徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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コペンハーゲン旅行記(2)

2016年05月27日 | 旅行

2014年5月25日―29日のコペンハーゲン旅行記の続きです。

5月27日のメインはローゼンボー城(Rosenborg Slot)だったのですが、その前にコペンハーゲン駅からチヴォリ遊園地とは逆方向に歩いて10-15分くらいのところにある市立博物館に行ってみました。

コペンハーゲン駅

博物館の展示物。

  

博物館内のなかなかおしゃれな喫茶室で休憩。

   

博物館の裏にはこんな温室(?)が…

 

さて次はメインのローゼンボー城へ。美しい庭園に囲まれたお城は1607年に建てられた夏の離宮で、建設されて以来ほとんど手を加えることがないまま今に至っているそうです。ここがアマリエンボー宮殿に向かう衛兵たちの出発点。

       

 

暫く庭園を散策し、芝生などに転がってぼんやりとした後、ショッピング街でもあるストロイエ(Strøget)へ。
(写真:Olga Itenberg

 丸い塔は外から見るだけにしました。さすがに登る元気は残ってなかったので。36mの高さの塔は1637-42年に天体観測塔と同時に教会の塔として建設されました。中は非常に大きな螺旋スロープで、クリスチャン4世が馬車あるいは馬で上まで行けるように設計されています。スロープの長さは206m。

  

丸い塔から聖母教会(Vor Frue Kirke)に向かう途中に素敵な広場がありました。 Gråbrødretorvという広場です。地元の人に愛されていそうな憩いの広場みたいで、いいなあと思いました。

 

 

聖母教会は1200年頃にコペンハーゲン大聖堂として定礎・建設されたものですが、以後何度も増改築されてきました。現在のギリシャ神殿のような新古典主義様式は戦争でイギリス人に破壊された後、C.F.ハンセン(1756-1845)というデンマークの建築家が1807年に設計したものだそうです。

 

 

聖母教会からほんの2分歩いたところに聖ペトリ教会というドイツ人教会があります。1304年に建てられたものですが、火事で燃えたり、戦争で破壊されたり、爆撃を受けたり、と惨事に見舞われること数知れずだったようです。1807年にイギリス軍の大砲が教会をかなり破損させましたが、奇跡のように塔だけは崩壊せずに済んだとか。

この教会では1585年以来ずっとドイツ語で説教・ミサが行われています。

 

ここからどこをどう通ったかはもう覚えていないのですが、RizRazというヴィーガンメニューの充実したレストランで夕食にしました。前日まで肉肉だったので、肉に嫌気がさしたからなのですが、そこはちゃんと肉料理もあり、ダンナはもちろんステーキを頼んでました。

    

 

食後にまた元気に歩き出して、ホテルに帰るメトロに乗るためにクリスチャンボー宮殿広場へ。クリスチャン6世が1731年に、バロック様式の城を建てましたが、1794年に火事で住めなくなり、アマリエンボー宮殿へ移りました。その後、先述のC.F.ハンセンが古典主義様式でクリスチャンボー宮殿2.0を建設。しかしながらこのお城もチャペルを除いて焼失。最後に、現在のクリスチャンボー宮殿3.0が1907-28年に建てられました。現在は国会となっています。

 

クリスチャンボー宮殿広場から運河の向こうに旧株式取引所が見えます。1619-40年にルネサンス様式で建てられたもので、捻じれた塔が目立ってますが、塔の尖端は4匹の竜が絡み合っています。この塔は建設当初は全く計画されてはいなかったのですが、完成したものを見たクリスチャン4世がつまらないとのたまったため、運河側に切妻を加え、屋根の上に塔を設置したとか。現在は商工会議所が入ってます。

それにしても、この旧株式取引所を撮影したのは20:45だというのに、まだ昼間のように明るいですね。夏場による8時ころまで明るいのはドイツでもなれてますが、9時近くなってこの明るさはやはりちょっと驚き。

 

 

ホテルの部屋から22時過ぎに撮影したものが下の写真。さすが高緯度ですね。

 

翌5月28日は、デンマーク・デザインセンターに行って、特に珍しい、到底通常使用できないような椅子を見てきました。巨大な揺り椅子とか新聞紙を重ねて作った椅子とか面白いけど、使えませんよね。

      

 

デザインセンターの後は近くにあった医学史博物館へ。入り口には錠剤で作ったドレスがあり、思わずまじまじと観察してしまいました。

   

さすがに博物館2連チャンは疲れたので、適当な軽食を買って近くの要塞へ。思わず至近距離をてこてこ歩くマガモに癒されたり。。。

 

この日はこの後ウインドーショッピングなどをしてホテルに帰還しました。途中カメラに収めたのはこの変なバイキングだけ。仮装用なのかも?一応デンマーク人はヴァイキングの子孫を自負しているので、その系統のものがあってもおかしくはないのだけど。

ただコペンハーゲン(København)はハンザ時代以前から貿易港・商人の拠点として栄え、その名もずばりKøbemandens Havn(商人たちの港)でした。ハンザ時代の14・15世紀に現在のKøbenhavnとなったらしいですが、大量のドイツ系商人たちの流入によって、かなりドイツ化されました。だから現在のコペンハーゲンはヴァイキングから相当遠いように思うのですが…

翌5月29日はコペンハーゲン旅行最終日。フライトの時間まで交通の便の良いクリスチャンボー界隈をうろうろしてました。

  

旧株式取引所の捻じれ竜の塔をもう一度至近距離から撮影。中もちょっと覗いてみました。

 

クリスチャンボー宮殿も建物の中には入りませんでしたが、通路を通って中庭へ。

 クリスチャンボー宮殿〔中庭から撮影) 

クリスチャンボー宮殿内の乗馬場

 

クリスチャンボー宮殿に隣接している王立図書館の庭園。

  

 

王立図書館新館は「黒いダイヤモンド」と呼ばれる現代的な建物。建築家モルテン・シュミット、ブヤルン・ハンマー、ヨン・E.ラッセンらが1999年にジンバブエ産の黒御影石を使って完成させたもの。

 

中を見る余裕はありませんでしたが、ここにコペンハーゲン市及び国が作成した書類は全て保管されているそうです。時間があったとしても書類には特に興味はありませんが。

 

というわけでついに離陸。アムステルダム経由でドイツに帰国しました。


コペンハーゲン旅行記(1)