徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

書評:有川浩著、『ラブコメ今昔』(角川文庫)

2016年05月21日 | 書評ー小説:作者ア行

有川浩著、『ラブコメ今昔』(角川文庫)は『クジラの彼』に続く自衛隊ラブコメ第2弾です。短編ラブコメ小説が6作品収録されています。【ラブコメ】とはいえ、コメ要素よりはラブ要素の方が強く、全体的に甘々でちょっとほろ苦いという印象。どれも素敵なお話で、粒揃いな感じです。

ラブコメ今昔

表題作ですが、これはコメディー要素が他作品に比べれば強めかも知れません。50を過ぎた今村和久二等陸佐に「自衛隊員の皆さんに恋愛や結婚の経験談を語ってもらいたいんです」と突撃を書ける新米隊内紙記者、八部千尋二等陸尉。是非とも夫婦の馴れ初めを、と迫る千尋に、「あんた、俺を一体いくつだと思ってる!五十も過ぎたおっさんが古女房との馴れ初めなんぞ隊内紙でべらべらたれ流せるか、みっともない!」とけんもほろろに拒絶する今村二佐。何度も突撃をかけられるうちにその古女房との馴れ初めに思いを馳せるおっさん。結局千尋の熱意と策略に負けて語るに落ちることになります。語られる馴れ初めはお見合いからですが、とても微笑ましくもさりげない話。おっとりした奥様が実は今村氏に一目惚れだったとのことで、「まあ!」と思わず合いの手を入れてしまいそうな感じ。

語るに落ちた今村氏は隊内結婚について厳しい考え方もシビアに語っています。女性隊員の隊内結婚率は高いけれど、離婚率も相当高いのだとか。配属先が一緒になることは難しいので、それぞれ単身生活ということも少なくない状況で、緊急事態の時に「家を預ける」あるいは「後を任せる」ことができず、子供がいる場合は両親がいっぺんに亡くなるリスクもあるので、その辺を若い人たちは真剣に考える必要がある、と今村氏は語ります。

自衛官はいつ何が起こるか分からない職業だからこそ、そのパートナーには待つことと内助の功が特に求められるのだな、と納得してしまった次第です。

ちなみにここに登場するカメラマンの吉敷一馬二曹と新米記者の千尋は実はカップルで、その馴れ初めは「ダンディ・ライオン~またはラブコメ今昔イマドキ編」として最後に収録されています。

 

軍事とオタクと彼

こちらはちゃきちゃきの関西人で行動力のある営業職の桜木歌穂(25)が、出張帰りの新幹線の中で席を譲ってくれた男子、海上自衛官の森下光隆(23)と恋に落ちるお話。かわいい笑顔にやられちゃってる感じです。最初なかなか関係が進展しなかった理由は、彼がオタクだということを隠していて、隠したまま関係を深めることに躊躇していたから。なかなか誠実な理由です。

海外派遣に志願した彼は、数か月の留守の間、何とかレンジャーやら何とかライダーやらの録画を彼女にお願いして必要な機器一式を買い与えるのですが、それをオタクだと覚悟して付き合いだしたからと引きもせずに鷹揚に引き受ける彼女がえらいですね。こういう「内助の功」もありなんですね、彼がオタクなら、とちょっと笑ってしまいました。だけど、隊員宿舎の天井には彼女の写真が一杯貼ってあったりして、ちゃんとリアル3次元で恋をしているところがまたかわいい。甘々不器用(遠距離)ラブストーリーという感じですかね。

 

広報官、走る

防衛省幕僚監部広報室に在籍する政屋征夫は、「開かれた自衛隊」をアピールする目的で上官が強力を決定したとあるドラマ撮影の段取りに奔走し、自衛隊との連絡係を担当するAD、鹿野汐里と共に時間厳守の自衛隊と遅刻・ドタキャンが日常茶飯事のテレビ局側との衝突の間に入って苦労する羽目に。ディレクターの王様ぶりに振り回されながら二人で協力するうちに惹かれ合っていくのですが、トラブルの連続で恋人になるのはクランクアップが済んでから。つまり、お話のラストになってから。なので、これはどちらかというと「プレラブストーリー」みたいな。。。 なんか普通の大人のリアルな関係、という印象を受けます。「普通」というのは、全然強引でない、女性慣れしてるとは言えどもいざとなると不器用な男と、仕事に真剣に打ち込んでるけど自信満々のキャリアウーマンでもなく、進んで異性にアピールするタイプでもないまじめな女性の仕事上の出会いで、ゆっくりと近づいていく関係だからでしょうか。

お互いの立場を思いやって、可能な限りかばい合っているけれど、立場上身動き取れないこともあって。。。などという大人の事情が描かれ、お互いにその事情が分かってる、というところが【大人】の関係を強調しているように思えます。

でも、本音を言えば、ちょっとつまんないかも。

 

青い衝撃

これは夫婦のお話。空自の花形「ブルーインパルス」の人気パイロット相田紘司を夫に持つ妻公恵の苦悩が描かれています。展示飛行のあったある日、紘司を囲むファンの一人が公恵を見て、勝ち誇ったような意味深な笑みを向けます。やがて展示飛行のたびに不気味なメッセージが紘司の制服の後ろ襟にしこまれて公恵の元に届くようになります:「あなたにだったら、勝てそう」、「今日も紘司さんは素敵でした」などなど。単なる嫌がらせだとは分かっているけれど、若くて美人のファンと比べて、自分が所帯じみて、肌の衰えを感じてしまわずにはいられない彼女はかなり自信を失い、動揺します。「女として負けてる」という思いが邪魔してなかなか夫にも相談できず、一人で悩みを抱え込んでしまい、それがストレスになって、家族関係がぎすぎすしだします。でも夫紘司は妻の様子がおかしいことにちゃんと気づき、自分には話してくれないと分かると、彼女と仲の良い同僚の奥さんに話を聞いてもらうように頼みます。そこらへんがやはり愛妻家ならではの対応だな、と思いますね。

