蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

自分に眠気

2017-12-04 | 日々のこと
いつも行きつけの別SNS。
気に入った特定の人をお気に入り登録するシステムがあり、お気に入りの人の日記がアップされると、随時、自動的に知らせてくる。
最近、わたしをお気に入り登録する人がポツリポツリと現れ、コメントも、新しい人からもらうようになった。
実はそれは、わたしにとっては重苦しいのだ。
やりにくくなった。

わたしは、好き勝手なことをぼやく、かなわん人という位置付けが気に入っている。
しょうもないわたしのぼやきの度に、相手に強制的に知らせ、かつ、相手からコメントをいただくのは、お手数かけて申し訳なさすぎる。

ほんとうに、しょうもないことを書いて、一人でウジウジ遊んでいるだけなので、どうぞ、お手を止めずに読み流してください。
でないと気軽にアップできなくなる。

大したことでもないことを褒めていただいたりすると、身の置き場がなくなる。
これは、謙遜でも裏自慢でもなく、偽らざるホンネである。

そう言えば、だいぶん前に、仕事のクライアント社長さんが、そんなことをおっしゃっていた。
わたしが褒めると、「お尻がモゾ痒くて快適ではない」と不快顔だった。
あの社長は、熱血、直球ストレートの性格、お人柄で、かなりユニークな人だった。
(が、その会社は問題ありで、後に取引停止になった)

と話は逸れているが、わたしは、褒められても、ただただ嬉しいかというと、そうでもない場合があるということだ。
可愛げなくて、すみません。

わたしには、少し先が見えてしまうのだ。
やがて、過大評価だったり、相入れない部分が出てきたり、飽きたり、で、熱は冷める。
ぱーっと一気に短期間で押し寄せる人(もの)には、あまり期待しない。
むしろ、警戒する。
赤の他人というものは、後々など考えず、フラフラと、その場その場で関わってくる。
それはそれで、一期一会の良さもあるが。
しかし、その時限りである。
なにごとも一長一短。

まあ、それはそれとして。
わたしは益々、最近は内に、こもっている。
内向的な性格に拍車がかかっている。
「火花」の著者、又吉直樹氏が言っていること、一つ一つに納得する。
あの人もそうとう受け入れられなかったことだろう。
でも今は違うようだ。
その状態を本人は良く思っているのだろうか。

多くの人に、わかってもらいたい、共感してもらいたい、思いをシェアしたい、と、わたしの場合はあまり思わない。
全面否定や、迷惑がられたり、不愉快に思われたりするのは嫌だが、ニュートラルでいい。
人に感動を与える、とか、そういう大それたことは思いもしない。
わたしが、最も関心があり、深く掘り下げ、納得ゆく答えが欲しいのは、「自分」である。
その、自分をより知るために、追及手段の一つとして、多くの他人や、周りにいる人々の行動や心理を知りたいだけである。
つまり、自分以外には興味がなく、一番説得、納得させたいのが、自分である。
自分がどう思うか。

、、、
と書きながら、眠くなってきている。
ああ眠い。
むしろ、自分にも興味が失われてきているのかも知れない。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