茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

茶と文化そして美
茶文化、芸術、職人・・・
大事!
もっと楽しく茶文化を!

茶室へGO!増上寺貞恭庵準備に植木屋さんも!

2010年08月21日 | Weblog
庭に植木屋さんが入って下さいました。
ちょっと綺麗になりました。
植木屋さんはさすがに美しい掃除の仕方をされます。
ほれぼれするくらい動きが堂としていてあ~ありたいと思いつつ拝見していました。
彼にむりられている雑草たちはくすぐられているような、見てみてといわれているような軽やかに鎌で見つけ出され手の中に摘みあげられ雑草たちのいる袋へ一息で入れられます。
いわゆる残酷な話ですが、これが軽やかで楽しげに見れるくらいスマートなさばきにうっとりしました。
さすがです。
主でもある坊ちゃま専務は、横でにこにこ御機嫌で営業です。できる職人の支えて主楽しき!という感じでしょうか?少々羨ましい光景でした。
待合も雰囲気をつけてみました。
自信ない灰も頑張りました。
いつになく残暑気分を満喫して戴ける景色だと思います。多分・・・。
久しぶりに貞恭庵へ行きましたが随分涼しくなったと感じました。やはりすぐそこ秋ですかね?
過ごしやすくなりましたよ!
ぜひお越し下さいませ。

茶室へGO!増上寺月例テーマ「放生会」に

2010年08月19日 | Weblog
今回のしつらえに由緒正しき花がやってきます。
それは萩寺の萩です。
江戸時代、旧暦の8月はもう秋で十五夜でした。
お月見というと富岡八幡さまと亀戸のはぎ寺が賑やかだったそうです。
国会図書館で調べていたらその当時のはぎ寺に行きたくなりました。
現在も存在するお寺でこれまた近くの方で御縁のあるお寺さんでした。
ということで、無理いって「はぎ寺」のはぎを分けて戴くこと成功です。
江戸時代の文献によるとこのお寺の池の渕に咲いている萩が見事だそうですが、今は当時の池はないのですが別の池はありました。また萩が見事でした。
御住職いわく、「やはり萩はお彼岸ごろですかね?」とおっしゃっていましたが、この時期咲いている萩もあって何だか嬉しくなりました。
旧暦の8月のテーマ「放生会」ですからね・・・。そしたら、そのお寺のすすきもすでに穂がひらいているのもありました。
江戸の秋を感じた気分で嬉しかったです。
気持ちの良い居心地を感じたお寺さんです。
その萩を厚かましくも1株わけて戴いてきちゃいました。
当日はきっとどこかに萩がお出迎えしてくれると思います。
とっても由緒正しき萩をお披露目できるのは嬉しいです。
今回は江戸時代の秋へ誘いたく思います。
遊びに来て下さい。

しっかり勉強しました!「免許センター」で

2010年08月18日 | Weblog
気がついたら今日までの期限でした。
あっという間にです。
それも2時間講習で禁固です。
2時間寝ないようにしなきゃ、いってきま~す。

行ってきたました。
楽しかったです。新しい免許証を戴きました。ICが導入されていてちょっと分厚い免許証になりました。
夢のゴールドであってどうにもブルーから脱出ができないのが辛いです。
なのでまた3年後に書き換えです。3年後は25年です。何だか随分先と感じますがすぐやってくるのでしょうね?未来っていう感じがしますがね!
古い免許証も戴いてきました。写真をにらめっこしてちょっと複雑な思いをしました。なぜってね・・・?
今回の写真は着物でとりました。周りは洋服だったので少々目立ちました。その上に白っぽい着物だったので写真もボケ顔になってしまい、また免許証提出いやな3年間ははじまります。
そうそう学んだこととは、おまわりさんの「免許証提出」に拒むと罰金が発生するんですよね?
また、自転車は車道を走るのが正解で、歩道を走る時は運転手の判断にゆだねられるとか。また、歩行者に迷惑をかけてはいけなくってとか、自転車でも違反があった場合は罰金が発生してしまうようです。
何をしても罰金、罰金で嫌ですね?交通法が改正してからやたらおまわりさんが目につきます。そしておまわりさんはやたら目をひからせ元気にみえて好きではありません。
そういうと怒られそうですが、私の応援団に自称「偉いおまわりさん!」がいます。
事実偉く仕事熱心なんですがずっこけでかわいいいまわりさんです。
論争になると目が光り楽しいです。仕事の話になるとやっぱり一般市民からは嫌な人に早変わりですね。
このごろ人に優しくなったように感じます。世間からの風当たりが強いようです。
ほほほっほほほほほほ・・・。
でも本当はいい人なんですよ!と遅いようですがホローをしとかなきゃ!
あつ、民主党の世直しが入った為にか、講習会の教本も少し薄くなったように感じます。
受講者にとっては読みやすくなったように感じます。
交通法が改正された一覧をみると反則切符が切られる種類が多く生活しずらくなった気がします。
それだけ交通ルールを守らない人が増えたようです。飲酒運転に関しての違反や携帯電話、シートベルトなどは改正後をみるとそこまでと思うくらいです。
違反は違反ですが、厳しいですよね?
皆さんは「タクシー」に乗車するときシートベルト着用していますか?
これもまたしていないと運転手がひどいめにあいます。してあげて下さいね!
ルール、ルールの世の中で、少々生活しずらくなりました。
自由が好きな私としては苦しいですね!
なんちゃって。
皆さんも交通法を改めて見直すとちょっと面白い発見があるかもしれませんよ!
今日は学び報告でした。

