蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

出来る人、出来ない人

2022-11-25 | 
読む人によっては著しく臭う話を書く。

わたしがなぜ、こうも何もしなくて、何も考えなくて、何も気も回らないで、何も出来なくて、平気でいるか?
この答えがわかった。

一泊二日で夫とミニミニ旅に行った。
コロナ以来、2人では初めてだ。
娘と行くと神経を尖らせて行動しないと、ぼーっとしていたら、「何やってる!!」とお叱りを受ける。
役には立たなくてもいいから、足を引っ張らないように気をつける。
わたしなりに緊張するわけだ。

が、夫と2人だと、、、全くといっていいほど、その面の気遣いは要らない。
それに、夫は家の中に一歩でも入ると電源が突如切れてスイッチオフになり、出るとオンになる人物。
わたしは、日常は家でオフ状態のビクとも動かない夫としか接しない。

しかしながら、、、
つくづく思った。
今回は車で遠距離移動ジャーニーになったせいもあり、夫の運転に全てを委ねる格好になった。
夫はわたしとは正反対で、運動神経抜群で頭脳も超優秀、タフで体力もある。
日頃のオフ状態で、夫のオン機能をまるで忘れ切っていた。
しかもドケチしみったれのわたしとはこれまた正反対で、財布には口がない。
ゆるゆるとか、そういうレベルではない。
お金に執着する概念そのものがない。
この夫が仮に、再婚するかも知れない候補者だとすると、絶対に推し!間違いない。
今、交際している人だという新たな切り口でこの人物を見たら、素晴らしいハイスペックだった。
しかも優しい。
これは結婚以来ずっと同じ。
ただ、ほぼほぼオフの状態でしか接していないので、接する面がまるで違っていた。
全く動かない、家事など絶対にしない、ほぼほぼ粗大ゴミ状態のオフと、本来の備わっている機能をフル回転させた時は、別人である。
たまには、別人の面に接しないと忘れる。

小さな小さな閉ざされた家庭の中では偉そうにしているわたしだが、身体能力、頭脳として機能性は至って低い。
ほぼ全般的に人間の機能としての能力停止状態に陥っているのは、家の外では夫がなんでもかんでもしてくれるからである。
責任転嫁どころか、感謝しなければならない。
気が回る、頭が回る、身体が動く、能力がある夫が、元々真逆のわたしを益々機能低下させている。
わたしはアタマも身体も神経も使わないから、どんどん何もしなくなり、できなくなっている。
退化の一途を辿っている。

趣味分野で出会う人々にビシバシきつい厳しいことを言われるが、当たり前のことを皆さんは言っている。
しかも、能力的には夫はかなり高性能である。脳の出来が違うように思う。
夫は普通のそこらへんの人とは違うなあと今更ながら再認識した。
わたしが何でも許されて何でもしてもらって甘やかされているだけだ。
出来なくて当たり前の人物評価。
(諦められサジを投げられているのだろう)
(出来るくせにしないのは、一番タチが悪く嫌われ、サボり認定を受ける)
そこに厳しい娘に指摘、指導され、わたしは涙がぽろりん出るが、涙を流している場合ではない。
世の中の普通の感覚を呼び戻させ覚醒させてくれている。

わたしは頑張らないせいで必要機能を奪われ、何も出来ないお人形さんになった。
ある意味、兄と似ている。
素晴らしい人に甘えるだけでなく、少しは自分の脳みそを磨かなければならない。
しかし、、、脳みそ磨きは不得意分野だから腰がいたって重い。
せめて(出来て当たり前の優秀で慈悲深い)人に頼る依存性を少しでも軽減するよう努力したい。。。
が、言うだけ、書くだけ、、、か。

