「ねえ、本当(ほんとう)にここなの?」ブランド品で着飾(きかざ)った娘(むすめ)がささやいた。
「はい、お嬢様(じょうさま)」と付(つ)き人の娘が答えて、「ここで間違(まちが)いないはずです」
そこは薄汚(うすよご)れたビルの一階にある美容室(びようしつ)だった。上流階級(じょうりゅうかいきゅう)の女性の間で、幻(まぼろし)の美容師(びようし)がいると噂(うわさ)されていたのだ。二人が中に入ってみると、外観(がいかん)とはまったく違っていた。店の中は奇麗(きれい)に整(ととの)えられ、髪(かみ)の毛一本も落ちてはいなかった。店主(てんしゅ)は二人を無愛想(ぶあいそう)に迎(むか)えた。
「あの…」付き人はいかめしい顔の店主に声をかけ、「こちらに幻の美容師がいると…」
「さあね…。どうするんだ。やるのか、やらないのか」男は客を見ようともしなかった。
「もちろん、お願いするわ」お嬢様は鏡(かがみ)の前に座(すわ)ると、「この雑誌(ざっし)に載(の)っている髪型(かみがた)にしてちょうだい」
お嬢様の目配(めくば)せで、付き人が雑誌を開き男の前に差し出した。
男はそれをちらっと見て、「やめときな。あんたには、今のままがお似合(にあ)いだ」
「それ、どういう意味(いみ)!」お嬢様は立ちあがり男を睨(にら)みつけた。だが男は気にもとめず、付き人の顔をじっと見つめて、「あんた、いい顔してるな。もっと奇麗になりたくないか?」
付き人の娘は、男の迫力(はくりょく)におされてうなずいた。すると男は有無(うむ)も言わせず娘を座らせ仕事(しごと)にとりかかった。男の手さばきは軽(かろ)やかで、無駄(むだ)がなかった。あっという間に仕事を終わらせた。驚(おどろ)いたことに、鏡に映(うつ)った娘の顔は、まるで天使(てんし)が舞(ま)い降(お)りたようだった。
<つぶやき>誰かの真似をするのはやめにして、あるがままの自分を見つめてみませんか?
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