全てが明らかになった後、紘司は「こんな職業だから、もしもの時に家を任せられる女じゃないと結婚なんかできないよ。ファンですって言ってくれる女の子たちの中にも退院との出会いはあるかもしれないけど、結婚してる隊員の妻にこんなことをしてくるような女に地上のことを任せて飛ぶなんて、少なくとも俺には考えられない」と妻に言い聞かすシーンがあります。この紘司の考え方が、有川浩の自衛隊シリーズに一貫して出て来る自衛官の考え方というか自覚あるいは覚悟のようなものの典型ですね。ここに自衛官との恋愛を描く面白味というか意味があるのだと思います。

 

秘め事

陸自の飛行隊所属の手島岳彦二尉はある日上官の水田三佐から、「娘の友達に自衛隊が好きという女の子がいて、自衛官の彼氏が欲しいらしいので会ってくれ」と頼まれ、上官の娘有季とその友達朱美に休日の駐屯地を案内することに。朱美は手島など眼中になく、駐屯地を駆け回り、手島の後輩である戦闘ヘリパイロットと意気投合。一方手島は上官の娘有季の方と意気投合してしまう。朱美と手島の後輩を引き合わせた後、手島と有季も付き合うことに。上官/父親に言うタイミングを図りつつ、結局内緒のまま2年も付き合ってしまう。同僚の事故死した際に、水田三佐が「娘にはこのような苦労をさせたくない」と言っていたのを聞いてしまった手島は動揺して、有季に別れ話をもちかけてしまう。なんとなくわかれる程度にしか思われていなかった、と傷ついた彼女はそれ以降連絡を絶ってしまい、深く反省した手島はついに水田三佐に「お嬢さんに会わせてください」と体当たり。うーん、男らしいねえ。隠していたことの罰を受けるつもりで、一発は甘んじて受けるけど、その後は殴り合い。勝ったら娘に会わせろ、みたいな勝負事に…

実はこのお話が一番ドラマ的盛り上がりがあって気に入ってます。

 

ダンディ・ライオン~またはラブコメ今昔イマドキ編 

「ダンディ・ライオン」は吉敷一馬二曹の写真コンテストでグランプリを撮った作品名。朝霞駐屯地の通信群に配属されていた防大出たての矢部千尋三尉が写真に惹かれて「吉敷一馬」を探し出して、猛アタックするお話。

一方、自分の写真で伝えたいと思ったことが伝わるとは全く思っていなかった吉敷一馬は、千尋が彼の写真のメッセージを正確に捉えたこと、彼女が防大出の上官であることと彼女の猛烈アタックぶりにパニックを起こし、思わぬ冷たい言葉で彼女を振り払い、傷つけてしまう。

そこから恋人になるまでのいきさつや二人のやりとりが生温かく描かれている作品です。時系列としては『ラブコメ今昔』の少し前。20代後半の人たちの話なのに、なぜかうぶな初々しい青春を感じさせるような展開です。「いいねえ、青春!」などとババ臭いことを想いながら楽しませていただきました。

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書評:有川浩著、『レインツリーの国 World of Delight』(角川文庫)

書評:有川浩著、『ストーリー・セラー』(幻冬舎文庫)

書評:有川浩著、自衛隊3部作『塩の街』、『空の中』、『海の底』(角川文庫)

書評:有川浩著、『クジラの彼』(角川文庫)

書評:有川浩著、『植物図鑑』(幻冬舎文庫)


書評:有川浩著、『植物図鑑』(幻冬舎文庫)

2016年05月20日 | 書評ー小説:作者ア行

有川浩作品をまとめ買いしたのが、昨日届いたので、早速手に取ったのがこの『植物図鑑』。作者の野草料理実体験に基づいて書かれているとか。登場する植物の写真と野草料理のレシピ付きで勉強になります。

主人公さやかが酔っぱらって帰宅したとき、マンションの前で行き倒れていたイケメンを拾うことから始まる不思議な同居生活。「よかったら俺を拾ってくれませんか。咬みません。躾のできたよい子です」という彼、樹(イツキ)を部屋に上げ、カップラーメンと風呂と寝る場を提供。樹の方は一宿一飯の恩を返そうとしたのか、冷蔵庫にあったなけなしの材料で朝食を作り、さやかの心をガッツリつかんでしまった(私の心もガッツリつかめるなー)。このスーパー家政婦を逃がすまじと、さやかは樹を引き留め、同居契約を結ぶことに。樹は実は重度の植物オタクで、春になると週末ごとにご近所でフキやらノビルやらセイヨウカラシナやら、「雑草」と十把一絡げに無視されそうな野草を摘みに行く「狩り」が二人の定番に。狩りの後は樹が野草料理の腕を振るって、二人で美味しく頂く、という実に楽しそうな同居生活が淡々と描かれています。男女の同居生活なのに、性的なムードが一切なし。まじで樹は「草食男子」だなどと妙に感心していた前半。

さやかの方は樹にどんどん惹かれているのに、樹がどう思っているのかかなり謎だったのですが、あることをきっかけにさやかが自分の気持ちをぶちまけてしまい、そこで初めて樹もさやかが好きで、ずっと理性で生殺し状態を我慢していたことを白状します。そこから単なる同居人から甘い恋人に進化するのだけど、樹という人間は謎のまま。分かっているのは名前と写真を撮るのが好きなことと植物に詳しいことくらい。この謎の男は資源ごみの日に突然部屋を同居前の状態に戻して行方をくらまします。「ごめん、またいつか」という書置きと野草料理のレシピを残して。さやかは残されたレシピを頼りに何とか心のバランスを取りながら一人で野草摘みに出かけ、一人で料理して、彼との思い出をたどらずにはいられない、その一途さはきゅんと来ます。彼女は帰ってくるか分からない樹を待つともなく待つ切ない日々を送ります。

私はひょっとしてこの謎の男は永遠に帰ってこないのではないかとちょっとひやひやしていたのですが、有川浩のラブストーリーに限ってそんなことはあるはずないのでした。ハッピーエンドで安心しましたよ。そして、こんなに美味しいイケメンが落ちてたら、私も拾うなーと思ったのでした。

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書評:有川浩著、『レインツリーの国 World of Delight』(角川文庫)

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書評:有川浩著、『クジラの彼』(角川文庫)

 


ドイツ・ワインの谷、アールヴァイラー

2016年05月18日 | 旅行

今日は会社のチームイベントでワイン生産で名の知れた観光地アールヴァイラー(Ahrweiler)に行ってきました。近場なので、何度も行ったことがあるのですが、電車で行ったのは今回が初めて。ボン中央駅から約30分でアールヴァイラー・マルクトに到着します。直線距離にして約35㎞。