で、、、ここからが〆。
歳を取ると機能も衰えていく。
お互い、温かい目で見なければ。
まして高性能の人が以前のように出来なくなった日が来たとしても。



敬老には遠い

2022-09-20 | 
台風がやって来るという3連休、台風の進路と競争するかの如く、不要不急の旅に行ってきた。
(その割に特急指定席は空席なし、満席)
天候恐怖症のわたしは、猛烈に心配で憂鬱だったのだが、参加家族メンバーたちは全く気にしていないようだった。
宿泊ホテルの部屋のテレビで台風情報ばかりを見ていたこともあり、不安は募る一方だった。

3日目だけは、交通機関が計画運休するというので、お昼には帰路に。
3日目の旅プランは比較的近場だったため、今回でなくてもいつでも行けることもあり、すんなり諦め目的地をカットした。

台風も直撃は免れ、不安に慄いたものの肩透かしだったが、安堵した。
ああやれやれ。
無事帰ってきてこんなに喜んだことはなかった。

孫は目を見張るほどしっかりしてきて、方向音痴のばあちゃんを追い抜かした成長ぶりには喜ばしいものを感じた。
が、娘たちから投げかけられる手厳しい注意事項などで、キツくて涙が出そうになった。
地元に戻った最寄り駅では、(2歳児にべったり手が離せない)長女の疲労はピークに達したようだった。
ノーテンキな一言を言ったわたしは、長女にピシリグサリと言葉を浴びせられ、強く痛く鋭利に胸に突き刺さった。

合同家族旅行はもう無理かも知れない、なんて思ったりもした。
もう少しわたしたちが弱り、もう少し孫たちに手がかからなくなったら、もう少しは言葉が和らぐのではないかと甘い予想をした。
さらに、孫たちが成人になり、わたしたちがサポートが必要なぐらい益々弱ると、一緒に旅行には行けないだろう。
キツく当たられる今が、華なのかしらん。
子供がシッカリしているのも、嬉しいような、キツイような。
ちょうど良い中間はないものか。


我々はいつまでも頼りになる親ではなく、役に立たず段々お荷物になろうとしているのか。
サポートする側からサポートされる側に移行するスライド期間が微妙である。
力が交差し、逆転する。

未来図を垣間見た思いがした。
が、順送りである。

敬老の日には、なかなかシビアな贈りものである。
感謝され敬われようなどとは甘いと思った。
とことん自立できなくなったら、悲しみもなくなり、期待もしなくなるのだろう。
中途半端にまだ我々は元気なだけに、子供世代と力と力がぶつかり合う。
自分のパワーがまだある証拠かも知れない。



もうゴリゴリ

2022-08-19 | 
怒涛の1週間が過ぎた。 
疲れ過ぎて、記事に書こうという意欲が湧かないが、ネタはいっぱい仕入れた。
豊富なネタには不自由しないものの、書かないうちに次々リアルタイムで日々、新しいネタが生まれそうだ。
次の日常の出来事で、体感した感覚が更新される前にちょこっと書いておこう。

今回の怒涛の1週間の後半は、警報が出るほどの悪天候の中、山深い里へチビッコ4人連れのキャンプ旅。
娘婿、仕事でドタキャン不参加になり、ピンチヒッター子守要員の白羽の矢がわたしに放たれた。
保護者、大人は母娘(わたしと長女)のみ。
わたしは予定があったのに、「上孫(小学生低学年男児)2人の話相手と、荷物番だけでいい」という娘の推しの強い誘い文句に、嫌な予感はしたものの、渋々応じた。
自分の身だけでもモタモタして持て余すにもかかわらず、ボケていられないほど強烈に堪えた。
娘婿は自分が参加するつもりで申し込んだのだろうけれど、こんな宿泊施設、わたしは逆恨み状態。
シニアは勿論のこと、若者同士も見当たらず、目にするのは、パパがここぞと活躍する若いファミリーばかり。
キャンプ本格派は、自分でテントを設営する、もっと本腰を入れた真剣なキャンプ地を選ぶと思われる。
それに比べると、グランピングは子連れファミリー層には、キャンプとしては中途半端かも知れないが雰囲気だけ楽しむのには良いだろう。

