪さんだった。
今、思い出すと、小学校の同じクラスの女子もたまたま同じバレエ教室で習っていたような、、、。
才能どころか、向き不向きで大別すると、間違いなく不向きに入るだろうバレエをわたしが辞める日はすぐ来ることは、誰の目にも明らかだった。

発表会ではチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の「花のワルツ」を踊った。
今でもこの曲が流れると懐かしい。
というよりは、自分の浅はかな憧れは、まだしつこく尾を引き、じつのところ、今も懲りずにやっている。
さすが種目はバレエではなくシニア向きにシフトしているが、音楽に合わせて身体を動かす踊りには変わりない。

なんだろう?
上手くなりたいだとか、綺麗に踊りたいだとか、そういうのではなく、理屈抜きで楽しい。
好きなんだろう。
小さい時から客観的結果にとらわれないミーハーだったようだ。
これを自己満足という。

趣味にも承認欲求がある場合とない場合があるが、わたしは見事にない。
ただそれだけの、オメデタイ人間である。

あの頃のキラキラはすぐ色褪せたが、懲りずにまだやっているわたしは、芸事の超えられないところまで突き進んで追及して挫折したパターンとは真逆。
大衆の浅いお遊びなんだろう。
挫折を味あわせたくないから習わせない方針の親もあれば、その一方であんまり何にも考えていない親もいる。
どうしてもやらせたくない事は禁止するだろうけれど、わたしの親はだいたい何でもオッケーだった。
きょうだいみんな、それぞれ趣味を見つけ、生きがいにしている。
あくまでも趣味。 
だが、下手の横好きではあるものの、大好きな趣味と出会えて良かったとしみじみ思っている。