徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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スペイン旅行記~マドリード II(2):UNESCO世界文化遺産セゴビア

2019年06月06日 | 旅行

1985年にUNESCO世界文化遺産に指定された、ローマ時代の水道橋を今も残し、中世の城壁に囲まれたセゴビアは正確にはマドリード州には属していないのですが、マドリードから北西に87㎞、日帰りで行ける場所なのでマドリードの旅行記に入れました。マドリードのChamartin駅からAVANTという急行で30分ちょっとです。鈍行で行くと3時間以上かかることもあるので、日帰りで行く場合は急行に乗ることをお勧めします。

私たちは前もって10時15分発の切符をネットで買ってあったのですが、なぜか10時30分発だと勘違いしていて、それに合わせてホテルを出たため、残念ながら逃してしまい、切符を買い直す(1人約13€)羽目になりました。 チャマルティン駅がホテルの最寄り駅Solから結構時間がかかるというのも敗因の1つでしたね。次の電車は12時過ぎとのことで、駅で暇をつぶしました。AVANTはAVE同様手荷物検査を受けないと構内に入れませんので、出発時間の10分前には来てないと間に合いません。チャマルティン駅付近で暇つぶしに行けるようなところはないでもないのですが、慌ただしくなってしまい、また電車を逃すのは嫌だったので駅をうろつくだけに留めました。

 

現代的と言えばそうなのかもしれませんが、はっきり言って醜い駅ですね。

12時過ぎに無事にセゴビア行の電車に乗り、時間通りにSegovia AV駅に着いたのですが、駅を出るとバス停とタクシー乗り場以外見渡す限り建物の影も見えず、間違った駅で降りたのではないかと不安になりました(笑)でもそれは、セゴビアの町は緩やかな丘を越えた向こう側なので見えなかっただけでした。バスで市街地まで25分ほどかかり、料金は2€ですが、私たちが着いた時はセゴビア目的の観光客が同じ電車からどっと降りてバスがぎゅうぎゅうでしたので、タクシーでローマ水道橋まで行きました。チップを含めて8€でしたので、バスに比べて一人当たり2€ずつ多く払うだけで速さと快適さが手に入ったわけですから正しい決断だったと思います

ローマ水道橋(Acueducto Romano)

というわけで、セゴビア観光は下の写真のローマ水道橋(Acueducto Romano)のあるPlaza del Azoguejoからスタートします。この水道橋は紀元後1世紀後半のトラヤヌス皇帝治世下で建設されたと言われています。1974年まで実際に使用されていました。これはSierra de Fuenfriaから旧市街の北西の端に位置する王城Alcazarまで17kmに及んで水を引く水道の一部で、長さ818m、高さ7~28.5mのトータル119個のアーチから成ります。これらは大部分建設当時のままモルタルなしの花崗岩切り石からできており、スペインに残る最大のローマ遺跡であり、最も美しい水道橋の1つと言われています。

 

旧市街は上の写真の右手、下の写真とは反対側にある丘の上にあります。

水道橋手前に旧市街へ上る階段があり、そのすぐ近くにツーリストインフォメーションがあるので、そこで地図をもらってえっちらおっちら階段を登りました。もちろん階段ではなく、坂を登ってはいれる城門もあります。

午後2時くらいになっていたので、教会や王城を見に行く前にランチにしようということで、取り敢えずPlaza Mayorに向かえば飲食店がたくさんあるだろうと考えてそちらを目指しました。そこに至るまでの風景が以下の写真です。

下の写真では通りの突き当りに大聖堂が見えます。大聖堂の手前がPlaza Mayorです。

この写真を撮ったあたりでダンナが「ここ、いいじゃないか」ととあるレストランを指したので、そこに先入観なく入りました。Casa Vicenteというセゴビア名物・子豚の丸焼きで賞を取ったらしいレストランで賞状みたいなのが入口のところに貼ってありました。もしかするとダンナはこの賞状に惹かれたのかも。店の内装はまあ、たいして凝ってもない普通のレストランという感じで、お店の主人も給仕さんたちもみなご立派な体格でした(笑)

 

ダンナは子豚の丸焼き(Cochinillo)がメインのランチメニュー(27€とランチにしてはかなり高い。前菜、メイン、デザートの他ワインプラスもう1つの飲み物付き)ものを頼み、私は丸焼きの写真と暑さで逆に食欲減退してしまいサラダを注文。

 

デザートにはダンナはセゴビア名物のPonche segovianoというケーキ、私はチョコムースを固めたようなケーキを頼みました。

 

どれも美味しかったです。

大広場(Plaza Mayor)

食べて元気が出た私たちはPlaza Mayorに向かいました。

 

 

 

マドリードのPlaza Mayorとは違い、セゴビアのPlaza Mayorは建物できっちり囲まれた長方形ではなく、なんとなく不定形です。大聖堂の他、市庁舎(17世紀)や劇場など立派な建物が広場のまわりに建っているところまでは他のところで見かけるような大広場と似たようなものですが、広場の中に植木とパビリオンがあるところがちょっと変わっています。特にその植木が整然と植えられているわけではないところが(笑)