アールヴァイラーがなぜ観光地かと言うと、ワインの谷が美しいというのもありますが、旧市街がほとんど完全な状態で残された城壁に囲まれており、中世の面影を色濃く残しているからでもあります。893年のプリュムのベネディクト修道院の文献における記録が初出ですが、集落としての歴史はローマ帝国時代まで遡れます。

アールヴァイラー旧市街の地図

アールヴァイラー・マルクト駅から一番近い旧市街への入り口・アーデンバッハ門

旧市街には17世紀・18世紀に建てられた木骨家屋がたくさんあります。

      

 

 

昼食は1761年創立の古式蒼然としたレストランで。

  

注文した料理は「小さなポエム(Gedichtchen)」という豚ヒレ、アスパラとオランダソース、ポテトコロッケのお皿でした。ホワイトアスパラガスと豚ヒレの組み合わせは割と珍しいです。料理の命名センスも面白いですね。

 

昼食後はゆっくりと1.8km程歩いて、いわゆる「政府ブンカ―(Regierungsbunker)」に行きました。

   

正式名称は「国家機関待避所(Ausweichsitz der Verfassungsorgane)」で、NATOの指示によって1960年から1972年にかけて極秘に作られました。

元は20世紀初頭に第1次世界大戦準備のために建設された鉄道トンネルで、未完のまま第1次世界大戦後にフランス軍によって西側の出入り口が爆破されました。1930年から1939年まで未使用のトンネルはマッシュルーム栽培に使われていました。第2次世界大戦末期は様々な武器製造企業がそこに生産ラインを持ち込み、トンネルの外に大規模な強制収容所が「ブドウの木収容所」というコードネームで設営され、強制労働者たちを収容していました。第2次世界大戦終了後、連合軍によって一部の出入り口が破壊されました。

ドイツ連邦共和国として独立し、NATOに加盟後、冷戦対策の一環としてNATO加盟国全てに政府機関退避所の建設が義務付けられました。NATOの要求基準は最大3000人が少なくとも30日間滞在可能な施設で、西ドイツ首都だったボンにはその規模の施設が建設できるようなスペースがなく、ボンからほど近いアール渓谷の未使用トンネルに白羽の矢が立ったのでした。

ブンカ―は基本的に2階層で、一階部分にオフィスや会議室などがあり、2階部分が寝室になっていました。ここで1966年から1989年まで2年ごとにNATOの演習が行われ、真剣に第3次世界大戦のシミュレーションなどが行われていたそうです。1997年に施設の放棄が決定し、解体が始まり、2008年に博物館として残された部分を除き解体作業が完了しました。

ブンカ―のモデル。右側の明るい部分が現在博物館になっている部分。中央部はマリエンタールという街で、トンネルの切れている部分。左側のトンネルは最後に南部にカーブしてデルナウという街に出る。

 安全扉開閉のための機械室 

安全扉  

消毒キャビン 診察室 

電報室 電報室 

管制室 管制室 

消防用備品 会議室の戦略検討用地図 

 放送室 

オフィス 美容室 

大統領寝室 大統領応接室 

解体後のトンネル首相寝室 

普通寝室 シャワールーム 

ブンカ―は一応ヒロシマ型原爆程度の威力になら耐えられる強度を持っていましたが、ブンカ―建設当時には既にもっと威力のある原爆が開発されていたので、原水爆使用を含む戦争には実は全く役立たずだったのですが、結局想定された事態にならずに済んでよかった、と言うべきでしょう。

ちょっとばかり現代史の勉強をした後はワイン畑(急斜面!)を通って、景観を楽しみながら旧市街へ戻りました。

  

 

トータル4時間ほど座って休憩することができなかったので、街に戻ったときは足がかなり痛くなっていました。。。休憩はコーヒーとワッフル。

どうもお疲れさまでした。


アールヴァイラー旧市街からブンカ―へ行く途中にはローマンヴィラがあります。

この中には2012年10月に入ったことがあります。2世紀頃に建てられ、5世紀まで使われていたようです。後に土砂に埋もれて、9世紀ごろには埋葬地となっていたようです。道路が建設されるまでそれらすべてが土砂の下に埋もれていたのでヴィラが発見されたときはかなりのセンセーションだったようですね。大きな浴室やチャペルのようなものもあり、かなり大規模な荘園だったようです。

               

 


牧美也子(原作)、 池田悦子(作画)『悪女聖書』全27巻(ゴマブックス)

2016年05月16日 | マンガレビュー

今日は聖霊降臨祭の月曜日で祭日だったので、たまには大人の漫画をと思い、絵柄に惹かれて『悪女聖書』全27巻(ゴマブックス)を大人買い、一気読みしました。

作画に関しては、魅力的な絵も多いのですが、作中では割とデッサン狂いのコマも多くて、ちょっと残念な感じです。

牧美也子氏の原作は読んだことがないので、どの程度この漫画が原作に忠実なものかはわかりませんが、何というかストーリー展開が壮絶で、一度読みだすとやめられないものがあります。まず主人公の【悪女】役根津業子(ねずなりこ)の設定からして非凡。彼女は恋に破れて首を吊った巫女から産み落とされ、同日に祝言を挙げた実父に引き取られて、家族からも村人からも疎まれて育ちます。同じ年に正妻から生まれた異母妹恵は母親同様異母姉である業子を目の敵にし、その業深い生まれにもかかわらずたぐいまれな美貌と頭脳を持った彼女に嫉妬と憎悪の限りをぶつけます。因縁深い姉妹の和解は最後までなし。

主人公業子の悪女ぶりは、彼女の思い人と恵との間に持ち上がった婚約話を阻止しようとすることから始まります。破談には成功しますが、思い人である貴志と一緒に東京に逃げる話は彼女の企みがばれてしまいご破算に。彼女は高校を中退して一人で上京することに。女工として働くことからスタートした彼女が女の武器と悪知恵をフルに使い、様々なステップを踏んで、生け花曙流家元夫人に収まる様子など、圧倒されるばかり。ただし家元夫人の地位は長く持たず、そこに至る過程で踏み台にした曙流理事の反撃に会い、謀略で家元の跡継ぎを妊娠してしまった女性に同情して身を引いたところで第1部終了。

