常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

降り続く雪

2021年12月19日 | 日記
2日続きの雪である。日中の気温も氷点下のままだ。雨雲に比べると、雪を降らす雲は白く、幾分明るいような気がする。そもそも雲が薄いのかも知れない。昨日の夕方、東の空に、この薄い雲を通して、満月が透けて見えた。しばらくすると、その雲が月から離れて、冬の青空が広がり、満月が白く光っていた。同じ青空でも、秋の深い青空に比べると、どこか白んで寒々としている。咲いた山茶花に雪がかかっていたが、けなげに咲く花に元気をもらう。

山茶花の濃しと見たれどなほ淡し 篠田悌二郎

手元に写真家・柏倉新吉さんの写真集『白き神々』がある。1988年の発行で、テーマは蔵王の樹氷である。柏倉さんはこの写真を撮るために、蔵王温泉で働き、早朝に山に入って、樹氷の輝きを撮りためたと、語っていた。アオモリトドマツに松枯の被害が広がって、樹氷の危機が言われている。それでも、昨年の冬、樹氷原に出かけ、樹氷と氷瀑をみてきた。写真集には、太陽の光で時々刻々と変化する樹氷の姿が収められている。巻頭言は、あの「千の風になって」を訳詩した新井満氏である。氏はこの12月3日、75歳で逝去された。

「彼らのいのちは一瞬でしかない。一吹き風が吹けば、もうそこにいない。一瞬に生き、一瞬に死ぬのである。だが変幻自在の一瞬をくり返すことによって、彼らは永遠に生きてきた。うなだれて立ちつくす白き神々たちを真赤に染めながら、夕陽が落ちてゆく。その光景を記憶しておこうではないか。この地球に、わたしたちはたしかに滞在したのである。そのあかしとして網膜に刻んでおこうではないか。」(あらい・まん 作家)

一冊の写真集が、人が生きていく意味を教えてくれる。毎日の散歩のなかで目にする自然の移ろい。その時に感銘をうける風景や花々、どれもが哀れな生の意味を語っている。
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