goo blog サービス終了のお知らせ 

蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

力関係が見える、、、

2025-03-04 | 日々のこと
我々夫婦の会話は、20年先取りか。
前倒し。早い。
20年後に起こりそうな出来事。

夫が昨夜、人から頂いた有名店の生の胡麻豆腐を持ち帰ってきた。
ワンパックに、8切れ入り。 
(個別包装ではない)
この胡麻豆腐は、手作り、出来立てで、1日でも早く食べたほうが美味しい。
明日になると、がくんと風味は落ちる。
明後日など、とんでもない。
で、出来れば明日に持ち越さず、少しでも多く、美味しいうちに食べるのがオススメ、、、
ではあるが、美味しく食べられる量というものがある。
1切れがベスト。2切れが限度。
だが、2人で8切れある。
お互い、2切れ目までには普通に順調に手を伸ばす。
胡麻豆腐はもう満足したが、3切れ目も食べたほうが良い。
頑張って食べる。
そこで、残りを見るとパックの中には2切れになっていた。

これは、計算が合っている。
2人で6切れ食べた。
にもかかわらず、、、、、
「(頑張って)何切れ食べた?」とわたしが夫に聞くと、
「4切れ」と言う。
ん?と、怪訝な反応のわたしに、
ひょっとして、わたしが2切れ食べて、夫が4切れ???
「ボケてるの?」と夫が追加。
え???と、わたし。一瞬、ムッとしたが、、、
どうだっけ?と確認して確信してから文句を言おうと、わたしは言葉を飲んだ。

いいや、そんなはずはない。
わたしは、最初に2切れ食べて、更にもう1切れ、頑張って食べた(はず)。
これは、今回は多く食べた方が非難されるのではなく、賞賛されるパターン。
無意識に夫は自分が頑張った側に立とうとしている??
それとも、わたしが無意識に奮闘した側に立とうとしている?

お互い、胃袋に2人で「合計」6切れ入り、残りは2切れ。これは動かぬ証拠。
どっちが何切れ食べたかは、言い張った者の勝ちか?
証拠がない。
自信満々に断定されると、う〜ん、、、どうだったかなあ、勘違いかなあ、、、と、弱気になる。
いや、最初の2切れは、わたしは一気に食べたが、その後、夫は全然食べず、2切れ減ったままだった。
問題はそこからだ。
確かに、夫は食べていた。
しかし、わたしも更に3切れ目を食べた、、、と思うんだけどなあ、、、

何を食べたか忘れるのはよくあることだが、食べたか、食べてないか、忘れるのは、相当マズイ。深刻。だが、数の場合は?
これは自分の頑張りを主張、認めてほしい欲が絡む。
食欲部門とはまた別の、心理部分。
承認欲求が頭をもたげると思われる。

繰り返すようだが、、、お互い、2切れは確実。
次が問題である。
真実は藪の中か。
胃カメラで検査したら映るのか。
スキャンは?
分量まで的確に把握出来ないだろう。

考えろ、考えろ、考えろ、、、
ピンチのクライマックスで、「考える」そういう番組がある。

先に言ったものが勝ち。
大きな声で主張したものが勝ち。
胡麻豆腐は氷山の一角で、水面下に我々の力関係や問題が潜んでいる。
たかが胡麻豆腐、されど胡麻豆腐。
1日目だから美味しかったのだが、、、
それで、いいのか、、、も知れない。

要約すると、2人で6切れ食べた胡麻豆腐の内訳が、「夫4切れ、わたし2切れ」なのか、「夫3切れ、わたし3切れ」なのか、どっち?
たくさん食べた方が、頑張りを評価される。
保育園児みたいだ。
夫は4切れと主張するが、、、裏が取れない、証拠がない、、、という話。

長々と、スミマセン、、、

※写真は、ピンボケだけれど、長女一家の門司みやげ。
中に白あん。最中です。
門司のくまさん。手作りもなか。


残念な筋肉痛、、、

2025-02-22 | 日々のこと
モテたい、有名になりたい、名声を得たい、お金持ちになりたい、、、
そう憧れ、願うのは悪いことではない。
モチベーション、活力の元。