第2部の舞台はパリ。ここでは邪魔者を簡単に消そうとする伯爵様がターゲット。消されそうになったアパートの先住人アニタと結託してかなりの財産を搾り取ります。取り上げた先祖伝来の山城はがんセンターに寄付するなど、義賊的な行動も。危ういところから脱出するための協力者の一人から業子は日本へ帰国する前に、苦労させている妹に渡してほしいと、10カラットのエメラルドを預かります。

第3部ではこの苦労している妹(百合子)さんを訪ねるところから始まります。百合子はやくざ者に乱暴狼藉を働かれたところだったため、慌てて助けようとした業子は油断して、彼女に渡すはずだったエメラルドをその当の狼藉者に盗られてしまう。その乱暴狼藉はビデオに撮られていて、そのせいで縁談も破談となり、家族で運営していた小料理屋も縁談相手に肩代わりしてもらうはずだった借金が返せずに差し押さえられることに。父親は自殺し、百合子は心を病んでしまう。業子はエメラルドを渡せずにとられてしまったことにも責任を感じ、百合子のために復讐を決意。業子は赤坂の高級料亭の仲居として活躍します。復讐の過程で国会議員と恋に落ちたり、その議員の妻が彼女の異母妹だったり、料亭の同僚で、百合子に渡すはずだったエメラルドを帯止めとして持っていた夏世との騙し騙されの攻防戦があったり、と波乱万丈さに磨きがかかっていて、ページをめくる手が止まらない感じです。


ドイツ:世論調査(2016年5月13日)~トルコ人ビザ義務撤廃に6割反対

2016年05月13日 | 社会

ZDFの世論調査ポリートバロメーターが5月13日に発表されましたので、以下に結果を私見による解説を加えつつご紹介いたします。

EU・トルコ難民協定

「トルコ人のビザ義務撤廃についてどう思いますか?」:

いい 34%
悪い 61%

「EU・トルコ難民協定は失敗に終わると思いますか?」:

はい 59%
いいえ 34%

「難民のトルコへの送還及びトルコからの難民引き取りに関するEU・トルコ協定をどう思いますか?」:

いい 25%
悪い 68%
分からない 7%

 

以上のようにEU・トルコ難民協定の評判は最悪です。トルコ人のビザ義務撤廃に関しては欧州委員会は賛意を表したものの、それを認める条件としてトルコの反テロ法改正を求めたため、エルドアン大統領が怒り心頭で、「いつからトルコは外国からこのような指示を受けるようになったのか」と演説し、協定そのものまで疑問視するようになりました。もちろんドイツ人の協定に対する疑念は4月8日の世論調査でも明らかなように、緊張関係が生ずる以前からのことです。

「難民のEU内均等配分が成立すると思いますか?」:

はい 11%
いいえ 87% 

「難民受け入れ拒否国には罰金を科すという案をどう思いますか?」:

いい 81%
悪い 17% 


難民政策

メルケル首相とゼーホーファー・バイエルン州首相の難民政策支持率比較:

全体

メルケルの政策 49%
ゼーホーファーの政策 39% 

CDU/CSU支持者

メルケルの政策 69%
ゼーホーファーの政策 38% 

AfD支持者

メルケルの政策 6%
ゼーホーファーの政策 81% 

「ドイツはこれだけ多くの難民を受け入れることができますか?」:

はい 54%(前月比-2)
いいえ 42% (+2)


政党・政治家評価

「CDUとCSUは重要な政治問題で。。。」:

一致している 27%
分裂している 63%

 「両党の関係は今後。。。」:

改善される 11%
悪化する 21%
変わらない 60%

 

「もしCSUが全国展開するとしたらどう思いますか?」:

全体

いい 42%
悪い 47%

政党別賛成割合

CDU/CSU 39%
SPD 34%
左翼政党 40%
緑の党 35%
FDP 62%
AfD 76% 

CDU党首メルケル氏とCSU党首であるゼーホーファーは難民問題で特に対立を強めています。だからいっそのこと姉妹政党ではなくして、CSUがバイエルン州以外でも独立政党として議員候補を出すとすれば、CDUは票割れで都合が悪いでしょうが、東独のAfD支持者たちの一部はCSUに流れるかもしれません。CSUは伝統的に右寄り保守政党で、「自分たちより右の政党はない」と自負してきました。AfDの躍進によってその伝統が破られてしまったことに危機感を抱いています。こうした文脈の中でAfD票を取り込もうと全国展開の議論が出てきているのでしょう。

次は歴史的な低支持率が続いているSPD(社会民主党)についてです。

「SPDの支持率の低さの原因は主に。。。」:

全体

代表的な政治家 46%
政策内容 46%
分からない 8%

SPD支持者

代表的な政治家 44%
政策内容 48%
分からない 8% 

 

次の質問は現連立政権党の党首たちが党員から支持されているかどうかについてです。

メルケル―CDU

はい 21%
いいえ 72%
分からない 7%

ゼーホーファー―CSU

はい 62%
いいえ 23%
分からない 15%

ガブリエル―SPD

はい 31%
いいえ 54%
分からない 15% 

メルケル氏の党内支持率の低さは彼女の党首再選及び首相4期目が難しいことを示しています。ヘルムート・コール元CDU党首兼首相の長期支配記録を破ることは無理みたいですね。

 

政治家重要度ランキング(スケールは+5から-5まで):

  1. ヴィルフリート・クレッチュマン(バーデン・ヴュルッテンベルク州首相、緑の党)、2.2 (前月比-0.2)
  2. フランク・ヴァルター・シュタインマイアー(外相)、1.9(-0.3)
  3. ヴォルフガング・ショイブレ(内相)、1.6(変化なし)
  4. アンゲラ・メルケル(首相)、1.4(-0.4)
  5. マル・ドライアー(ラインラント・プファルツ州首相、SPD)、1.3(-0.3)
  6. グレゴル・ギジー(左翼政党)、0.9(+0.1)
  7. ウルズラ・フォン・デア・ライエン(防衛相)、0.6(-0.1)
  8. トーマス・ドメジエール(内相)、0.6(-0.4)
  9. ジーグマー・ガブリエル(経済・エネルギー相)、0.4(-0.3)
  10. ホルスト・ゼーホーファー(CSU党首・バイエルン州首相)、0.3(+0.1)