セゴビア大聖堂 (Catedral de Segovia)

この大聖堂は市民の反乱で破壊された教会跡に1525年~1577年にGil de Hontanonの設計による後期ゴシック様式で建てられました。時代的にはルネサンスがトレンドだったころなのですが、あえてゴシックにしたところに設計者のこだわりが見られます。主祭壇は大理石。聖歌隊席は以前の教会のものが継承されています。

      

瞑想に適した静寂を提供する中庭は以前の教会のために15世紀にJuan Guasによって造られたもので、石を1つずつ今の位置に移したそうです。

中庭に続く回廊と中庭を囲む回廊の一部。

 

そして中庭。ベンチらしきものは見当たらなかったので、散策しながら立って迷走するのでしょうか?

 

中庭を囲む回廊から入れるホール。金メッキのArtesonadoと呼ばれる天井が見事です。

大聖堂の入場料は3€で、 日曜日の9:30~13:30は無料だとか。外は30℃ほどでしたが、中はしばらくいるとかなり肌寒くなり、軽く羽織るものが必要になりました。

王城(Alcazar)

王城はEresma川とClamores川の谷に挟まれた急峻な岩棚の上に聳えるカスティリャ王国の要塞で13世紀に建てられ、セゴビアがカスティリャの王都となっていた15~16世紀に豪奢な内装が整えられました。カトリック女王イザベルは1474年にセゴビアでカスティリャ女王に即位しました。トラスタマラ王朝時代の繁栄を経て、しばらく忘れ去られた後、18世紀になってブルボン王朝により再開発されました。この王城は1862年に火事でかなり破壊されたため、現在の建物は19世紀に古い設計図に基づいて再建されたものです。

入場料は5.50€。オーディオガイドも3€で借りられます。お手洗いは王城の建物の中に入ってすぐのところの地下にあるだけなので、見学前に用を足しておいた方がいいかも。

下の写真は王城の敷地からの眺め。

下の写真は王城の跳ね橋。三方を谷に囲まれた王城は、この跳ね橋を上げてしまえば、街の方からも攻撃できない堅牢な難攻不落の要塞と化し、残る方法は兵糧攻めくらいでしたが、数世紀の歴史の中で落とされたことはなく、単なる火事によって破壊されたあたりが歴史の皮肉とも見れますね。

丸い塔に先のとがった屋根がメルヘンチックです。

跳ね橋や塔とは全く違う建築様式の中庭を囲む回廊。

甲冑がものものしく、ここが要塞であったことを思い出させます。

 

ロマネスク様式の窓。窓の向こうに見える部屋は建て増されたSala de la Galera。

下の写真がそのSala de la Galeraで、豪華な箱型天井が見ものです。この天井はイスラム教徒の工人によって作られたものですが、パターン化されたものです。オリジナルの王城の天井は火事で焼け落ちてしまったので、現在王城に取り付けられている天井は、取り壊された教会から移設されたものです。

 玉座の間。エンリケ4世によって作られた広間。

諸王の間(Sala de los Reyes)。このアルカサルの中心的な広間。壁上部をぐるりと囲む歴代王の彫像は19世紀の作品。

 

青池保子の「アルカサル―王城―」の読者として、この王たちの中に血みどろの争いをした異母兄弟ドン・ペドロとエンリケ2世が並んでいるところを発見するのは感慨深いものでした。王位継承に争いはつきものなので、私が詳しく知らないだけで、他の横並びの諸王の間にもそれぞれドラマがあったのでしょうけど。

テラス。

 

包囲されて兵糧攻めにされた時に欠かせない井戸。

断崖絶壁に建てられたお城。

広間から見た谷間の眺め。

武器庫。

 

王城のテラスから見た市街地。

お城を出た後は来た時とは違って城壁沿いに歩き、完全な形で残っているアンドレア門に寄り、それから休憩しようとPlaza Mayorまで戻りました。

   

休憩の後は坂をぶらぶらと下りて水道橋のところまで戻り、バスを待ちました。

    

本当はセゴビアでゆっくり晩ごはんを食べてからマドリードに戻りたかったんですが、なぜか最終便のチケットが買えなくて(「購入」ボタンを押しても先に進まない)仕方なくそれよりも前の9時半過ぎの電車のチケットを買ったので、空腹のまま電車に乗ることになってしまいました。駅には売店の類がなかったので、街中でパンでも買っておけばよかったですね。

電車を降りてチャマルティン駅で何か食べられるかと思ったんですが、ファーストフード店しか開いてなかったので空腹のままメトロに乗ってホテルの最寄り駅のSolまで行き、ようやくご飯にありつけたのは11時過ぎでした。Restaurante San Cristobal というレストランの客引きに声をかけられてメニューを見せてくれたので、誘われるままそこに入りました。美味しいセピアを頂いて満足。

この後は疲れ切ってホテルに帰って寝ましたよ。

翌日の行き先はAranjuez(アランフェス)。

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