しかし、働き手のいない、手のかかるチビッコたちとグランピング、バーベキューって、、、!
火の起こし方もわからない。
自分たちで焼いて食器や食後の後片付けも自分たちで。
しかも大雨、集中豪雨の中。
雨が降っていなければ、これほどはどうってことはないが、土砂降り。
トイレや洗面所に行くには、全面、水溜りになった地面に靴ごと突っ込んでビシャビシャ。

キャッチコピーは、「何もしない贅沢」。
揺らぐ火を見ながら癒される、、、。
など、とんでもない。
何もしないわけがない。 
1番手がかかる幼児連れ。

どれだけ不安だったことか。
トイレも洗面所も就寝するテントから離れた場所にあるため、夜通し、雨足が弱くなるのを見計らってトイレにいかなければならない。
豪雨がテントに叩きつける音に恐怖感を抱きながら、2時間置きに靴を履いて出かけ、精神的不眠症。
洗顔、歯磨きも、一旦、外へ。
校舎にあるような洗面所や流しは、利用者は横一列に並ぶ。
小中学時代(昭和30年後半〜40年代)に学校から行った旅館のイメージか。
ではあるが、それらはまだ雨を気にしなくてもいい、同じ屋根の下だった。

2歳児の紙おしめウ○チ処理後、手を洗う所がないので、わざわざ水道水が出るところに水溜りを超えて出向かなければならない。
もうゴリゴリ。
だが、蒸し焼きにしていたサツマイモは翌朝、食べたが、とても美味しかった。
このサツマイモ感想、、、無理矢理、帳尻を合わせようと頑張った感は否めないが、良い思い出にはなった。

お店で座っているだけで何もしないで給仕された食事をいただけるありがたさ、、、。
部屋、館内にトイレがあることの幸せ、、、。
まるで自然災害の避難所体験をしたかのようなキャンプに、日頃、何とも思わなかったことに改めて感謝した次第だ。
しかし、サービスを受けに行くのならいざ知らず、わざわざ苦労しに行くのは、もう参加したくない。

周りの川は水位が上がり、色も流れも、豪雨の激しさを物語っていた。

元気な人々

2022-06-29 | 
わたしの疑問は、周りを見ていなさすぎて世間知らずのため、石を投げられるかも知れないが、、、。

なぜ、どこへ行っても元気な女性ばかりなんだろう?
元気ではない女性は、外に出ていないから目に見えないだけだとは思うが。
男性は、元気な女性(妻)に引っ張って来られるイメージ。
男性単独では、あまりお目にかかることがない。
登山とかされているのか。
バイクや自転車、ヨットや釣り、アウトドア、キャンピング、、、など、わたしが行かない場所で活躍されているかも知れない。
(あ、頑張って働いておられる姿は、あちこちでよく目にする)

あるいはマニアックな趣味を楽しんでおられ、ご一緒する機会がないからか?
グルメだのパックツアーだのには、何しろ(リタイア)女性が多い。
安易で簡単、便利、手頃、エネルギー要らず。
リタイアしていない女性も多いが、男性はあまり参加していない。
日頃のストレスが大きすぎて、何もしないことが、とりあえずは回復の第一歩か?

限られた健康寿命、アクティブに使おう!!と積極的姿勢が皆さんに見られる。
もちろん、仕事をしている人もおられる。
さあ、どんどんじゃんじゃん活動しよう!とエイエイオー!とシュプレヒコールを上げたのは良いが、さてさて、やりたいこと、未体験、未知なことは?

