茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

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今いばらきが旬!「正宗寺」(しょうじゅうじ)

2010年08月13日 | Weblog
水戸光圀公がどうもきになると思いつつ、時代劇に弱い私です。
助さん格さんとファンなんですよね~?
ということで、助さんに会いにいってきました。
とても歴史あるお寺でびっくりでした。
きもちがよいほど緑豊かな場所に建ちのんびりとした気分でお参りしてきました。
実際の助さんはどんなお顔をしていたのだろうか?少々思いつつ水戸黄門のドラマが好きです!と報告してきました。
ミーハー心丸出しでしょうかね?
お寺については次の通りです。

萬秀山正法院と号する寺院で,延長元(923)年に平将門の父良将が創建。
創建当初は勝楽寺と号し,律宗で奉仕されていました。
その後,貞王2(1223)に佐竹氏4代秀義が勝楽寺の境内に正法院を,暦応4(1431)年に9代貞義の子である月山周枢が師の夢窓疎石を招き,同じ寺院内に正宗庵を創建。
10代義篤が正宗庵を臨済禅刹に改めて正宗寺としました。
勝楽寺と正法寺は後の争乱によって衰えたが,正宗寺は佐竹氏の菩提所として,関東十刹の一つに挙げられるまでに繁栄。
徳川の時代にも朱印100石を受け,12の末寺を有するまでになりました。
境内は約5,300㎡,堂宇は本堂,庫裏,総門などを備えていたが,天保9(1838)年に総門の一部を残して焼失。
現在の庫裏と本堂は,それぞれ天保10(1839)年と明治3(1870)年に再建されたものです。
寺伝では慈覚大師の作とあるが,様式から鎌倉時代に建造されたものとみられます。
本尊の木造十一面観音菩薩坐像をはじめ,多くの寺宝が茨城県や常陸太田市の文化財に指定されており,境内には佐竹氏代々の墓と伝えられる宝篋印塔や,「助さん」のモデルとされる佐々宗淳の墓があります。

その後、瑞龍山に行きました。
今は扉が閉まっていてお参りできませんがいつかお墓参りしたいですね?
勿論、光圀公に・・・。
いばらきが面白い!


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