最初は誰もが真摯な姿勢で向き合うのですが、ある一線を越えて親密になると崖崩れの兆候です。「ある一線」と言っても実際に白墨で境界線が引かれているわけではなく、言わば神社・仏閣の注縄の様に空中にあって、越えると言うかクグルというか曖昧なものなんですが、とにかく「ある一線」。男女なら「ある一線」も理解しやすいんですけど、グループや男同士だと、いわゆる「ある一線」はその手の方達だから我々小市民としては、その一線を体得に因り感じ取る。体得と言っても、あの体得ではなく空気感・言葉の節々の含みに因り身得する。
結局、付き合いきれなくなる。自己自慢・相手批判は、行き着いたどうしようもないで、その逆をすれば万事上手く行くのにねー!自己謙遜・相手礼讃ですなっ!子供の頃、学校で習いました。確か道徳の授業です。そして、体育だって研究発表だってグループを組み和を持って行ったはづ、要するに「歩調・足並み」と役割分担でした。そのまんま、大人に成り世の中の歯車に組み込まれる訳だから可能な限り自己謙遜・相手礼讃で過ごせば相手に組織に会社に社会に可愛がられて末永く恩恵を受けていられます。実際には、そんな方のほうが多いです。