わたしは保守的でめんどくさがりなので、今更やりたいことを一から探す気力はない。
それより、今までやってきたことの深掘りをして楽しみたい。
今からスカイダイビングには挑戦したくない。
飛行機にも最近は乗っていないから不安。
バスですら、ほんの2〜3時間揺られるだけで疲れる。
老化と贅沢。

歳取ると、トイレ確保にやたら敏感になる。
行きたくなくても、次、行きたい時に行けないかも知れないとなると、毎度毎度のトイレ休憩の時に無理やりトイレに行く。
脳と膀胱の希望など無視。
ではあるものの、脳が反乱を起こし、膀胱容量を超え氾濫しては困る。
ハンラン防止対策。

となると、遠い国や(標高が)高い場所にはもう行けないなあ、と。
近場深掘りコースに切り替えよう。

わたしは一人行動のほうが限りなくのびのびして好き。
マイペース人間なので、人に合わせるのが苦手。
自分の好みや嗜好も自覚している。
なので、団体旅行で参加するとしたら、コンセプトが設定されている、こだわりの旅。
参加者も似たり寄ったりの、お一人様満喫タイプなので、お互いに邪魔にならない。

家族旅行の場合、長女主導型。
文句があるなら企画、提案、実行せよ、動け!!となる。
なので、おまかせでゾロゾロ付いて行く。
カルガモ親子の順序逆パターン。
乳幼児同伴なので、旅行行程に無理がないのが良い。


コロナが完全に明けるのはいつ?
それまでの間に、脳内プランを練ろう。
ああでもない、こうでもない。
かつては、家から一歩も出ず、椅子から一歩も動かず、旅の計画をし、準備した。
わたしは10〜20年に一度、自分旅をする。
20歳、33歳、55歳。

家族旅行に加え、50代後半からは夫婦旅行が加わった。
60代は、家族合同旅行にシフト。そこへコロナ。
もうそろそろNEXTステージに向けての区切り自分旅がしたい気分だ。
将来は、大きくなった孫たちと(親抜きで)行くことも夢見ている。
舅姑は、孫連れでパック旅行に何度か行っていた。

旅の話ばかりを書いている。
だが、全ての人を対象にブログを書くと、天気予報かニュースぐらいしか書けない。
不愉快な人は、お寄りにはならないと思うし、自分救済のブログなので自分の楽しみのために使う。
嫌われてもいい。
(→なんて書かないほうが、好かれはしなくても嫌われるリスクは軽減されるかも知れないのに、ね)

あっちへ行ったり、こっちへ行ったり

2022-06-28 | 
もう梅雨明けだとか?
暑いです。

さて。
暑い最中、あちこち府民割や県民割を利用して周りの府県に足を伸ばしている。
昨日などは、散策タイムに、ある程度の所まで歩いて行った矢先、突然の雨に見舞われ、散策ストップ、雨宿りになった。
雨が止むのをひたすら待って、小降りになると、びゅーっと次の地点に戻る。
来た道、帰らなければまた土砂降りにやられる。
雨宿り時間は推測出来ないため、バス集合時間に間に合わないと困る。
次の地でも、止んだと思ったら突然、土砂降りの繰り返し。

各県、府、しばらく7月も旅割引は延長されるようだ。
助成金と、クーポン券の組み合わせ。(兵庫県はクーポンは宿泊した場合のみ)
わたしが行くところや参加するところは、皆さんお年寄りばかり。

ある女性が言った。
「年寄りは、○○、××、どうの、こうの。
年寄りはほんまに、わからんらしいわ」
わたしはすかさず、こころの中で、ツッコんだ。
「あなたも年寄りやん」

これはあくまでも胸のうち。
声には決して絶対に出さない。
しかしまあ、自分は年寄りではないと思っているその発言には、参ります。
たぶん、あの女性の描いている年寄りイメージは、骨と皮だけの、どうにか生きているだけの(見た目は、生きているのか生きてないのかわからない)枯れ木のような人なんだろう。