好きな酒が飲みたい、好物が食べたい、好きな人の顔が見たい、、、
これも良い。
現実で叶わない場合、TV越し、インターネット越し、スクリーン越しでも良い。
食べ物ぐらいは、無茶を言わなければ現実的に実現可能だろう。 
病気で制限されていたら厳しいが。

夢、要望の中身がどんどん変わっていく。
アップデートされる。
(わたしの場合、削ぎ落とされていく)
要望が叶ったら、引き続き、叶い続けることを願う。
これは普通だ。ランクアップしたくなるかも知れない。

山の高みに上がり、頂上から景色を見てみたい。
これは自然な欲求だろう。
山からの光景をしばし眺めた後は、下山が待っている。
せっかく苦しい思いをして登って来たのに、また再び苦しい下山をしなければならない。
頂上で終わりなら良いけれど。
でも、山は色々たくさんある。
また登ればいい。
登らなくてもいい。
登れなくなれば、自室で山の番組でも観ればよい。
登れなくなったら、山にも関心はなくなるかも知れないけれど。

やったことがないこと、味わったことがないことを体験してみたいと思うのは自然だ。
やったことがあるものは、興味が失せる場合もあるし、さらに興味が増す場合もある。
常にやりたいことがあるのが、生きている証拠みたいなものか。
情熱があるか、ないか。

それがどうしたの?
だから何なの?
と、低温になるのは、それはそれで省エネモードではあるが。
湧き続ける情熱を提供してくれるものに、楽してぶら下がっている、わたし。
エネルギーが中途半端で、自分から自発的に、自家発電できない。
最低限度の灯火で生きている。


ちなみに。
いかに普段、運動していないか、痛感する事態が起こった。
腹筋あたりと、臀部あたり、太ももの後ろあたりが筋肉痛。
なぜだろう???
と、思いあたることを振り返り辿る、、、
痛みを感じ始めた前日に、張り切って頑張って、たくさん踊ったからかなあ、、、と、想像していたのだが、、、
どうやら違うような気がする。
今週あたまに参列した告別式。
ぎゅうぎゅうに締め付けられた衣服に身を包み、姿勢を意識して、びしっと背筋を真っ直ぐにして座っていた。
1時間にも満たない時間なのに、あれが、普段使っていない筋肉に負荷をかけたのではないだろうか。
そんな気がしてきた。
背筋を伸ばすのは、良い運動になるようだ。
家でTVを観ながらでも出来そうだが、なかなか出来ない、、、。
気合いが足りない。
腹筋が、今もチラリチクリと痛む。
だが、姿勢を正して座っていたからだとは情けなくて思いたくない、、、やはり、ダンスのせいもある、、、と思いたい。
等身大の自分には目を背け、自分への期待、過大評価。
どっちにしても、筋肉痛が現れるのに時間がかかるのは、はっきりした老化現象だ。






子供と大人の間

2025-02-21 | 日々のこと
今日は1番上孫(小6男児)の参観会。
卒業式を控え、リハーサルも兼ねている。
わたしは、おばあちゃん(祖母)なのに、参加してしまった。
場違いだけど、少し気まずいだけ。 
ちょっと孫熱が高いと思われるだけ。
いささか居心地が悪い、推し活。
ずいぶん早めに小学校に着いてしまったが、参加したいと思ったから、行った。

生徒、一人一人、スピーチと、皆んなで合奏。
合奏の選曲は、わたしの好きなTV番組「情熱大陸」のテーマ曲。
とても良かった。

わたしは、本日は先約があったのだが、キャンセルして、孫参観会を取った。
スピーチで、中に、一人、こころに残る子がいた。

彼の好きな言葉は、「平和」。
今は夢はないけれど、長生きしたいです。
長く生きていると夢が見つかるかも知れないからです。
夢が見つかった時は、その夢に向かって頑張りたいです。
そのためにも、ずっと生きて夢が実現出来るようになりたいです。