注意:上のランキング写真の矢印は前回(4月22日)との比較を表しており、上記のカッコ内に示した前月比は4月8日の値との比較です。

 

連邦議会選挙

 

「もし次の日曜日が議会選挙ならどの政党を選びますか」:

 

CDU/CSU(キリスト教民主同盟・キリスト教社会主義同盟) 33%(変化なし)
SPD(ドイツ社会民主党)  21% (-1)
Linke(左翼政党) 8%(変化なし
Grüne(緑の党) 14%(変化なし)

FDP (自由民主党) 7%(変化なし
AfD(ドイツのための選択肢) 13%(+1) 
その他 4% (変化なし)

支持政党にはSPDが1%減、AfDが1%増以外、特に変化ありませんでした。


1998年10月以降の連邦議会選挙での投票先推移:


政権に対する満足度(スケールは+5から-5まで): 0.6(前月比-0.4、前回比+0.1)


経済問題

一般的な経済状況:

いい 57%
どちらとも言えない 36%
悪い 6% 


自分の経済状況:

いい 58%
どちらとも言えない 34%
悪い 7% 


ドイツの経済は今後…?:

よくなる 24%
変わらない 54%
悪くなる 19% 

予想は予想ですから、当てになるわけではありませんが、「良くなる」とすでに好況の現状が「変わらない」と見る人を合わせて8割に上るということは、経済的に楽観的な見方が大半ということですね。


国外問題

「アメリカ大統領としてだれを希望しますか?」:

ヒラリー・クリントン 90%
ドナルド・トランプ 3%
分からない 7%

これを見ると、トランプ氏はドイツで随分と嫌われていますね。私も彼の民族主義、アメリカ中心主義、女性蔑視には相当嫌悪感を抱いておりますので、彼を支持するアメリカ大衆の見識を疑わざるを得ません。


 「ギリシャが行わなければならない改革は・・・?」:

厳し過ぎる 25%
ちょうどよい 51%
不十分 15% 

「債務免除についてどう思いますか?」:

正しい 34%
間違っている 61%

IMFやEU諸国の多くはギリシャの債務免除を求めてあるいは賛成していますが、ドイツは先の財相会議で断固反対しました。その硬い姿勢を国民の6割が支持している、ということですね。 債務免除になれば、大国ドイツの損失は大きく、結局ドイツ納税者が損失を被ることになるので、免除に対して否定的な態度になるのはやむをえないことです。

「EUはお得?」:

利益をもたらす 37%
一長一短 42% 
不利益をもたらす 19% 

ドイツはEUの要だということもあって、EUに対する反感はEU脱退を検討しているイギリス程強くはありませんが、今後の難民問題やギリシャ救済問題の方針いかんによっては反発が強くなることも考えられます。


この世論調査はマンハイム研究グループ「ヴァーレン(選挙)」によって行われました。インタヴューは偶然に選ばれた有権者1.263人に対して2016年5月10日から12日に電話で実施されました。

次の世論調査は2016年6月3日ZDFで発表されます。

 

参照記事: ZDFホイテ、2016.05.13の記事「ポリートバロメーター



ドイツ:世論調査(2016年4月8日)~EU・トルコ間難民協定に7割近くが疑念

ドイツ:世論調査(2016年2月19日)~国境検問再導入に賛成多数

ドイツ:世論調査(2016年1月29日)~メルケル支持若干復調

ドイツ:世論調査(2016年1月15日)~メルケルの難民政策支持率急降下


思い出のプラハ

2016年05月13日 | 旅行

ちょうど3年前の今頃、2013年5月11日-14日、女友達と二人プラハに行きました。FBで「x年前の今日」などというリマインダーがあり、プラハ旅行のことを思い出しました。この3年前のプラハ旅行が私にとっては初めての東欧旅行でした。チェコには実は1990年代初めに通訳の仕事でドイツのドレスデンからちょっとだけ足を延ばしたことがあります。国境のテプリチェという街でした。森林破壊についての取材だったので、観光はしてません。

3年前に話を戻します。2013年は春の遅い年でした。4月になっても霙が降ったくらいで、5月のプラハ旅行の天気を心配していたものです。旅行中はそこそこ天候に恵まれ、ラッキーでした。その翌月の6月、集中豪雨でモルダウ川が氾濫し、プラハの街は洪水で凄いことになっていました。自分たちは何とタイミングよく旅行に行ったのだろう、と感心したものです。

私たちが泊まったホテルはCasa Marcello

1000年以上の歴史を持つ聖アグネス修道院に隣接しています。

改築・増築を繰り返したためでしょうが、ホテルの造りはかなり複雑でした。私達の部屋は修道院が見えるところで、ホテルのフロントからかなり離れていました。ホテルのWiFiがほとんど届かず、廊下へ出て20mくらい歩いたところに椅子があったので、そこに座ってネット接続してました。

プラハについた当日は、取りあえずモルダウ川でディナークルーズ。

  

  

下の写真はカール橋とプラハ城(©Frank Spakowski - CC BY-SA 2.5)。私の当時持っていたカメラでは撮影不可能だったもの。素敵な夜景でした。

 

翌朝のホテルの朝食ビュッフェ。ここで素敵なアメリカ人老夫妻と一緒になり、ちょっと雑談。特にご婦人は愛想がよく話好きで、彼女たちの旅行のことを話してくれました。なんでもヨーロッパ横断旅行中とかで、ブダペストに行った後にプラハに来たとのことでした。彼女が熱心に「ブダペストは素晴らしかった」と褒め称えていたので、では私たちも次はブダペストに行こうと決め、2年後に実行に移すことになりました。

 

 

朝食の後はツアーでプラハ城へ。小高い丘の上にそびえるプラハ城は9世紀に造営された要塞が最初で、カール4世施政下(1346-78)やヴラディスラヴ・ヤジエロ2世施政下(1471-1516)に大規模な拡張工事がなされ、最後にオーストリア・ハンガリー帝国皇室ハプスブルク家の御世に豪奢なバロック様式の宮殿が建造されました。1918年以降、プラハ城はチェコ大統領の官邸となっています。要塞としての名残の城壁や見張り塔の他、チャペルや聖ヴィトゥス大聖堂や聖ゲオルグ修道院が敷地内にあります。

