蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

若き日の愚痴

2017-12-29 | わたし
わたしが、こりゃもうあかん、と思った時。

子供がいなかった新婚時代は、同じくノーキッズの、夫のスキー部仲間のご夫婦とスキー旅行に行ったりした。
子供が生まれ、夫の後輩の別荘に、多くの仲間たちと泊まり、テニスをした。

みなさん、ご夫婦でも、同じ職業。同じ出身校。
なのに、奥さんは給仕係で、旦那さんは何もしない。他人の奥さんにも給仕してもらう、他人の夫。
なにこれ?
遊びの場なのに。
家族として扶養される側とする側、ペアになっているわけではない。
しかも、場所は後輩の別荘。
この後輩は、一番下の後輩なので、彼より下はいない。
そこで、他人の奥さんたちだけが給仕。
男たちは、木を切り、魚を獲り、狩に出かけるわけでもなく、サロンで出してもらったお茶だの食べものだのをわはわは談笑しながら食べるだけ。
これで、わたしは、自分の人生のコースをはっきり見た。

実は、その前日に、伏線があった。
幼児を抱える母親たちは、幼児を寝かしつけるために宴会には出ずに、早く席を引き上げた。
サロンで、若い独身女性たちの嬌声と、男性たちの笑い声が聞こえる。
女子供は寝た後に、大人の時間に突入だ。

女であって、オンナでない。
子供を産み育てるのが女。
お酒とともに人生を楽しむのが、オンナ。
まだ30歳そこそこのわたしは、自分の
コースは、給仕係であることを悟った。
しかも、一生、出口のない真っ暗なトンネルを走る自分。
わたしの幽体離脱は、ここから始まった。


さて、ここで解説です。
夫が未熟で気が回らないのと、わたしが夫にわたしの気持ちを伝えなかったことに遠因がある。
が、わたしは、自分の気持ちを伝えなければわからないような夫や、同じ状況で、夫と同じ感覚を持つ男性たちに失望した。
こころの中で、すぱっと切って捨ててしまった。
自分も努力せず、闘わなかったことは、十分、自省の余地がある。
しかし、闘う以前に、それまでのわたしは消滅し、新しいわたしが、生まれた。
上書き、更新されたのだ。

まあ、いつもハッピー、永遠、未来永劫にハッピーな、おとぎ話などないので、くだらない愚痴の一つである。

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