みたいなことをスピーチした。
大人みたいだ。
生き長らえている、わたしのような高齢者にも夢を与えてくれる。
夢を持つことが、夢。
「大金が手に入ったら、今は買いたいものは思いつかないので、取り敢えず貯金します」に、近いものがある。
子供らしくないような、それでいて、令和の現代を表しているような。

保育所の時から知っている子もいたが、小さい頃と、全然、違っていた。
皆んな、成長している。
中学生になったら、また変わるだろうけれど。
新しい舞台が待っている子供たち。
次世代を担う彼ら。元気に活動してほしい。
応援している。

※写真は本文と関係ありません。

涙が出ないお葬式

2025-02-19 | 日々のこと
お葬式に参列した。
平日だったこともあり、家族葬とは言え、がら〜ん。
喪主の姉妹と、参列者の我々姉妹2人以外には誰も知らない人ばかり。
血縁者は、この4人だけ。
参列者は、我々を入れて10人ぐらい?

次世代参列者は、ゼロ。
喪主姉妹が1番若いぐらいか。
平日なので、仕事、学校があるのだろう。
前日のお通夜は日曜日だったこともあり、子供や孫たちも参列していると想像するが。
しかしまあ寂しいものだ。

しかも、故人、、、遺影の写真、、、かつての知っている顔ではない。
棺、最後のご対面、、、ご本人、、、全然、面影がない。
まるで、テレビか映画の一場面のよう。
当然ながら、感情移入できない。
生きている間に、数回しか会ったことがないと、いくら血の繋がりがあっても、こんな感じになるのか。

私が幼い頃、数回、葬式や法要で顔を見た。
それから学生時代に1回、社会人になってから3〜4回、最後は今回の告別式本人(故人)の配偶者のお葬式。
火葬場に向かうバスの中で隣になり、お孫さんの自慢話を楽しそうにしてくれた。
10年以上前か?
顔を合わせたのは、生涯で通算、10回ぐらいか??
そう言えば、わたしが仕事をし始めた頃、1度お会いして、仕事関係で協力してもらった。
わたしが幼い頃と、成長してからと、近年と、ポイント、ポイントで顔を見たが、ラストは、最後に生きて会った時と顔が変わっていた。
喪主姉妹は、彼女たちが子供の頃とイメージは変わらなかった。

故人は、私が知らない顔になってしまった。
魂がもぬけの殻になって、顔は入れ物に過ぎなくなったからだろうか。
一つの時代が終わった。
次世代の顔を見ることが出来なかったせいもあり、終焉を実感した。


※写真は、昨年、秋に訪れた旧山形県庁舎。
(本文と関係ありません)
現在の山形県が成立した翌年、1877年(明治10年)に建築されたが、1911年(明治44年)年の山形大火で焼失。
1913年から復興建築に着手、1916年に完成したのが現在の建物。
写真チョイスは、個人的趣味に走ってます。


みるみる、まるまる

2025-02-17 | 日々のこと
自分の引きこもりの、目に見える変化を実感した。
それは、、、
喪服がピチピチ、ぎゅうぎゅう。ぱっつん、ぱっつん。
洋服なのに、まるで着付けをしてもらった和服を着ているような感覚。 
ぎゅーっと帯で締められているような、、、。

本日は親戚のお葬式。
なのだが、、、服に問題があるのか、わたしに問題があるのか。

そう言えば、引きこもり期間、きっちり行なったことは、食べて寝ること。
しかも、パクパク、ぐーぐー。
何もせず、何も考えず、とらわれず、自然のなすがままにしていた。
快適だった、、、が、、、結果は、、、明確、明白、可視可能、、、脂肪増加。
わかりやすい。
やはり、身体は動かしたほうが良い。

反省と戒め、さらに、ふっくらボディは元に戻るのだろうかという不安、、、
苦しい喪服を一日中、着用する今日は、長い1日となりそうだ。

※記事と写真は関係ありません。




久々ぶりに動いた

2025-02-14 | 日々のこと
どうも今日の記事は全くの駄作。
(いつもと同じ。どこが違うの?と声なき声あり?)
時間を割いて読んでいただくには、こころ苦しすぎるため、、、冒頭から最後まで、全スクロールをお願いします。

