川の辺を歩くと懐かしい。川の辺の生まれということもあるが、少し郊外に出ると至るところに川があるせいかも知れない。朝の光を受けた淀んだ川で、ウシガエルの野太い鳴き声にも風情がある。昨日歩いた川は、借りている野菜畑の近くを流れる川である。その川べりに沿って、丁度散歩やジョギングに適した木陰のある道がある。桜並木があって春には見事な花をさかせる。家から畑まで少し距離があるので車で行き、近くの公民館に車を停めさせてもらってウォーキングをする。
たまたま、市から洪水ハザードマップが送られてきた。この地図で見ると、写真の流れはあと数百m先で須川に合流する犬川であった。上流の荒楯付近で恥川が流れこむ川だ。荒楯の辺りは、大雨になると暗渠で流れるこの川が溢れて水浸しになったことがしばしばであった。辞典で見ると、犬川は犬の川端歩きの略、という説明もあった。小さな犬を引いて散策している姿を見ると、ふとほほ笑ましい気になる。
やはりこの川は、周辺の田畑を潤すために利用されて来たのであろう。蔵王山系からの水は山形市内には馬見ヶ埼川となって流入するが、盆地の入り口でに水を市内へ分配して流すシステムが考えられた。山形五堰である。七日町を流れる御殿堰もそのひとつだ。六小の辺りを流れるのは笹堰と呼ばれる。これらの堰も、田畑を潤しながらこの犬川へと流入しているのであろうか。それ故に、人は川に恩恵を感じ、共同で管理し川を大切にしてきた。トイレの水洗化の普及で、どの川にも清流が戻ってきている。
川には懐かしさと同時に畏怖もある。川の辺を歩きながら思いおこすのは、故郷の川である。原始林の中を大きく蛇行して流れる石狩川。川の対岸は異国であった。見知らぬ土地へ行くための橋を架けるのも、明治政府の難事業であった。巨大なコンクリート製の橋脚が作れたのは、昭和になってからであろうか。流失を防ぐためにその橋脚には、人柱として生きた人間を埋め込んだ、と真顔で兄たち言っていたのを今も記憶している。夏の水遊びで親しむ川だが、一たび大雨に降られると、大きな牙をむいて、生活基盤を破壊するのも川の水だ。1時間に100㎜を超す雨が降ることも珍しいことではない。梅雨の季節を迎えて、コロナの対策に加えて、洪水に対しても目を向けなければならない。
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