蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

古い自分を踏んづけて、新しい自分になる

2017-12-28 | 趣味
昨日は、年納めパーティにおひとり様で参加した。
人気のパーティで、かなり賑わっていた。
前々リーダーさんが来ていて隠れていたが、声をかけられ、ミニデモで1曲踊った。
自分が変わったのか、前々リーダーさんが変わったのか、わからないが、以前の踊りには戻れなかった。
あっさり、過去は振り返らない自分を見た。

前とは違う自分を感じた。
なんだか明るい。パワフル。
リボン席に座ることもなく、ひっそり自分の席に座ることもなく、ガンガン攻めた。
(競技会場で見かけた)顔だけちらりと知っている人とも、初めて踊った。
しかし、「同じ教室で、レッスンを受ける」という、その人からの提案は、居住地が遠く離れているため、残念ながらあきらめた。

あの人、この人、いろんな懐かしい人と踊った。
新しい人とも踊った。
今後につながる動きもあった。

なんだか、新しい流れが一気に押し寄せた。
「元気?」「どうしてたの?」
近況やら、なんやら。
しばらく(1年半)顔を出さなかった古巣、懐かしさと、以前と変わらない顔ぶれに、安らぎのようなものを覚えた。

学校の学級(クラス)のような、同窓会のような、、、似たり寄ったりの年頃の人々と、同じ趣味、目的をシェア。

以前とまるで同じ状況なのに、4年以上、毎週通っていた会場が、自分が変わることで、こんなに変わるなんて、不思議な気もした。

一つには男性余り現象。年齢人口・分布図の推移。
踊らない(踊れない)で1人でいる男性をちらほら見かける。明らかに余っている。
ぼやっとしていたら、他の男性に取られて踊れない。

次に、わたしの選択に迷いがないこと。
余計な踊りはしない。
踊りたくない人とは踊らない。
これ!という人には積極的に行って踊ってもらう。
あんなに惨めな思いや、劣等感に打ちひしがれていたのが、嘘のよう。
自分に合った場所、というものがあるようだ。
練習は別の場所で、地道に重ねる予定。
おひとり様パーティは、華やかな会場で。
パーティは、ご縁の「るつぼ」。
人々が往き交う交差地にある市場のように活気づいていた。
相手を探すのには最適の場で効率が良い。
静かで大人しい雰囲気のわたしなので、普段は滅多に動かない。(省エネモード)
その気になっている時は、外から見ていてもわかると思う。
(だからすぐにキャッチされてしまう。逃げるのが下手で、逃げながら、探すのは結構、難しい)
使い古された陳腐なフレーズと言われそうだが、「水を得た魚」になって、今年の踊り納めは幕を下ろした。

で、補足です。

楽あれば苦あり。
トラウマあれば、イキイキあり。
ボロ雑巾を踏んづけて、明日の自分に向かいたい。
(でも、またウジウジが出てくるだろうけれど、陰と光は、三位一体だ。→もう一つはなに?
「表裏一体だ」にしようか)

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