・・・・・

新しい写真がないなら、ストック写真、使いましょう。
旅行が駆け足で、使う余裕はなかった。
というか、その旅行前日に、タイトなスケジュールを組んでいた。
もう、あんなスケジュールは2度と組まない、、、と、コリゴリの経験。
それはそれで、結構、意味があった。
話せば長いので、、、話さない、書かない。
いずれ、書きたい時が来たら書く?
そんな時は来ないだろう。
認知機能低下と、諸々、低下によって。

今が一番幸せだと思う。
人生の中で。
これでいい。
確か、21〜22歳の頃もそう思った。
40歳代の時も。
でも、やはり今が一番なのではないかと。
なぜか?
考え方が変わった。
1日1日は完結するが、それでおしまい。
次を期待しない。
毎日毎日が、最高。
明日のために少し取っておいても、取っておかなくても、どっちでもいい。

引きこもりの毎日でも?
そう。
引きこもりでも、今日が楽しいと感じるのなら、よい。
毎日は完結するが、ストーリーは続く。
ドラマや映画でいうと、「ある1日」の描写。
どこかに続く途中の、ある1日。
1日は終わるが、話が終わってしまうのではない。通過点。
布で言うと、フェルト生地のような、切りっぱなし。
未知の未来に続く、とりあえず今日が終わる。
どういう風に続くかはわからないが、続くことは確か。
確実で決定された、ハッキリした未来より、ぼんやり、ほんわり柔らかい明るさがあればよい。
曖昧さが残る、余白。
写真やツールで仕上げたものより、手描きフリーハンドの図面のほうが味がある。
変化、更新を含む、固定されてない動きや、まだまだ広がる可能性を感じられる楽しみが残されている。

しかし、、、
意外なことを発見した。
この引きこもり9日間、振り返ってみると、何をしていたかほとんど覚えていない。
ウィキペディア検索ぐらいか。
空白時間は、脳の空洞。
ぼーーっとしていた時間は、無かったのと同じだった。
これは、時間がもったいないのか、はたまた幸せなのか、はたまた「無」なのか。
自分の捉えようによって、これからの時間の使い方に影響を与える。
どう感じるか?
自分は、どうしたいか?

全く何もしない引きこもり体験は、それなりの意味があった。


ちなみに。 
話は変わるが。
3年前に知り合った人。顔を知ったのは4年前。
この人は、同じ話ばかりする。
別に認知症ではないのだが、認知症にありがちな性質をお持ちだ。
老化による認知機能の低下なのか、元々の性質なのか、両方が混ざりドッキングしているのか、定かではないが、、、。
この人の若い頃を知らないので、過去との推移を比較出来ない。

で、わたしが自分事として捉えることは、、、
家族であろうが、親友であろうが、同じ話は何度も何度もしないようにしよう、、、と肝に銘じている。
が、そのかわりといってはナンだが、自分のブログには同じ話を延々と繰り返し書いている。
幾つものバリエーションがある人生を送っているわけではないので、同じ出来事がベース。
捏造や創作はしないため、ひたすら、書いた時に感じたままを書いている。
ただ、勘違いや思い間違いはある。
自分で時を経てから読むと面白かったりする。
蝶ブログは、自分自身、わたしが最大の読者である。
まさに自分のために書いているのだと、後になって変に腑に落ちる。

