徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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ドイツ・バイエルン州周遊旅行記(8)~ヘッセルベルク&ディンケルスビュール(ロマンチック街道の街)

2016年08月08日 | 旅行

ヘッセルベルク(Hesselberg)のことはネルトリンゲンの観光ガイドさんに聞きました。ネルトリンゲンに1500万年前に落ちた隕石は半径23-25㎞の窪地を作っただけではなく、そのエネルギーによってその窪地の外にも地質構造上の影響を与え、ヘッセルベルクと言う逆転地層を示す【証人山】ができたらしいのです。ジュラ紀の地層が表面に出ているらしいです。地学的な知識がないので、詳しいことは分かりませんが。とにかくフランケンアルプと呼ばれる地域で一番高い山です。

 

 

ダンナは、本当はネルトリンガー・リースと呼ばれる窪地の縁を成す丘陵地に行きたがっていたのですが、正確な地名が思い出せず、記憶していたのがヘッセルベルクだけでしたので、そこに向かった次第です。ロマンチック街道からは外れますが、そういう寄り道もよかろうということで。。。

 

天気が良かったので、平地に囲まれた標高689mのヘッセルベルクからの眺めは非常に気持ちよかったです。

  

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このなんてことないような山にも歴史があり、石器自体から継続的に人が住んでいたようです。紀元前13世紀から8世紀辺りには既にかなり堅固な防御壁に囲まれていたようです。紀元前6世紀から紀元前後まではラ・テーヌ期のケルト人が住んでいた痕跡もあります。紀元後1世紀にはローマ人が来ていましたが、ヘッセルベルクから少し離れたところにリーメス(国境防御壁)を築き、ヘッセルベルク自体は防衛システムに組み込まれなかったようです。

その後は、アレマン族とフランク族の境界を成す山として取ったり取られたりが繰り返されたようです。現在でもヘッセルベルクはアレマン方言(シュヴァーベン方言)とフランケン方言の境界線を成しています。中世・近世もこの山の持ち主はころころ変わり、1806年にバイエルン領となり、現在はキリスト教会の所有となっています。

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歴史はこの辺にして、実はヘッセルベルクの頂上付近には休憩所があるのですが、トイレがないんです。( ´゚д゚`)エー なので、当初の予定ではロマンチック街道に戻ってローテンブルク・オプ・デァ・タウバー(Rothenburg ob der Tauber)と言うところに行く予定だったのですが、それは離れすぎているということで、途中でトイレがないかどうか探しながらヘッセルベルクから一番近いロマンチック街道の街・ディンケルスビュール(Dinkelsbühl)を目指しました。そしたら見事に途中に何もなくて、ディンケルスビュールについて、最初に目にした営業中のカフェに飛び込んで用を足す羽目に… なんとも情けない話ですが、そういういきさつで到着した街でした。わざわざこの街を目指していらっしゃる観光客の方々には申し訳ないかもしれませんが…

 

取りあえずカフェで一息つきました。ザッハートルテで、「ザッハー」と書いてあるケーキは初めて見ました( ´∀` ) 美味でした。

 

カフェで一服している間に街のホームページを呼び出すと、なんと「ドイツで最も美しい旧市街」と言うタイトルが!それはまた随分と大きく出たものだ、と思いつつ現在位置とツーリストインフォのある場所を確認しました。

私たちはローテンブルガー門の近くに居たので、ツーリストインフォに辿り着くまでに観光のメインは見てしまいました。驚いたのは、いくらロマンチック街道とはいえノイシュヴァンシュタイン城に比べればかなりマイナーな所にもかかわらず日本人観光客グループが居たことです。女性ばかりだったような気がします。

実際かわいらしい素敵なところです。

    

 

   

 

   

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ディンケルスビュールは私たちが今回訪れた街の中では珍しく中世からその歴史が始まります。地形が防衛に適していたことと、重要な交易路・東海→ドイツ中部→イタリアとヴォルムス→プラハ→クラーカウの交差点が近くにあったことが理由で、ホーエンシュタウフェン家とヴェルフ家が覇権争いをしていた時代、1130年にシュタウフェン家の所領を結ぶ防衛拠点の一部として形成されたもので、元々カロリング朝時代に創られたヴェルニッツ川渡渉地点沿いの入植地を拡充させてできた街です。街の中心に大きな市場がなく、あちこちに分散していろんな市場(壺市場、パン市場、食用油市場、家畜市場、皮革製品市場など)があったことが特徴的です。街の象徴ともいえる聖ゲオルグ教会は1499年に完成。これ以降街並みは基本的に変わっていないそうです。それでも、ディンケルスビュールの旧市街は、19世紀から20世紀に大規模な拡張がなされました。市を完全に取り巻く壁が完成し、西側と南側には濠が掘られ、北にはローテンブルガー池が設けられ、東側はヴェルニッツ川につながる洪水調整池が造られました。つまり外側から見る旧市街の景観は15世紀とは大分違うわけですね。

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ツーリストインフォで入手した地図を手にぐるっと街を回って満足した後、私たちはディンケルスビュールを後にし、ロマンチック街道の終点(あるいは始点)であるヴュルツブルクに向かいました。本当のロマンチック街道を車で走らせると時間がかかってしまうので、アウトバーンを使ってびゅんと( ´∀` )

 

ヴュルツブルク編に続く。


 

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