人の耳もあるから、他人から見た場合、誤解を生むようなことは言わないほうが賢明。
自分がツッコまれたりする言動は避けたい。

バスに乗ると、前後の座席の人の話し声が丸聞こえ。
べつにけしからんことは言ってないのだが。
わたしのすぐ後の席のご夫婦。(最初はご夫婦ではないと思っていた)
しゃべるのは座席の片方の人で、聞くのはもう一方の人。
会話のキャッチボールなし。
あまり親しくない人が数人集まって話す機会がある時は、そういうおしゃべりな人がいると場が持って助かる。
話題なんか、なんでもいい。
しーーんと静まり帰っていなければそれでいい。

おしゃべりの人は、助かるが、疲れることもある。
わたしは、他人の場合、勝手に無言でツッコみを入れてばかり。
というか、車内、わたしの後ろの席の場合、
話す人の隣で一方的に聞いている人、じつは聞いていないと思う。
一人でしゃべっているということだ。
相槌とか、リアクションはほとんど聞こえないから。
わたしより10歳は上の男性と思われるが、バスの席で延々と政治のことや、政治家の行動を非難しておられた。
聞くほうは興味ないと、めんどくさいだろうなあと。
だから奥さんは無言というリアクションなのか。

中でも、1箇所、ご自分の意見を押し通し、奥さんの言葉を遮って全面否定されていた。
わたしは奥さん側の感想を抱いていたため、アカの他人と言えど、不愉快だった。
奥さんも反論したら、ややこしくなるから放置しているのだろう。
火に油を注ぎたくないから、スルーするのだろう。
いろんな夫婦の対処法がある。
何度も何度も旦那さんが同じことを言って奥さんを非難、否定するから、わたしがムカムカしてきた。不愉快そのもの。
アカの他人を不愉快にさせる夫婦のやり取り、って、こっちが見て見ぬふりをする番だ。
耳を覆って無理やり聴かないことにする。
短時間のその場限りの偶然の関わりだから、我慢できる。
アカの他人は気楽でよい。

が、中にはアカの他人なのに、キレたりする人もいるようだ。
極力、近寄らないこと。縁がないことを祈るのみ。

バスツアーは、何度か参加するとだいたいどんな様子かわかる。
値引きや設定価格からすると、決して文句は言えない。
最後にアンケートに答えるのだが、もし、値段を考慮せずに不平があるならお門違い。
値段の割に良かった場合はアンケートに感想を書くのもよいだろう。

なんでも価格というものがある。
高品質、高級、デラックスなもの、貴重なものや手に入りにくいもの、手の込んだものは高く、その逆は安い。
値段と相談する。
なので、わたしは添乗員さんや運転手さんの感想をアンケートに書いた。
very good!
お疲れ様でした。
事故もなく無事に終わり、よかった、よかった、、、。




お一人様がいっぱい

2022-05-13 | 
今日も豪邸。
このお家、昭和7年に有名なお殿様の子孫が東京で自らが独学で設計し完成されたもの。
第二次世界大戦後7年間、GHQに接収された間は、施主は敷地内に小さな家を建て住んでいたとか。
その後、返還され、1999年、103歳で施主が亡くなり、敷地売却に伴い取り壊されることになったが、歴史的価値があり遺すべきとの声があがり、愛知県岡崎市に寄贈されることになった。
解体、(東京から)輸送、再び組み立てられ、岡崎市で復元されたのは平成24年。
はぁ〜。ご苦労様。

それにしても、このお殿様の子孫、由緒正しい本多忠次さん、長生きされたものだ。
なんと103歳!
この人がこの世を去るまで遺族は手をつけられなかったのだろうが、激動の時代を生き抜いた執念とも言えそう。
(晩年、最期はどんなかんじなのかは詳しくは知らないが)

三○ホームのモデルハウスみたいだった。
家具は、重厚で某ブランド○○シリーズ展開された家具のよう。
(実際は、別注オリジナル)
住宅メーカーは憧れのテイストを取り入れ、庶民に夢は託されたのだろう。
鳩山兄弟のご実家もこんな感じの設計、間取りだったような。

