正直、まさか三田市でもこのような厳しい現実に突当るとは思っても見ませんでした。
支持金僅か数円、預貯金は1000円にも満たない。2週間以上も水だけの食事(?)
衰弱死してしまいそうと、しかし、誰かに発見して欲しいと、ラジオで聞いていた「自殺防止の電話」へ電話をした人のことが、回りまわって私のところに連絡が入りました。
ちょうど昼食に出かけたところに、私の携帯電話に連絡が入り、きっとまともに食事が取れていないだろうと思い、お弁当とお茶を購入し、その人のところを訪問しました。聞いていた電話番号が違っていたため、直接に尋ねるしかなく、地図を頼りに自宅を探し当てました。
お会いして近くの公園でお話を聞こうと自宅を出たところでその方は泣き出してしまいました。ご自分が情けなかったのでしょう。ガードマンの仕事をなさっていたのですが、仕事がめっきり減ってしまい、辞めざるを得なかったようです。今までなら、1~2週間待てば次の仕事の連絡が入っていたようですが、1ヶ月ほど前に仕事をやめてから全く仕事が無く、たくわえも無く食べるものも買えなくなってしまいました。
何度、継続して働ける仕事や正社員になろうと努力を繰り返したとのことですが、正社員だと就職できても給料が入るまでに最短でも1ヶ月はかかります。その間の生活費があれば正社員の仕事を探して応募もできるけれど、それができないので、結果としてその日を生きるための「日銭」を稼がねばなりません。結局、蓄えが無くなり、一旦日銭を稼ぐ働き方になると、その生活から抜け出せなくなる。日銭の場合、まともな賃金でないため、十分な蓄えができません。その生活は、どうしてそれが「人間としての健康で文化的な生活を営む」権利を持った人の生活といえるでしょうか。余りにも無残な生活。人としての尊厳を剥奪された生活です。
その方と直ぐに市役所へ行き、生活保護を受ける手続きをしてきました。申請を直ぐに受け付けてくれましたが、所持金が無いため今日の食事、明日の食事代が有りません。申請が受け付けられても直ぐには保護費を受給できず、つなぎの資金を借りなければなりません。職員が計算していましたが、一日の食事代金はなんと、500円。1回ならまだしも、3食で500円 これでどうやって食べていけるのでしか?人間としての食事が摂れるのでしょうか?
新聞やテレビなどで、所持金無しで生活保護を受けた方のことなど、知ってはいましたが、まさか、三田市内でもそのようなことが、しかも私が相談を受けた人のケース。
生活保護を受けなくても安心して生活できる社会システム作りがどうしても必要です。「人間としての尊厳」を持てる社会、安心して働き、生活できる社会の実現がどうしても必要です
最近、相談を受ける方や、その家族・親戚に「心の病」に陥っておられる方が、実にたくさんあります。戦後数十年で人間そのものが変わったのでしょうか?いや、決してそうではありません!そのような状況へひとを追い詰める社会となってしまったのではないでしょうか?
小泉政権後、構造改革を推し進め、「効率優先」「できて当たり前」の社会へと大きく変えられてしまいました。仕事でも、教育でも、多様な結果ではなく、一つの答えが求められ、追求される。できなければ「自己責任」とみなされてしまう。決してそうでなくても。
現実の社会では、「寅さん」や「浜ちゃん」は受け入れられない。全て100点満点を取れる人だけが求められ、できなければ排除される。
もうそろそろ、目覚めてもいいのではないでしょうか?ゆっくり歩く人、早く歩く人、Aはできなくても、Bができる人。だから社会が成り立っているのです。
そんな社会をもう一度取り戻し、ひとり一人が大切にされ、いたわれる社会をご一緒につくっていきませんか