         

 

ツアーの一環でまたクルージングすることに… 幸いクルージング中は晴れ。

   

 

クルーズの後はちょっと街中を散歩。天気が大分崩れてきていました。

       

結構てくてくと歩き回ったので、かなり疲れました。夕食の写真はないので、多分簡単に済ませたのだろうと思います。安い食堂でグーラッシュ食べたのはこの日だったかも。

翌日の5月13日は晴れて、私たちはまたてくてくと旧市街へと歩いてゆき、小さなアルフォンス・ムシャ美術館を訪ねました。

    

 

休憩をはさんで、ユダヤ人街も覗いてみました。シナゴーグの中を拡大して見てみて下さい。

 

ユダヤ人墓地は立派な屋敷のようなものから単なる墓石のかけらまでいろいろ。。。

  

割と新しいシナゴーグも。なんだか目がちかちかするほど色鮮やか。

 

 

翌5月14日は20世紀初頭に立てられたアールヌーボー様式の市庁舎で開催中だったアルフォンス・ムシャ展へ。

       

展示会を見て回って足が疲れたので市庁舎1階のカフェで休憩。お値段はかなり高かったです。でもしっかりケーキも頂きました。

 

帰りのフライトまでかなり時間があったため、カール橋を渡って、プラハ城ふもとにある聖ニコラス教会へ。ロココ風のきらびやかな装飾にあんぐり。。。

         

 

プラハ城の近くだけあって、パレーが多く立ち並んでいました。

       

また橋を渡って、ホテルへ戻る途中、チェコフィルハーモニーの本拠地であるプラハ最大のコンサートホール、ルドルフィヌムを外から眺めました。

 

最後の夕食はまともなレストランで。でも、食べたのはやはりグーラッシュ。白くてモフモフしたパンがまた美味しい。

  

 

夕食の後に空港に向かい、夜の飛行機に乗ってドイツへ帰国しました。プラハ旅行は楽しかったですが、欲を言えば、もうちょっと天気が良かったらもっと素晴らしかったでしょう。

街中でちょっと興ざめだったのが、両替屋の多さ、でしょうか。いくら観光客多し、とは言え雨後の筍のごとく居並ぶ両替屋というのはやはり興ざめするものです。

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学術版『我が闘争』(ミュンヘン現代史研究所)ついに入手

2016年05月12日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

今年1月8日に発売された歴史批判的注釈付き『我が闘争』(Mein Kampf - Eine kritische Edition)は正式販売開始前に既に在庫切れとなっていました。初版は4000部のみだったので、当然といえば当然ですが。私がネット書店でこれを注文したのは1月末。それが今日になってようやく届きました。入手したのは第4版。わずか4か月の間に随分と版を重ねたものです。

本は思っていたより大判(29x22cm)で、2冊の厚みは11㎝。本棚にこんなスペースは空いてないので、床に直接置くしかありません。

 

届いたばかりなので、もちろん書評を書くような段階ではありませんが、序章だけでも実に興味深いです。この学術版の注釈は、歴史的背景の説明だけではなく、ヒトラーが『我が闘争』で展開した扇動的内容を徹底論破し、ヒトラーがどのような嘘やデマを書き込んでいたかを明らかにすることを目的としています。序章の序文でまずなぜこの歴史批判的注釈付き『我が闘争』を出版したか、その目的が語られます。序章の目次は以下の通りです。

序文 Vorbemerkung

『我が闘争』(ヒトラーオリジナル版)の成立過程 Zur Entstehungsgeschichte von Mein Kampf

『我が闘争』におけるヒトラーの言語 Hitlers Sprache in Mein Kampf

自己発見 Selbstfindung

伝記の構想 Entwurf einer Lebensgeschichte

党の歴史 Parteigeschichte

民族主義陣営及びNSDAP党内における自己の位置づけ Selbstpositionierung im völkischen Lager und innerhalb der NSDAP

惨劇の予告?反文明的プログラムとしての『我が闘争』 Ankündigung einer Katastrophe? Mein Kampf als antizivilisatorisches Programm

注釈―カテゴリーと原則 Die Kommentierung -- Kategorien und Prinzipien

編集原書:『我が闘争』初版、1925/27 Editionsvorlage: Die Erstausgabe von Mein Kampf 1925/27

研究資料 Der textkritischer Apparat

ルドルフ・パウルス・ゴァバッハによるタイポグラフィー及びビジュアル構成 Typografie und visuelle Gestaltung von Rudolf Paulus Gorbach

編集方針 Editionsrichtlinien

 

序文からざっと翻訳:

なぜこの刊行か?原書は有名だ。『我が闘争』は稀に見るベストセラーだった。少なくとも1122版、約1245万部が1925-1945年の間にドイツ国内で出回った。それに加えて数知れない翻訳本が少なくとも17言語で出版された。この1千万部以上の本のうち驚くほど多くの本が戦後の焚書を生き延びた。そのことは古書店やインターネットの古書店サイトを覗けば一目瞭然である。それ以上に、『我が闘争』は―我々の時代の技術的可能性をもってすれば当然の帰結だが―とっくにデジタル化されている。そのため実に簡単かつひそかにアクセスできる。ヒトラーの作品はデータベース化され、電子書籍として存在し、現在99セントでiTuneからダウンロードできる。「ヒトラーの『我が闘争』は電子書籍ベストセラーリストを占領」と2014年1月にニュースになった。

だが、1945年以来『我が闘争』は本来発禁である。しかしながら、この本はどうやら滅することができないらしい。『我が闘争』は数知れない新版という形で第三帝国の滅亡後を生き延びた。英語出版のような主要市場ではどちらにせよこの発禁処分の対象になっていなかった。既に1933年にイギリスおよびアメリカの出版社が『我が闘争』の版権を取得しており、その結果両国でヒトラーの本が、『My Struggle』あるいは『My Battle』というタイトルで版を重ねて出版された。1945年以降も『我が闘争』は英語圏で一種のロングセラーへと発展した。アマゾンなどのオンライン書店における販売数やコメントの数からだけでもそのことが知れる。更に、1945年から時を経るに従い、徐々に許可のない、大抵は外国語の復刻版が世界に出回るようになった。本来違法にもかかわらず。1945年のEher出版社禁止処分後、『我が闘争』の著作権は1965年以降バイエルン州財務省にあり、同省はあらゆる手段でこの不吉な遺産の政治的経済的悪用を阻止しようとした。『我が闘争』の所有、及び古書売買は許されたままだったのに対して、復刻・再版は一貫して禁止されていた。しかしながら、インターネット時代にこの政策を特に強調するのはだんだん難しくなっていった。