他にも松坂屋の元祖の伊藤さんの大邸宅。
最初は敷地1万坪の広大な土地に各地から移築された名建築もズラリだったらしいが、縮小された。
まるでテーマパークのよう。
東海にはVIPをお迎えする迎賓館がないので、迎賓館の役割をしていたとか。
素晴らしいのではあるが、、、
わたしは、へんに国内外あちこち見て回っているため、目が肥えてしまい、どうもいけません。
内装に、インド風、中国風などのテイストを盛り込んであるが、あくまでも○○風なので、どうも、うさんくさい。
施主が施工直前に訪れた国で受けたカルチャーショックを反映しているのだろうけれど、特徴を強調するあまり、ギタギタ、ギラギラして、塗りもテカテカ。線もやたら太い。
前解説によると、「派手さを抑えた上品な嗜好」ということなので期待したが、、、
わたしの好みではない。
本場、本物に勝るもの無し。

と、可愛げのない感想。
100年近く経つと、当時のまま維持すること自体が困難。
莫大な維持費、メンテナンス費用がかかる。
関係ない外野は入場料を払って写真をパチパチ撮るのみ。

しかし、昔のお金持ちの豪邸は、お手伝いさんがいないとやっていけなかった。
接待部分と生活部分、主人家族と使用人。
4つのゾーンに分けられた。
が、取らぬ狸の皮算用で、あり得なく何の意味もない仮定だが、
わたしなら、嫌だ、そんな生活。
金持ちになってから言え!と、お叱りを受けそうだが。

最後は、格式ある重厚なクラッシックホテル(1912〜)で昼食で、このツアーは〆だった、、、。
参加者は、お一人様8人、ご夫婦6組。
お一人様は、全員女性。
参加男性は、奥さんの要望で引っ張って来られたと思われる。
いかにも女性好みのツアーだった。
最後のお一人様席で盛り上がったのは、相続の話。
なぜか、ここで、ぱーっと花が咲いていた。
不思議な面白い現象だった。

こんな別荘、どうかしらん

2022-05-12 | 
豪邸を何軒も拝見している。
遠路遥々、新幹線に乗って、明治、大正、昭和のクラッシック建築を見て回っている。
時代に逆行する、ちょっと変わりモノのわたし。
(ミニ・ツアーに参加)
だが、あいにくの雨。
だれか、雨女がいるようだ、、、。

写真を撮り過ぎて、スマホのバッテリーが不安。
雨に濡れながら不自由な状態で写真ばっかり撮っている。
なにがしたいんだか。
明日も豪邸。
見るだけは、楽しい。
掃除もメンテナンスも管理もしなくていい。

隣のテーブル、いいな、いいな

2022-05-08 | 
ここ1週間は、アタマと体がぐるぐる洗濯機の中で回っているようなかんじ。
たんに長い休み、GWなんだけど。

いつものマイペースで一人タイムを楽しむ、、、なんてことは出来るはずもなく。
何をするでもないのに、何かに追いかけられているような気分。
ベビー、幼児、小児を交えて移動、衣食住を共にすると、調子が狂う。
一人前の成人、大人枠から外れて、シニア優待枠に入れてもらって、小児枠と同じようなかんじではあるが、似て非なる優待枠。
なんだかなあ、、、。

食事の時は、大概は全員で大部屋だが、たまにオプション別途の場合、小学生男児二人が我々シニア夫婦のテーブルに振り分けられることもある。
小学生が食べたいものを中心に注文すると、なんだか味気ないものばかり。
ちらと隣の長女グループテーブルを覗くと、大人感満載メニュー。
大人が食べたい品々がズラリ。
乳幼児は、お子様ランチなどで賄える。
(一歳児用には、我々の席にチャーハンを取りにきた)

