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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

睦月

2021年01月03日 | 日記
一月のことを、かつては睦月、むつきと言った。一年に一度、親せきや友人が集って、睦み親しみ合うことからきているらしい。今年はコロナの影響で、こんな昔からの風習も自粛を余儀なくされいる。
今日も朝から雪、気温は-2℃。こうまで雪が続くと、すっきりとした青空が恋しくなる。昨日の駅伝の中継を見たが、関東の空は、雲ひとつない青空であった。背骨のように列島の中央を通る山脈の、東と西では、これほど気候が違うのかと、この季節になると思い知らされる。

あんどんの油なめけり嫁が君 子規

札幌の友人が、気温が零下19℃まで下がったと知らせてきた。こんな知らせに接すると、昔過ごした北海道の正月が思い起こされる。薄い戸板だけの廊下はさしづめ冷蔵庫のようであった。した豚のや牛の足が一本まま天井から下げてあり、一冬の一家の蛋白源を賄った。10人ほどの大家族には、これくらいのワイルドさが必要であった。そういえば、成人して友人の家を訪ねた時、居間の後ろの窓を開けて、雪の中にビールをさし込んで冷やしてご馳走になったことも忘れられない。天井を走り廻るネズミの音が年中聞こえてくる。養蚕などしている農家では、ネズミは害獣で嫌われた。「嫁が君」というは、ネズミのことで、ネズミをいないものとする隠語であった。明治の頃は寝静まった家の行燈の油を舐めることもあったらしい。

新年も三日目になると、お節というのが飽きてくる。二人住まいで新年を過ごすためにほんの少しだけ準備したものが、まだ大量に残っている。年を重ねると、食べる量が少なくなっていることに改めて気づかされる。明日も、明後日も、残さずに食べるには、飽きたなどとは禁句になる。早くいつもの食事に戻りたいと思うのは、食べる量が少なくなったことと大いに関係している。
コメント (2)
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