言い換えれば、『我が闘争』は世界中にあり、この本の存在をなかったことにすることも無視することもできないのだ。これは2015年の終了と共にさらに難しくなる。なぜなら著者の死後70年が経てば『我が闘争』の著作権が切れるからだ。2016年1月1日からこの本は公有物となり、誰でもこのテキストを印刷することができるようになる。

それならなぜ、最初の問いに戻るが、この本の新版か?まず第一に、『我が闘争』は重要な歴史的資料であるということだ。それはかの政策と犯罪で世界を完全に変えてしまった独裁者の最も豊富で、ある意味最もプライベートな証拠品である。その影響は今日まで感じることができる。『我が闘争』は、ヒトラーが何を考えそして計画したかの「最も重要かつ詳細な描写である」とヤン・ケルシャウは述べている。ヒトラーもそのように理解していた。彼にとってこの本は一種の明確化プロセスだった。(後略)

『我が闘争』の意味はアドルフ・ヒトラーという人物の自伝に留まらず、ナチズム(民族社会主義、Nationalsozialismus)の行動原理を理解するうえで欠かせない資料なので、どんなに読みづらくても読むべき、といったことがこの後書かれています。『我が闘争』が、支配者が権力を握る前に将来の展望を詳細に明らかにした世界唯一の本だとも。

この学術版は、本文はともかく、注釈部分を読むにはルーペが必要です。。。


『我が闘争』歴史批判的注釈付き学術版、正式販売開始前に既に在庫切れ

ヒトラー著『我が闘争』、ドイツで著作権切れ


フランス・アレヴァ社、原子炉部品欠陥の可能性。製造記録に不正発見

2016年05月04日 | 社会

フランスの原子力コンツェルンであるアレヴァ社はフラマンヴィーユ原発やイギリス・ヒンクリーポイント原発建設の大幅な遅れや、ウラン鉱山投資の失敗などで2014年度は48.33億ユーロ、2015年度は20.38億ユーロの損失を2年連続で出しており、殆ど国営だから倒産していないだけの企業です。フランス政府の指示で、アレヴァの原子炉部門は来年フランス電力(EDF)が引き取ることが決まっており、リスクキャピタルとして約170億ユーロが同社のバランスシートに計上されています。

この度アレヴァ社がファイナンス問題ばかりか品質管理にも問題があったことが発覚しました。昨年建設中のフラマンヴィーユ原発の原子炉圧力容器の底とドーム部に異質な成分が発見されたことがきっかけで、原子力安全局の要請により品質管理監査が実施されました。その際に鍛造工場クリュソ・フォルジュ(Creusot Forge)で約400部品に関する製造記録に製造パラメータやテスト結果の不整合、改竄、脱落があったことが分かりました。問題となっている400部品の半分以上が原子炉関係部品で、残りはその他の発電所関連部品。フランス原子力安全局が5月3日、火曜日に発表したところによると、問題のある400部品のうち50部品はフランスの原発に現在使用されているとのこと。

これらの部品は比較的大きく、交換はほぼ不可能。原子炉を止めざるを得なくなる可能性があるため、現在不良部品の原発安全性への影響を調査中です。アレヴァ社は、製造記録を1960年までさかのぼって1万件に及ぶ書類を調べているとのこと。どの書類にも鉄鋼の正確な化学組成から高温処理、鍛造工程まで記されているという。

アレヴァ社は鍛造工場クリュソ・フォルジュを2006年に買収し、昨年1億ユーロそこに設備投資したばかりです。現在ではこのような不整合性は起こり得ないと同社は主張していますが、実際のところはどうだか疑問です。

不正が発表された5月3日、アレヴァ社の株価は7.4%下落しました。暴落しても良さそうなものですが、過去3年間で約63%下落して4ユーロ代になっているので、もう今更慌てて売りに走る投資家が居ないのでしょうね。国が大株主ですから。

原子力は結局国の援助、すなわち納税者の負担なしには成立できない産業です。赤字を垂れ流し、汚染をまき散らし、10万年も安全に保管しなければならない途方もない廃棄物を出し続け、何が経済効果?と疑問に思わざるを得ません。オランド仏首相は一応原発依存度を削減する方向に舵を切りましたが、なんだか中途半端なところでまた揺らいでいる感じです。そんなに核保有国として威信を保つことが重要なのでしょうか。

参考記事:

アレヴァ社プレスリリース、2016.02.26、「ファイナンスレポート
ハンデルスブラット、2016.05.03、「アレヴァの原発パーツに欠陥の可能性:偽造文書スキャンダル」 
フランクフルター・アルゲマイネ、2016.05.03、「原発に怪しげな部品50個」 


 

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ドイツの脱原発~その真実と虚構、現状 (4)― 事後責任法案本日閣議決定


書評:藤原道綱母著、『蜻蛉日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

2016年05月02日 | 書評―古典

再び古典です。

ビギナーズ・クラシックスシリーズ定番の現代語訳・原文・解説という構成で古文ビギナーズの苦手意識が緩和されます。『蜻蛉日記』の執筆担当者は坂口由美子。

『蜻蛉日記』は、平安時代中期、10世紀末ごろ成立した日記文学で、作者は例のごとく個人名なしの藤原(右大将)道綱母と呼ばれる上流貴族の女性。上・中・下巻の三部からなり、上巻には15年間、中・下巻にはそれぞれ3年間、全体で21年間(954年夏から974年暮れまで)に渡る記事がまとめられています。テーマは夫藤原兼家との「はかない結婚生活」で、特に上巻がこのテーマに沿ったものとなっています。中巻はテーマにまだかかわりがあるものの、紀行文的要素も増え、下巻になると実質夫婦生活が終了してしまった後でテーマに沿ったネタが無くなってしまったためか、雑多な日常の出来事が綴られています。

