蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

関白宣言、その後

2020-06-24 | 人生
昨夜のNHK歌番組、生放送に、さだまさしが出演していた。
で、「関白宣言」を歌っていた。
ん?
歌詞内容に違和感がある、、、
なんと41年も前の曲ではないか!
150万枚も売れたようなので、時代を超えるといえば、超えるんだろうけれど。

浮気するかも知れないから覚悟しろ、
仕事が出来ない男は家庭を守れない、
家を捨てて出てきた女性を嫁にもらう、

夫より早起き遅寝はまあ100歩譲ったとしても、
今ならどうかな?と首を傾げることがいっぱい。
さだまさし、地方出身だったはず。しかも九州。
だからアタマが旧式古代なのは納得。

と、疑問符が脳内を駆け巡っていると、曲の後半、トーンダウンして、俺より先に死んではいけない、から始まり、愛する女性はお前ひとりだけ、と断言してくれる、、、
これには、なぜか、じーんとした。
言い切ってくれるところが素晴らしい。

たとえ他の歌詞は気に入らなくても、最後のところ、〆は良かった。
一日でも遅く死ぬべし、とのことだが、男性より女性の平均寿命のほうが長いから、ほっといてもたいがいは女性が残るだろう。

関白宣言は、責任をもって全力で愛してくれる宣言なわけだ。
自分のことは自分でやってね、と、クールに割り切り自立のシェア婚もいいが、ひと昔前の人間(わたしは、さだまさしとほぼ同世代)には、「関白宣言」は過度期的な響きに感じる。
最後はホロリとしたあたり、わたしもかなり涙腺が弱りまくっている。

※後に続編として「関白失脚」が発表されたが、内容はぐっと現代に近づいている。

と、昨夜の話は、おいといて、、、と。
相変わらず助走、序章が長い。
ほんとうは、さだまさしのウキペディアから始まり、色々読んであれこれ調べて知らないことを知ったのだが、どんどん広がり収集できなくなりそうなので、一旦、手を放す。
まとめ、なし、で放置。

ところで、、、
元仕事仲間と話していると、わたしのことをメールのやり取りで一日過ごしている、と思っていたようだ。
この人は、とても親切で優しい人なのだが、少々、知的要素に欠ける点がある。
それはそれで別に個性なのだが、自覚症状がないため、自分の知識に疑いを持たないで臆面もなく間違っていても堂々と悪びれることなく断言、言い切るところが最大の難点。

今回も、インターネット=メール、という思い込み。
まるっきり間違っているわけではないが。
メールはインターネットのひとつだが、インターネットといえばメールだけではない。
インターネット>メール

ブログについては、閉ざされたメールではなく、手書きしたチラシを何枚かコピーして、そこら中にばらまいているようなかんじ、と、説明しておいた。

ちなみに、、、
寝室の掃除をしていて7年前の週刊誌を見つけたが、その中の記事に、「勉強が出来すぎる女子の孤独と不幸」というのがあった。
なにしろ7年も前の週刊誌なので、時代は少し動いてはいるだろうけれど。

わたしには真逆の内容だけに興味深く読んだ。
「友だち出来ない、夫がバカに見える、満足出来ない」
というサブタイトル。
自分のレベルが高いと、ピラミッドの頂上では人数が減ってくるから、相応する相手も減るのは致し方ない。
わたしなど、底辺をうろついていると、どかんと人数ボリュームも多い。
だが、お互い、バカ同士、バカに見えることもある。
カチンと来るのは、バカなる所以か。
ドングリの背比べ。
その一方で尊敬に値する賢い人は、めちゃくちゃたくさんいる。

ひと昔前ならそれで良かったが、
ただ、昨今は、男性も女性に対して自分と同等なレベルを求めるようになってきている。
(昔タイプは昔のまま)

もし1世代わたしが若かったら、結婚相手の特徴は今と違っていただろう。
もっと社会に通用する専門的スキルを要求されていたと思われる。

7年前のその記事によると、
東大卒の賢い女性が、東大生同士、同級生と恋愛して、いざ結婚となると、オツムの弱そうな、女子力の高い女子に、かっさらわれる実例があげられていた。
家事能力と引き換えに。
これ、7年前の記事なのに、40年前と同じではないか。
女子力は、家事力か。
五分五分の仕事をし、五分五分の収入なら、女子だけに家事を押し付けるのはおかしい。
そこで、五分五分ではない女子を選び結婚し、自分は家事育児をしない。
こういう男性も普通にいるわけで。

娘は、そういうのが嫌で、そういう男性とは結婚しなかった。
女性も相手を選べる。
が、お互い選考が難航して結婚しない人が多くなっている。
非婚を選ぶ。
その結果、人口減少、国力衰退。

女子も不幸、男子も不幸。
男女平等の理想は、こんなことを望んでいたのか?

話を戻す。
前述の元仕事仲間、あまりにも無自覚な無知で驚くのだが、東大女子が、一般男子に失望するのとはレベルが全く違うにしても、流れ的には同じようなかんじか。

結婚相手は自分と同じレベルが違和感なくて理想的だ。
教養や知識は、ある程度基本的なところで、同じレベルであるほうが摩擦が少ないし、失望したりされたりするリスクを回避出来る。
失望なら、まだマシだ。
なぜそんなことも知らない?と腹立たしくなったり責めたくなったり軽蔑したりするよりは。

だが、自分が興味ない分野には全く関心がないため、知識も理解もしていないことはよくある。
年齢による特徴もある。

元仕事仲間は、メールとブログ、SNSの違いをわかっていない。
説明する気にもならないが、わたしのことを理解してもらおうという気持ちは一気に消え失せた。
というか、この話題はパス!
共有出来ない分野の一つだということがわかれば、それには今後、触れなければよいだけだ。
よく考えたら、母たちもわかっていないけれど、別に何の問題もない。
人に自分をわかってもらおうという気持ち自体が僭越なのではないだろうか。

知識や教養があっても、常識がない人もいるし、こころが死んでいる人も性格が終わっている人もいる。
相手を理解しようとする気持ちや思いやりが必要だ。
ビジネスなら最低限の業務をこなせば、それでいいのかも知れないが。

気になることや、固執することは、それぞれの今までの歩みによって違う。
頭がいくら良くても、人の欠点ばかりが目につくような器は、ある意味、勉強だけに偏っている。
せっかく良い頭脳に恵まれているのだから、長所を活かすことが出来たら理想的。
だが、なんであれ、譲れないものは譲れないのだろう。
とは言うものの、ひとつでも良いことがあれば、それでいいんじゃないか。
欲で身を滅ぼすのはつまらない。