茶室にGO! 増上寺月例「和宮様ゆかりの茶室で、一服いかがでしょうか?」

2010年08月17日 | Weblog
今月の月例も22日と迫ってきました。
やっと決まりました。
今月のテーマは、「放生会」です。
旧暦の8月の行事だった。
これは、小さな生き物を話して供養すること。八幡宮や寺院の境内で、参拝者目当てに「放し鳥」「放し亀」など商い物売りをした。それを買い求め逃がしてやることであったが、人々は神仏に感謝して来世を祈るの習わしの行事でした。
地味なテーマですが、江戸時代には盛んに行われていた行事のひとつでした。
現代でも各神社仏閣で行われています。
それにちなんで、お菓子も決定しました。
旧暦の8月に江戸時代まで食されていたお菓子ですがそれをアレンジしたもの。
いつものように特別にお菓子をお願いしています。
楽しみにしていて下さい。

佐渡 蓮華峰寺(れんげぶじ)

2010年08月16日 | Weblog
蓮華峰寺は真言宗智山派に属し佐渡島内一の巨刹でした。
伝えられるところによれば、佐渡は遠く皇城(京都)の鬼門にあたるが故に、皇城鎮護のため806年(大同年中)弘法大師空海がこの山を開き、小比叡と名付けました。
周囲の山が八葉の蓮華形に似ているところから蓮華峰寺と称しました。
江戸時代中期の最盛期には佐渡国を中心に40か寺以上の末寺を従え、徳川家の廟所ともなった。
嵯峨天皇の勅願寺であったともいわれる。
小高い山に囲まれた谷地に、金堂を中心として山門、客殿、庫裏、鐘楼、弘法堂、御霊屋、骨堂、八角堂、八祖堂、山王権現社、小比叡神社など多くの建築物が現存している。
慶安5年に起きた「小比叡騒動」(後述)の戦火で客殿、庫裏を焼失したが、室町時代前期の建立と考えられる金堂をはじめ、弘法堂(奥の院、空海の祠堂)、骨堂などは喪失を免れ、南北朝時代から江戸時代初期に至る各年代の建築様式を良好に保存している建築物が多い。
金堂、弘法堂、骨堂は国の重要文化財に指定されている。
また、アジサイ寺として有名である。

金剛寺、室生寺とともに真言宗の三大聖地の一つとされているだけあって、なんともいえない雰囲気であった。
広く坂道や階段ばかりなのにもかかわらず、敷地をぐるぐる歩き回ってしまった。
気持ちの良いお寺であった。


佐渡「二宮神社」

2010年08月15日 | Weblog
この神社は順徳天皇の第二皇女忠子女王を奉祀する神社です。
なぜか惹かれていて参拝したく願っていた神社の一つでした。ただ、地図上では中々探せず諦めていたとき、カーナビに突如発見。
嬉しくなって車を停めました。
詳しくは次の通りですよ。