作者は藤原家傍流の出で、摂関家嫡流の藤原兼家より家格は落ちるものの、上流貴族のご令嬢であることには違いがなく、しかも美人で優れた歌人と評判だったため、非常にプライドが高く、甘えたり媚びたりするのが苦手らしい。当時の結婚は一夫多妻の上に通い婚だったため、女性はいつ夫が通ってこなくなるのか分からないという危うい立場に置かれているので、現代よりもずっと「待つ」ことが多いし、あまり積極的になってははしたないと思われてしまうので、受け身にならざるを得ません。こうして作者は「はかない身の上」を延々と嘆くわけです。

藤原兼家は、まあ当時の上流貴族男性としては普通だったのかも知れませんが、まずは時姫と結婚し、彼女が妊娠するや、藤原道綱母を口説き落として結婚。道綱母が妊娠すると、今度は町の小路の女にちょっかいを出し、みたいな感じのプレイボーイで、個人的に願い下げな人。それなのに道綱母は兼家にぞっこんだったようで、彼が来るの来ないのと一喜一憂し、「時姫が三男二女に恵まれたのに、自分は息子1人だけ」と比べて嫉妬したり、落ち込んだり。夜離れしがちな夫が、自分の家の前を併記で通り過ぎて他の女のもとに行った、と嘆いたり。彼女自身のプライドが邪魔してか、意地ばかり張って、夫に甘えたり、許したりできないため、夫により不快感を与えてしまい、彼の足が遠のくのに拍車をかけてしまっています。息子道綱が二人の仲をけなげに取り持とうとしても、二人の仲は一時的なものを除くと改善されることはなく、冷え込んでいく一方に。

うーん。物語としての面白さもなく、共感も余りできないですね。なんというか、夫を自分に惹きつけておきたいならもっと努力すればいいのに、なんでそこで意地張るかな、と思うことが多すぎて。浮気者の夫に待つ女の辛さを分かれと言っても無理だと思いますし、浮気者だけに1人の女性といい関係を保とうとする努力はそれほどせず、ちょっとご機嫌伺をして、だめならさーっと引いてしまうような薄情さなので、それでも彼との関係を維持したいと思うなら、女性の方がより努力するしかないですよね。その努力が報われるとは限りませんけど。

そういうわけで、紀行文とか雑記の段は興味深いと思えますが、主題はちょっとつまらないですね。どこぞの専業主婦に甲斐性なしの夫の愚痴を延々数時間聞かされたような気分になります。

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書評:谷知子編、『百人一首』(角川ソフィア文庫)&あんの秀子著、『ちはやと覚える百人一首(早覚え版)』

書評:大友茫人編、『徒然草・方丈記』(ちくま文庫)

書評: 菅原高標女著、『更級日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)

書評:清少納言著、『枕草子』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)

 


ドイツ:5月1日はマイバウムで愛の告白

2016年05月01日 | 歴史・文化

5月1日はメーデー・デモなどで各地で物騒な暴動が起こったりすることもありますが、同じ日の行事とは思えないのほほんとした話題を今日はご紹介したいと思います。

ドイツ全国に広がっている風習ではありませんが、私が住みついているライン川流域を始めとするドイツ西部では5月1日(またはすでにその前日)に白樺の木を意中の女性の住む家の玄関前あるいは窓の下に立てる習わしがあります。送り主が分かるように樹皮に名前を直接彫ったり、ハート形の札に名前を書いて、木に括り付けます。そのように立てられた木をマイバウム(Maibaum、【五月の木】)と呼びます。マイエン(Maien)とも言われます。上の写真はその一例です。ボン近郊のケーニヒスヴィンターという小さな町で撮影されたものです。

余談ですが、私自身はマイバウムを一度も貰ったことありません。昨日、ダンナが街でマイバウムを見かけて、「ごめん、今年もマイバウム忘れちゃった」などと言い訳してましたが。一緒に住み始めて22年、結婚18年目になってまあ今更ですよね( ´∀` )

毎年森から不法に白樺切り出されることが絶えないとか。こうして立てられたマイバウムは1か月後、6月1日に送り主が引き取りに来ることになっています。ものがものですので、意中の彼女に前以て意向を聞いておくことが多いようです。やはり突然そんなものを家の前に立てられたら邪魔で迷惑ですし、求愛行為に等しいものが1か月間も人目に曝されるとなるとかなり恥ずかしいものがありますよね。

贈り主がマイバウムを引き取りに来た際に、意中の彼女の母親から食事に招待されたり、父親にビールの箱詰めをお返しされたり、あるいは意中の彼女本人からキスをもらったりするそうです。

地域によっては村の独身男性全員で村の独身女性の住むところに片っ端からマイバウムを立てるところもあるようですが… 一人の女性のためにする方が可愛げがありますよね。

 

さて、このマイバウムの起源は諸説ありますが、まだゲルマン人がキリスト教に改宗する以前の森の女神を祀る儀式が元になっているのではないかと言われています。この愛の告白としてのマイバウムがある地域は限られていますが、5月1日に木を飾って、町の広場に立てるという慣習はノルトライン・ヴェストファーレン州、フランケン(バイエルン州北部)、バーデン・ヴュルッテンベルク州、東フリースラント、オーストリア、チェコにも見られます。

キリスト教改宗後の中世辺りでは非キリスト教的な風習は徹底的に弾圧されたため、マイバウムも地域によっては名称を変えマリエンバウム(Marienbaum、【マリア様の木】)またはプフィンストバウム(Pfingstbaum、【ペンテコステの木】)と言われ、木を立てる時期にもずれがあります。北欧では夏至の日に行うことが多いようです。

下の写真はミュンヘンのヴィクトゥアリエン市場に立てられたマイバウムです。バイエルン州のシンボルである青と白で飾り立てられています。こちらの方はお祭りの一環として立てられているので、上の写真のような愛の告白的な意味合いは全くありません。

  

 

今年は5月1日が日曜日に当たってしまいましたが、ペンタコステが近く(5月15・16日)、祭日が多いので、嬉しい限りです。日本でもゴールデンウィークですね。素敵な日々をお過ごしください。

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