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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

産みの苦しみ

2017-01-07 | わたし
鬱プロ大先輩からの黄金の言葉を頂戴した。

鬱の脱出方法。
一度、自分を無にしてみる。
無価値な自分と、とことん向き合う。

あああ、わたしはブサイク〜と毎日、鏡を見ていると、そのうち、むふふ〜と、ブサイクではない顔、別味の顔が現れる。

今のわたしは、お産で陣痛が来ているのに、前置胎盤になっていて、赤ん坊の出口が塞がれている状態。
どんどん、赤ん坊は産道から下りてくるのに、出られない。
産道が広いの狭いのの問題ではない。
出口自体がない。
赤ん坊も苦しいかも知れないけれど、母親はとんでもなく苦しい。(わたし、経験者です)

それに似ている。
キレイにリタイアすべき超高齢者が、いつまでも君臨して降りない。
次がつかえ、さらにその次もつかえている。
しかも、君臨といっても遠に正常機能を失っている、手本や参考にしたくない、理想ではない、しかし自分もその道に行くしかない、超高齢者。

理想を抱き未来を見つつ、陣痛に耐えるならまだしも、行く末の見えないものに塞がれ、でも、自分もどんどん歳を取る。
動き、押していく。

前置胎盤出産の場合は、自然分娩が母子共に危険とみなされたら、帝王切開。
わたしの場合は、ギリギリまで待ち(待たされ)最終、自然分娩。
すごい負担を産まれ際にかけられた。
(子が悪いわけでも、母が悪いわけでもない。強いて言えば、胎盤の位置が悪い)

結果良ければ、全て良し。結果オーライ。

生みの苦しみのあと、夜が明ける。

しかしなあ、、、
まだまだ、わたしには超えるべき坂が、こんもり、行く手を阻んでいる。

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