と、それはまあいいとして。
視点を変えると、、、
同じことを手を変え品を変え、何度も何度も言うことは、ある意味、効果がある。
聞かされる側は、脳に染み込む。刻まれる。
良くないのは、一度聞いたらもう十分で、興味が尽きる内容、説明もワンパターンで、わたしのリアクションを全く見ないし聞いていなくて、自分だけが楽しかったシーンを思い浮かべて話している場合。
「はいはい、良かったですね、また同じようにやればいいんじゃないですか」
と紋切り型コメントをわたしはしているが、いつも全く聞いていない。
わたしは、なんのために、この人の話を遮りもせず聞いているのだろう、と自問する。
恩があるわけでも、親しみを感じているわけでも、今後、共に歩むわけでも、同志でもない。
たんなる傾聴ボランティア。
運動の後、一人で喉の渇きを潤し、休息するよりはまあいいか、と、二人で帰りに立ち寄るお店。
わたしも、ペラペラ好きなことを延々と話しているので、お互い、相手は人間の形さえしていれば良いのかも。
カカシ相手でもいい。人間型AIロボットでもいい。
お互いのニーズが一致して、時を共にしていると言える、、、が、どうも虚しい。
とは言え、人生の自分の持ち時間、満ち足りることばかりではない。
電車移動するにも待ち時間が必要なように、コアな時間だけを使えるわけではない。 
ご飯を炊くのにも炊飯器がやってくれて手間はかからないが、ある程度、炊けるまで時間はかかる。
洗濯も洗濯機がやってくれるが、干さなければならない。
目的だけを満たすのは難しい。
(コインランドリーなら干さなくてもいいが、わたしは天然日照力で乾かしたい派なので、乾燥機は使いたくない)

何かをしたければ、それに付随する何かをしたり待ったりしなければならない。
それがしたくなければ、好きなことを想像だけして過ごせばよい。
実際に行う時間はほんの少しで、前後に準備したり片付けたり、人に手助けしてもらったり、の手間暇、労力、時間がある。
20分間だけの欲求や用事のために、1ヶ月を費やすこともある。
ほんの短時間のために、一生を費やすことも、、、。
細く長く絶やさず続けるパターンもある。
一生の中には、色んなパターンが組み合わされている。

脳内と実際、実践、リアルの対比。
一瞬の出来事でも、一生、忘れないこともある。
同じ事も続けると、意図しない展開がある。
ある時、一瞬でガラガラ崩れ落ちることもあるし、逆もある。

長々長々相変わらずの長文。
延々と、着地できない。

※写真は、昨日に引き続き、旧山形師範学校本館。

お恥ずかしい、、、悪酔い

2025-02-10 | 日々のこと
赤ワインを調子に乗って飲みすぎた。
しかもメニューは、チーズフォンデュ。
更に悪いことに、ちゃんと昼食を食べていなかった。

久々ぶりに、悪酔いした。
皆んなで2本空けただけなのに。
ダウン。
20歳の時にデパートのワイン試飲で倒れたことがある。
わたしは、ワインにかなり弱いということは嫌というほど知っているのに。
自宅だったが、先に夫がいつものようにダウン。
わたしは絶対に大丈夫なのに、今回はアウトだった。初めてのこと。
娘一家が夕食に我が家に訪れていた。
その夕食、最後のデザートあたりの時間に、気分が悪くなり、記憶が一瞬、飛んだ。
だが、もうほとんど後片付けも終わっていたから、まあよい。
ではあるものの、丸スツールにちょこんと座っていたのに、不調で持ち堪えられず、椅子に座り続けられず、床暖房フロアに崩れ座り込んだよう。
朦朧としたなか、娘にメガネを外してもらったり、娘婿に水を飲ませてもらったり、、、介抱してもらった。
酔っ払いのお世話。すみません。
わたしの不具合のせいで、15分ほど皆んな早めに引き上げた。
けれど、皆んなが帰った後、すぐにすっかり持ち直したが。
21時からのTVドラマ「御上先生」には間に合った。
滑り込みセーフ。

しかしまあなんと、、、お恥ずかしや。
随分久しぶりとは言え、お酒の失態は、たとえ自宅でも、娘一家の前で、恥ずかしいものだ。
みっともない。

ちなみに、今朝、先ほどLINEで長女にお詫びとお礼を(端的に)伝えたところ、、、
3番目孫I(小1女児)が、「Iは、お酒のまへん」と、こころに誓っていたそう。
身近な出来事は、子供の成長期、勉強になる(はず)。
あくまでもポジティブ。タフなマインド。

※写真は記事とは関係ありません。
唐突ですが、適当な写真がなくなり、、、ストックから。
昨年、秋に訪れた、重要文化財・山形県旧済生館本館。
明治 11 年(1878)に竣工した擬洋風建築の病院。


