長谷川よしきのブログ

格差社会を無くし、誰もが幸せを実感できる社会を目指して!
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70年目の終戦の日を迎えて

2015年08月15日 | ブログ
戦後生まれの私は、なぜか今日という日を毎年悲しい思いで迎えます。
明治生まれの父はすでに他界しましたが、2度の世界大戦を経験しながらも生き延び、だからこそ私が生まれてきました。
しかし、18歳まで岐阜の田舎で一緒に暮らしていましたが、戦争の悲惨さについて、また生活の苦しさについては一切話してくれませんでした。

その彼には特攻隊で亡くなった弟、三郎さんがいました。今でも田舎の家の床の間には軍服を着た三郎さんの写真が飾ってあります。
私が小学生だったころ、祖母がこんなことを話してくれました。
「三郎は親孝行だ」と。
「なぜ?」と私が尋ねると
「自分がこうして生きていられるのは三郎の恩給のおかげ、親孝行だ」と。

小学生だった当時は、あまり気にもしなかったこの会話をなぜか鮮明に今でも覚えています。
そして、彼女のあの言葉は本心なのか?それともほかの意味があったのか?

彼女がとことん叩き込まれた戦前の教育、洗脳教育と戦争一色の中でそう思わざるを得なかったのかもしれないが、
本心からそう思っていたとしたら、なんと恐ろしいことでしょう!

昨日の「安倍談話」は、あまりにも空虚な言葉の羅列で、私の心には全く響いてきませんでした。
キーワードさえ並んでいたらそれで日本が信頼を取り戻せるとでも思っているのでしょうか。
自分の言葉で語らないその談話は、「お国のため」にと信じて戦争を戦い、死んでいった人、また侵略された人たちにとって
どれほど悲しい「談話」だったことでしょう。

「侵略」かどうかについては「後世の歴史家が判断する」と本心を述べた安倍首相。結局は自分の言葉ではなかったことが
談話発表後の記者会見で本心が現れました。
したがって、彼の「談話」と戦争法案を成立させようとすることとは何ら矛盾していない。

「戦争」・・・それは「殺し合い」
殺し合いからは絶対に平和は訪れない。
殺し合いからは憎しみが生まれ、さらなる殺し合いへと発展する。

あまりにも大きな犠牲を払ったあの戦争は何だったのだろう。
戦後生まれの安倍首相や私は同じ世代。
体験はないけれど、想像力を働かすことはできるはず。

誰も他人の平和と幸せを奪う権利はもっていない。たとえそれが国家権力だとしても。
戦争法案を推進する人たちは、自分には他人の生きる権利を奪う権利を持っているとでも言いたいのでしょうか?
そろそろ自己陶酔して、戦争法案が平和をもたらすものだと信じて疑わない人たち、
もう、いい加減に目覚めたらどうでしょうか!

「どうぞ、安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませぬから」
峠三吉のことば。
今一度この悲しい言葉を噛みしめて、なんとしても戦争への道はストップさせる。
今生きている一人の人間として、人間の尊厳にかけて、闘っていきます!