小学生男児二人が長女グループから移ってきた、こちらのテーブルは、、、それに比べ、ラーメン、チャーハン、餃子などのベーシックメニュー。
あとで、男児に「何が美味しかった?」と訊ねると、「ラーメン!」という。
健康的な子供たちである。 
が、隣の長女たちのテーブルに載せられたメニューが豪華で美味しそうだった。

人数で2テーブルに分けると、こうなる。
1テーブル4人ずつ。
(次女一家が引き上げた後は、残り8人)
年齢で分けると、こうならない。
まあ老若混じってそれもよかろう。
でも、美味しそうだったなあ、、、長女たちテーブル、、、。
さらに、全額支払いはこちら、というオチがある、、、が、まあ、それもよかろう。
企画、運営、手配、すべてを丸投げ、おまかせカスタマイズ個人旅行なので、旅行会社に頼むようなもの。
お互い無理をしない流れ。

わたしは、人の食べているものが羨ましくなるほど、まだまだ食べられる体力、気力、、、つまり、健康体を持っていることがわかり、それはそれで、けっこうなことだ。
、、、と、またまた25年ぐらい先の年齢のようなことを書いている。

着いて行くだけは疲れます

2022-05-02 | 
写真、いっぱい撮りすぎて見るのもうんざり。
長女は、帰りの新幹線の車内の中で、ちゃちゃっと何十枚もの写真を家族共有アプリにアップしていた。
アプリ共有メンバーは、我々に加えて、長女ファミリー(長女婿ご両親)、次女ファミリー(次女婿ご両親)、、、誰がいつ閲覧したのか、わかるシステムになっていて、各ご両親はまめにチェックされているが、意外に長い時間見ていないのが、長女のお婿さん。
子育てに忙しく、被写体になっても見る暇なしのようだ。
次女のお婿さんは、カメラワークが芸術的。
彼は食にも追究型。(彼の専門分野である関係もある?)

若い人はアクティブだ。
わたしは早朝、露天風呂に行くだけでも、ああどうしようかな、行かないでおこうかな、と、自分の足を出し惜しみ。
次女のお婿さんは、4時にホテルを出て、どこやらの展望台まで歩いて行ってきたようだ。
うーん、起動力が違う。
長女のお婿さんは、(体重は重く、まんまるでよく食べる)まだまだ手がかかる末っ子に振り回されている。
そして、身体に優しいエレベーターを使おうか、わたしが迷っていたら、なんと、長女はあの重い子供を抱えて(ヒモ無しで、だっこ)、急な階段を昇り降り。
さすが、体力あるなあと感心。
子育ては若いうちにするのが良いと、つくづく思った。
おみそれしました。

ばあちゃんは、御隠居さんのごとく、べろべろ、ばぁ〜と、あやすのみ。
25年ぐらいの年齢を先取っている。
自主的にお手伝いするのは、荷物の見張り番ぐらい。
あとは全く手伝わず、見るのみ。
あまりにも見るだけで、状況把握をせずに、市内路面電車に乗る際は焦ったけれど。
ICカード乗車券が関西で使っているものが使える?使えない?と、乗車前に皆んなで話していたのに、わたしは単なる世間話のノリで聞いていたため、自分のこととして捉えてなかった。
乗る時にICカードをすぐ出せるように用意していなかった。
あわわ、あわわ、あわわ、、、
お任せ丸投げしすぎて、「泣き」一歩手前の愛想笑い。
しかもプリペイド残額が足りているかいないかで、電車代を現金で支払わなければならない。
電車代、いったいいくらなの?
どこで降りるの??
まったく行動スケジュールや詳細がわかっていない。

一事が万事。 
丸投げは疲れます。



ひとっ走り

2022-04-29 | 
GW。
びゅーんと、なぜかいきなりくまモンと出会っている。
熊本に来ている。
阿蘇の山々や、広々した水田は、美しい。
自然に触れると心洗われる。
雨があがって良かった。