常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

成人の日

2021年01月16日 | 日記
戦後、1月15日は成人の日と決まっていた。消費や旅行をしやすいようにと考えたのか、日曜日と続くように移動し、土曜日からの3連休となるように、祝日が変更するようになってからしばらくになる。そのために、今年の成人の日は11日の月曜日であった。新型コロナの感染拡大は、連休による人の移動や集会にリスクがある。多くの自治体が、成人式を中止したり、延期したり、早めたりして、3連休と切り離す動きを見せた。横浜市では中止せずに式を行い、路上で日本酒の瓶の回し飲みが、テレビの映像に何度も写った。

そもそも人が大人になるというのはどういうことか。成人すれば法律で禁止されていた酒や煙草をたしなむことが解禁される。だが、酒を飲むことが大人になったことにはならない。通過儀礼(イニシエーション)ということがある。かっての社会では、大人になるために通過しなけれならい行為が存在していた。15歳の元服は男が大人になる年であるが、その年斎藤茂吉の父は、15歳の茂吉を湯殿山詣りに連れて行っている。

その行程は、家のある金瓶から本道寺まで14里、ここで一泊。二日目は暗いうちに起きて志津から湯殿山の神社に詣で、帰って志津で一泊、16里。この日は雨、風。谿の氷の上に這いつくばって、風を除け難を避けたがびしょ濡れになって宿の着く。三日目は、14里の道を金瓶へ引き返した。茂吉への褒美は帰路の茶屋で買ったぬた餅である。ずんだ餅といえば、知っている人もいるかも知れぬ。14里はおよそ54.6㌔、以下に長い距離を三日で歩き通したかが知れる。

米沢や会津に住む人たちは、飯豊本山を目指した。頂上の手前にお秘所と呼ばれる岩場の難所があるが、そこを通過して下ってきて初めて、一人前の大人として認められた。また集落のなかに若者宿というものがあった。ここへ15歳になった若者が親元を離れて集まり、先輩の話を聞いたり、夜間に肝試しと呼ばれる課題を行うしきたりもあった。大人になることは、身に迫る危険に備え、対処する心と体力を身につけることである。成人式に行って、酒を飲んだり、式場で暴れまわるようなこととはおよそ違った概念である。
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