御祭神:玉島姫命(順徳天皇第二皇女忠子女王)
 由緒:承久3年(1221)の承久の乱で佐渡ヶ島に送流された順徳天皇の第二皇女忠子女王を奉祀する神社です。
女王がこの島で誕生すると鎌倉幕府はここ石田郷上野ヶ原に仮殿を築き、佐渡守護本間左衛門尉の守護を命じます。
順徳天皇が仮殿に御幸のおり野菖蒲が咲いているのを見て、この御殿を菖蒲殿と命名されました。
 後、18歳で女王が逝去されると遺骸は北西に葬られ、遺髪を神霊として菖蒲殿に奉安し、玉島姫命と諡号されました。
初めは守屋勇四郎春虎が遺髪を霊として祀りましたが、後の御深草帝の時に二宮大明神とされ、社殿が築かれました。
境内には女王を葬った宮内庁墓所や能舞台があります。
能舞台は寄棟造(よせむねつく)り、茅葺(かやぶ)きです。橋掛りもまた瓦葺きの建物です。

今でも使用されている能舞台はとても見事です。使っているからからっとした趣で立派でした。
磨かれている強さを感じました。
市有形文化財・茅葺きの風雅な能舞台ですが、幕末には存在していたようです。古い建物ですが生きているのを感じて気持ち良かったです。
墓所にも御挨拶に行きました。
優しい神社に思えました。女性を祀っているからでしょうかね?
よかったですよ!

佐渡 多田港 「いこいの村まつり」

2010年08月14日 | Weblog
世界で雄一の海上能舞台。
「なぜ?」「どうして?」「どうやって?」の疑問から興味がわき、この祭りが目的で佐渡に渡りました。
佐渡に渡るのにカーフェリーに乗り込んだのですが凄い人。
それもそのはず、カーフェリー一船故障で動かず一船で運航している為に「遅れる、人溢れる、帰れず!」と大変な文句が飛び交う状態でした。
それにしても佐渡に渡る人がこんなに多いのかと思ったくらい込み合っていたのに驚きました。
カーフェリーの収容人数、収容車はかなりのもので、感動です。

そもそもなぜ海上能舞台が祭りの一環として行われるのかどのようになのか?とても興味があってこの日を楽しみしてました。
いこいの村佐渡のオープン(昭和53年)と同時に始まって村おこしの一つで、地元住民による実行委員会が主体となっている祭りだそうです。
今年で33回?とかいっていました。
海上に浮かべた特設舞台で演じられる「海洋薪能」・鬼太鼓・大獅子ほか、郷土芸能・花火大会などが催されます。
なぜ?に対して解明できたのは、世阿弥を偲んでのことだったのでした。

「ここはと問ば さどの海 大田の浦に 着きにけり」

世阿弥が将軍義教の怒りにふれて佐渡に流されこの地多田に着いたのは永享6年のこと。
漁師の家で一泊、翌笠取峠を越えて長谷観音を拝み新保の満福寺に入ったそうです。
世阿弥を偲んで海上薪能は着岸の地として行われるようになったそうです。

この日は、雨や降ったりやんだりでしたので海上ではなかったですが能を観ることができました。
祭りなのにと思うくらい立派で本格的で驚きました。
途中嵐になったくらい雨がひどかったですが、会場は屋根付きゲートボール場でこれまた立派なところでしたので雨にあたることはなかったです。
ひどい雨はまるで世阿弥が舞い降りてきたような強さを感じました。能が終わると雨も上がり地元の芸能披露、そして花火と続きます。
雨が降ったのがうそのように花火が美しく綺麗に夜空に咲きました。
多田の花火には習わしがあるようで、「今年お祝い、新盆」があったうちがご挨拶に必ず花火を打ち上げるそうです。そして各暑中見舞いを兼ねて花火で御挨拶をしたり、メッセージをのせて打ち上げます。
なので一つ一つの花火には誰から誰へ、そしてひとことメッセージを読んで打ち上げるのです。
精霊花火から健康祈願の花火など色々でした。
最後まで聞き入ってしまいまた花火の凄さに見入ってしまいました。
多田のいこいの村まつりは、地元の人が一貫となって盛り上げ支え合って守っているお祭りですが、本当に団結の強さを伺えた町でした。
ちょっと人の篤さを感じいい街だな?って町と人に心打たれました。
楽しかったです。


今いばらきが旬!「正宗寺」(しょうじゅうじ)

2010年08月13日 | Weblog
水戸光圀公がどうもきになると思いつつ、時代劇に弱い私です。
助さん格さんとファンなんですよね~?
ということで、助さんに会いにいってきました。
とても歴史あるお寺でびっくりでした。
きもちがよいほど緑豊かな場所に建ちのんびりとした気分でお参りしてきました。
実際の助さんはどんなお顔をしていたのだろうか?少々思いつつ水戸黄門のドラマが好きです!と報告してきました。
ミーハー心丸出しでしょうかね?
お寺については次の通りです。