のびのび発表会

2025-02-07 | 日々のこと
3番目孫I(小1女児)が、まるで発表会のような正装で我が家に現れた。
ピアノコンサート?スピーチ?表彰式?子供国際会議?
何の演目?
と、オフィシャルな雰囲気のIの服装、出で立ちを見て、本人に尋ねてみた。

「今日は、何かの発表会?」
すると、案の定、
「うん」
と答える彼女。 
「何の発表?」
と聞くと、なんと、「縄跳び!」
え?縄跳び?
体育会系?
この格好で?

疑問は解決されず、そのままにしていたが、写真共有アプリに長女がアップしていた写真と動画を見て、納得した。

確かに、縄跳びを発表していた。
同級生女児4人と小さな小学校講堂の舞台に上がり、縄跳びを披露していた。
一人ずつ、「◯◯飛び、◯回します」と宣言して、ビュンビュンビュン。
おもしろい〜。
確かに、発表会だ。
胸に花のコサージュでも付けて発表しそうなそのフォーマルな服装、、、よく見ると、下部分はスタイリッシュなキュロットスカートに黒短スパッツ、、、縄跳びとのミスマッチを微妙に調和させていた。
他の子がふーふーいいながら、頑張って飛んでいたが、3番目孫Iは、全く姿勢を崩さずブレずクールに、すごいスピードで宣言した種目、回数の縄跳びを飛び終わり、他の子が飛び終わるのを静かに待っていた。
ダンスも走りもそうだが、スポーツは体幹、姿勢が肝だと再認識した。

同じく、写真アプリを見ると、2番目孫(小4男児)もピアノのある小学校教室での学習発表会があったようだ。
将来、なりたいものは何ですか?
のような質問に答えるかんじの流れだった。

「将来は、プロ野球選手になりたいです」
という答えに、わたしは驚いた。
長女がススメようとしていた職業とは方向性が全く違っていたからだ。
長女も、その答えに、自分の思いが反映されていないことを知った。
「今日の気分なんじゃない?」とわたしは長女に言った。
親が思っているような職業を(まだ小学生4年なのに)希望するなんて甘い。

「ケーキ屋さんになりたい」
「電車の運転手になりたい」
「アイドルになりたい」
のノリだと思うが、小4にしてはプロ野球選手はまるで就学前児童の持つ希望のようで、夢がある。
なぜなら、2番目孫は、スポーツはキャッチボールをするぐらいで、兄の背中を追って、、、などということはまるでなく、周りにスポーツ関係者は皆無で全く本格的にはやっていない。
が、日頃、テレビや野球盤ゲームなどで身近に目や耳で感じたものが、野球だったのだろうと想像する。
せっかくマインドコントロールしようとしたのに、全然無理でほど遠く、かえって微笑ましい。
わたしの子育て時は、ギュウギュウやらせすぎた。
親の圧力なんか、元気よく跳ね飛ばしたらいい。
とは言え、年齢が上ると、また違う方向に行くかも知れない。
自然な興味の発露や嗜好ならいざ知らず、親に進む道を強制されたとしたら、教育虐待にあたる。
悲惨な宗教二世のごとく。
好きなことを自由にのびのびやってほしい。
将来、大人になって自立してくれたら、それでよい。
プロ野球選手は無理だけれど、週末・草野球で汗を流すのは大いに結構。

しかしながら、わたしは、その頃、アタマは大丈夫だろうかしらん、、、?




