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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

見たくないものは見ない

2019-06-12 | ブログ
わたしの過去ブログ記事。
とても良いことを書いている場合もあるし、じつにくだらない場合もある。
皆さんのどなたかが、お読みになった足跡を辿って、過去記事を読むと、なかなか面白いものがある。
中には、ちゃんと、「学者や専門家の説」を引用、持ち出しているものもあり、ほっと安心する。
だが、これはクセものだ。
自分の脳内を通って、自分流に解釈して、自分が納得した部分をより誇張して書いていることがある。
情報の調理、料理、味付け。レシピ抜き。
情報の素材そのまま出典元を貼り付けたら良いのだろうが、すでに、元の素材は自分で消化してしまっている。
蛇に飲み込まれた「生き物」だったが、何年もかけて溶けている。
完全に溶けきってはいないが。

じつは、わたしは教養があるのだが(笑)、残念なことに、すべて体内で消化され、元のものは跡形のカケラもない。
さらに残念なことに、消化されて心身の一部、血となり肉となっていれば、万々歳だが、忘却の彼方であることが非常に多い。
自己申告するしかない教養なんてものは、教養でもなんでもなく、単なる思い込みである。
まあ、卑屈にならずに、自分を保つには、ひとつぐらい勘違いがあっても、いいんじゃなぁい?と、にこやかに柔和に、観音様のわたし。

昨日、本屋で立ち読みをした。
読みたい本をパラパラパラ。
すごく興味がある事が書いてある部分があり、常日頃から、劣等感として消えることのないデリケートな話題に引き寄せられる。
そもそも、本のタイトルが、「言ってはいけないこと」みたいなかんじのもの。
で、わたしはその痛々しい劣等感をえぐり出され突き刺さされるかのような解説部分の小見出しと、本文のほんの少しの斜め読みをした。
そして、読むのをやめた。
パス。
自分が気分が悪くなるようなものには接しないこと。それが賢明だ。
書いている人だって、完璧な人ではない。
全方向、全ジャンルに秀でていて、全方向、全ジャンルに欠点がない人などいない。
今更、自分の欠点と向かい、責めて、なんになる。
わたしは改善する気、ゼロである。
長所を伸ばす方向を選ぶ。(そもそも、長所なんかあるのか疑問だが)
残す健康寿命人生、僅かなんだから、人様に迷惑かけずに、いかに自分が楽しむか。
気分が悪くなるようなものに、わざわざ自分が近寄っていく、怖いもの見たさは、卒業したと感じた。
でも、半分うっすら目をあけて、見て、ちらと読み、パタンと本を閉じる。
で、また見て、また閉じる。
好奇心はいつまでもあるようだ。

ちなみに、全く関係ないが、ディズニー映画、面白い。
大好きだ。
「アラジン」を観たが、ウィル・スミス、お茶目。
と、まるで文脈無視のわたしのブログ。
ごめんなさいませ。(→こんな言葉はあるのか?)