萬秀山正法院と号する寺院で,延長元(923)年に平将門の父良将が創建。
創建当初は勝楽寺と号し,律宗で奉仕されていました。
その後,貞王2(1223)に佐竹氏4代秀義が勝楽寺の境内に正法院を,暦応4(1431)年に9代貞義の子である月山周枢が師の夢窓疎石を招き,同じ寺院内に正宗庵を創建。
10代義篤が正宗庵を臨済禅刹に改めて正宗寺としました。
勝楽寺と正法寺は後の争乱によって衰えたが,正宗寺は佐竹氏の菩提所として,関東十刹の一つに挙げられるまでに繁栄。
徳川の時代にも朱印100石を受け,12の末寺を有するまでになりました。
境内は約5,300㎡,堂宇は本堂,庫裏,総門などを備えていたが,天保9(1838)年に総門の一部を残して焼失。
現在の庫裏と本堂は,それぞれ天保10(1839)年と明治3(1870)年に再建されたものです。
寺伝では慈覚大師の作とあるが,様式から鎌倉時代に建造されたものとみられます。
本尊の木造十一面観音菩薩坐像をはじめ,多くの寺宝が茨城県や常陸太田市の文化財に指定されており,境内には佐竹氏代々の墓と伝えられる宝篋印塔や,「助さん」のモデルとされる佐々宗淳の墓があります。

その後、瑞龍山に行きました。
今は扉が閉まっていてお参りできませんがいつかお墓参りしたいですね?
勿論、光圀公に・・・。
いばらきが面白い!

オリジナルうちわや扇子を作ってみませんか?

2010年08月12日 | Weblog
この夏友人が下北沢大学夏期講座にてワークショップの講師を務めます。
「オリジナルうちわや扇子を作ってみませんか?」という題材のようですが彼女は書家なのできっと何か考えが・・・!
下北沢も商店街が主催となってのワークショップだそうです。
今商店街が活発的に動いてきています。
商店街ってそもそも何が原点はなんだと思われますか?
実は「楽市楽座」、までさかのぼることができるんですよ。また江戸時代には宿場町など。
人や馬が多く往来してきたところが現代の商店街に発展していったといわれています。
今はゴーストタウンと言われがちですが昔はそこから始まった町だったんです。
面白いですよね?これも車の文化が発展していったからでしょうか?
そして今、商店街の復活をではないですが、多くの商店街で活動的になってきているのです。
その一つがこの町ではないでしょうか。
下北沢にはちょっと縁があるので何だか懐かしいです。
宜しかったらぜひお出かけ下さい。
友人が優しくお手伝いして素敵な内輪、扇子が作成できると思います。
詳しくは、下記のホームページへGO!

日にち:8月14日
体験コーナー「楽しく書にふれるワークショップ」
講師:田坂州代
主催:しもきたざわ商店街振興会組合

http://www.shimokitan.com/shimodai.html

しもきたの街は歩くだけでも楽しい街です、
ぜひ遊びにきて下さい。

今いばらきが旬! 「佐竹寺」

2010年08月11日 | Weblog
常陸太田市にある佐竹寺。
西山荘に程近く涼を感じつつ寺回りをしていました。
このお寺は見事でした。
風格があって楽しかったです。
まだの方はぜひこの夏如何でしょうか?
佐竹寺について調べてみましたのでご参考下さい。

佐竹寺は,鎌倉時代から江戸時代にかけて常陸国を支配した佐竹氏代々の祈願所。大同2(807)年の開山,あるいは,寛和元(985)年に花山天皇の勅願を受けて元密上人が創建したとも言われています。創建当初は,鶴ヶ池の北に位置する観音山にあったが,天文12(1543)年に兵火によって焼失,同15(1546)年に佐竹義昭によって再建されました。一時は隆盛を極めたものの,佐竹氏の秋田移封にともない,その寺運はしだいに衰えていきました。本尊の十一面観音像は,安産や厄除けなどに御利益のあるとされる仏様で,坂東三十三観音二十二番霊所にもあたることから,巡拝者が絶えない古刹としても広く知られています。重厚感あふれる佇まいの本堂は茅葺き寄棟造りで,正面中央には唐破風が設けられており,正面の火頭窓や柱,組物など,あらゆる箇所に桃山時代の建築物の先駆とも言える遺構が残された,常陸太田市の誇る貴重な文化財の一つです。