常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

光禅寺の花たち

2022年05月09日 | 
光禅寺は山形城主・最上義光の菩提寺である。市内鉄砲町の境内には、義光、家親、義俊三代の墓がある。庭園は江戸初期の遠州流の名園である。この季節庭の牡丹が見事だ。毎年、咲く時期に会わせて見に行くが、時季を誤って、盛りを過ぎたころ訪れることが多い。義母の家がすぐ脇にあったので、生前は見逃すことはなかったが、亡くなってからは決まって遅れたような気がする。今年は辛うじて、落花の前に見ることができた。やはり、牡丹の華やかさに圧倒される。

蕪村ほど牡丹の句を詠んだ俳人はいない。咲き誇る牡丹の命は短い。花弁が散って残骸となっていく姿を見たくなかった。そこで、切り花ということになる。
 けふや切るべき牡丹二もと 蕪村
 ぼたん切て気のおとろひし夕べ哉 蕪村
 ちりて後おもかげにたつぼたん哉 〃
庭園の向こうにある庫裡には、打って変わって小さく可憐な三寸あやめ。牡丹を見てから、しゃがみこんで愛でる紫の花だ。その対称的な存在が面白い。寺の周りを歩きながら、祀らている最上義光もこんな花を愛したのであろうか。想像を巡らせてみたくなる。戦国の生きた武将は、生死をかけた日常を生きている。連歌や和歌など、風流の世界の気を紛らわせた。菩提を弔う僧たちは、このような花を咲かせることでやすらかな死後の世界を演出してみたであろうか。

さらに地味な翁草。昨年まではもっとたくさんあったような気がするが、ことしはわずかに三もとが咲き終わろうとしている。俯いた花は、赤黒い血の色だ。斎藤茂吉が愛した花だが、城に咲く射干と並んで武将弔うにはぴったりの花だ。

 かなしきいろの紅や春ふけて
  白頭翁さける野べを来にけり 茂吉
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