常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

小さな喜び

2018年02月08日 | 日記


私にとって小さな喜びは日常にある。読書で感動の一冊を読み切りことは大きな喜びだが、拾い読みで、知らなかったあるいは気づかなかったことを、見つけることは小さな喜びである。今朝も、「衣手」についての小さな発見である。昨年から詩吟の吟題として何度も吟じてきた天智天皇の「秋の田の」に出てくる言葉である。「わが衣手は露にぬれつつ」とあるが、衣手を勝ってに解釈して、衣についている手、袖という理解をしていた。

萩谷朴『語源の快楽』の頁を繰っていると、「衣手・酒手・網手・帆手」という項に行き当たる。萩谷はこれらに使われている手は、人間の肉体の手とは全然関係のないことを説いている。そもそも衣手を袖と解釈しては、袖だけはぬれて、身ごろはむれないというつじつまの合わない意味になってしまう。これは、布を意味する𣑥(タエ)が衣に付いて詰まってテとなったものである。酒手は別だが、網手、帆手もその原料である𣑥が使われいる、と説明されている。

相撲の関取は、防人(関守)からきている。諸国から力の防人が募られて、海の防衛に当たった。在京する間は、天皇の御前で相撲を取ることを許されたのが関取である。これは閲兵のようなもので、その力を示すことで、敵が国に迫ってきても安心感を与えたのであろう。関取のなかで一番に強者にあたる最手を大関と言い、その次のものを関脇と呼んだ。ちなみに横綱とは、大関のなかで、人格・力量抜群の者である。

ガン検診の結果が送られてきた。通常生活では異常は感じないものの、健診の結果がでるまではどこかに不安がある。大腸も、胃も異常なしという結果であった。この結果をもらう度に思うことは、次回検診まで節制しようということだ。しかし、いつも間にかそのことを忘れて、食い過ぎ、飲みすぎに走って、健診の結果に不安を抱くようになる。
コメント
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