こころ弾まない

2025-02-05 | 日々のこと
筆の進みが鈍い。
だらだら文字でおしゃべりするのが、何よりも、こころの発露、ストレス解消なのに、寡黙になってしまった。
どんより。

さて。
今日は、お昼頃、雪がちらついた。
大雪のニュースを見ると、大阪とは比べものにはならない。すごい。
雪国で暮らすのは本当に大変だ。

ちなみに。
WEB口座の残高などを知らせる紙の報告書が1年に2回、郵送されていた。
が、書類の郵送は、今年、終了するので、それ以後はインターネットバンキングでチェックしてください、というハガキが届いた。
銀行が郵送費をケチったようだ。経費削減。
インターネットバンキングはずいぶん前、WEB口座を作った時に、開いていたが、長年、まったく利用していなかった。
焦って、パスワードや口座番号を調べて、ログインしようとしたものの、、、
一昨日、何度やっても、どうしてもログイン出来ず、放置していた。
とは言うものの、気になり、気が進まなかったが、背に腹はかえられず、昨日、電話相談した。
電話の向こうの人の指示通りにスマホ操作するのだが、のろのろ、とろとろ、まあ遅いこと。わたし。亀のごとく。
担当者はかなりイライラしていることだろう。
ではあるが、電話で相談してくる人は、大概わたしみたいに、動作がトロいと想像する。
わたし、スマホに弱い高齢者なので。
どうにか、こうにか、相談制限時間(17:00)いっぱいの16:56には解決した。
やれやれ。
インターネットバンキングなど、すいすい対応出来ていたのに、10年経つと、すっかりダメになっている。
浦島太郎。
メモノートには、各パスワードやIDなど、あちこちのログイン情報をずらずら記入しているのに、先が思いやられる。
金融機関やカード会社も、日に日にセキュリティが強化され、どんどん操作が変わってくる。
なかなか時代の流れに着いて行きにくい手応えを感じる。
ああ、情けなや。

ところで。
今日は一日中、愛新覚羅溥儀について、詳しく知りたい思いが押し寄せ、Wikipediaにかじりついた。
一昨日、NHK TV番組「映像の世紀バタフライエフェクト」で、特集されていて、とても興味を持った。
時代に翻弄されたラストエンペラー、流転と孤独の数奇な人生。
日本の軍部が取った行動を改めて復習した。
溥儀の妻、弟、弟の妻、姪、、、関係者、、、次々どんどん数珠繋ぎに調べていった。
映画にもなったが、波瀾万丈、流転とはこういうことを言うのか。
それにしても、溥儀の正妃(正妻)である婉容の最期が憐れすぎる。
事実は小説より奇なり。
戦争は大勢の人々を叩きのめし悲劇に巻き込む。
無茶苦茶だ。

・・・・・

今日のブログ、、、熱量が低い。
書くことは、わたしを救わなくなった。

※写真は、今日の、ちら雪。


コテンパンに、やっつけられた

2025-02-02 | 日々のこと
次女一家が来た。 
今回は長女の長男Y(小6男児、1番上孫)のお誕生日会。
今回の、次女婿による手作り自家製ケータリング惣菜は、牛すじ大根煮込み。 
手巻き寿司に合わせたメニューになっているようだ。
手巻き寿司の食卓から孫たちが(お腹を満たして)去った後は、テーブルには何種類もの日本酒ビンが並べられ、品評会になっていた。
それまでのシャンパン、白ワインに次いで。
呑助たちは、お酒が大好き。
日本酒は冷で甘く美味しかったが。

その前に、重大、特定議題の会議があり、、、
出席者は、長女、次女、わたし、の合計3人。
わたしは、娘たちに糾弾され、青菜に塩、、、
完全に打ちのめされた。
くーー、◯◯してやるーー、、、という悔しい惨めな気持ちになったが、その場は納める。
後でじわじわ怒りが押し寄せて来たかというと、、、そうではなかった。
わたしがやはり宜しくないようだ。
自分では認めたくないが、客観的にアウト!!らしい。
時間が経つと、じわぁ〜と効いてきた。
やはり老兵は去るべきなのか。
見苦しいみたい。
世代間、意識の違いや価値観のズレがある。
仕方ない。
時代の変化もある。
ズレがあることは、事実である。
わたしは、物事の捉え方が、自分のこととしての狭い世界観しかないから、広い世の中が見渡せない状態だ、、、と、指摘された。
長女、次女とも同じ意見。
敵ばかり。味方ゼロ。
まあ仕方ない。
彼女たちも社会経験を積んで、1人の自立した人間として、逞しくなった。