朝、家を出るときは靄のような空にチラチラと雪が舞っていた。天童ゴルフ場に着いたのは8時20分、雪はあがり陽がさし始めた。新年に入っての山行は、荒れた天気が回復する時期をタイムリー捉えている。昨日見た雪とは違って、山の新雪は朝日を受けて輝いている。幸運というほかはない。林道の行き止まりに一台の車が止まっている。その先に、一筋のトレース、輪カンジキというよりは、スノーシューのように見える。そのトレースからは、新雪に足を踏み入れる歓びが伝わってくる。そこから、本来駐車場となるべき登山口まで、20分の時間を要する。雪が履いた輪カンジキに馴染むために要する時間でもある。
冒頭写真の六角堂まで、勾配のゆるい林道である。カンジキが馴染んで、やや心拍も落ち着いてくるが、足の筋肉は雪のないときとは比較にならない。所要時間も夏道の5割増しだ。その分、雪景色の美しさが堪能できる。雪の山道も回を重ねるごとに喜びが深まる。まして、コロナ禍のなかで、趣味の集いが制約されているので、雪山の解放感は特別である。何故、こんな雪深いところへ出かけるの?という問いには、平凡に「好きだから」というシンプルな答えをするしかないが、山行を重ねるごとに新しい体験ができるのが大きな魅力である。住み慣れた場所では気が付かない季節や時の流れが、この自然のなかでははっきりとした形をとって、語りかけてくる。同じ雪でも、寒気のなかで見る雪には、はっとする美しさがある。
枝に積った雪が、ぽとりと盆の窪に落ちてきてひやりとする。一陣の風がくれば、この雪はたちまち吹雪のような景観となって現れる。もし風が吹き続ければ、山行は中止せざるを得ないであろう。『北越雪譜』に晴れた日の、木に積った雪が強風に吹かれてホワイトアウトの状態で被害がでるという記述もある。この日の風は、尾根筋でやや強かったものの、荒れた気候がおさまって、どこまでもやさしい冬の表情で、我々を迎えてくれた。
七曲りの辺りまで来ると、一人のスノーシューはいた女性が下山して来た。七曲りを所々でショートカットして、スキーのように直線で降りてきている。仙台からここへ登りに来た若い女性であった。我々の前にトレースつけてくれたまさにその人である。「午後用事があるもので、朝の内に登りました。トレースのない山道を歩きました」と屈託がない。多分何度も来ているのだろうが、いくら低山でも、他県への単独行は勇気がいる。我がチームでは、なかなか一人で雪山を登る人はいない。
六角堂から水晶山神社までほぼ1時間。交代でラッセルしながら、雪のなかを楽しんだ。神社の裏へ廻り、切り立った岩を巻くようにして登ると頂上に出る。三角点はすっかり雪の中だ。かわりに、東側の猪野沢集落と面白山をはじめとする二口山塊が連なって見えた。青空も見えている。本日の参加者は6名。(内男性2名)狭い頂上で身を寄せて記念撮影。やや風が強く668mという低山だが、寒さが身に沁みる。山頂の近くの神社はは、この山が信仰の山であることを物語っている。水晶山神社は雷神を祀ると言われているが、やはり近隣の農業のための感慨用水を確保するため、水が涸れることないように近隣の住民たちが祈ったものであろう。
雪の山は、危険個所がないかぎり、下りが快適である。七曲りを尻セードで子どものうように楽しみながら下りて、六角堂まで40分。ここで昼食となる。持参したカップヌードルにお湯を注いで4分間。暖かい麺とスープがうれしい。12時52分、全員無事下山。予定外の山行であったが、ハラハラしながら天候の回復を待った甲斐あって楽しい一日となった。
雪嶺の光や風をつらぬきて 相馬遷子