海外のニュースより

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フセイン処刑を巡る後日談

2007年01月03日 | イラク問題
2007年1月3日:検事の一人は、サダムに対する罵声のゆえにサダムの処刑をもう少しで取り止めるところだった。「私はそれなら出て行くぞと脅した」と火曜日に、ムンキト・アル・ファルンは言った。絞首台のそばでの誹謗に責任がある連中は、私が経ち去れば、処刑が続けられないということを知っていただろう。」法律によれば、処刑の際、告訴者の代表が立ち会わなければならない。
この場面をドキュメントしている非公式のビデオは、二人の高位の役人を撮影した。「二人の役人は、カメラ付きの携帯電話を持っていた。彼らの一人を私は知っている。彼は地位の高い政府関係者だ。」だが、検事は、その氏名を明かさなかった。もう一人の政府関係者には、面識があった。「彼らがどうやって携帯電話を持ち込んだか分からない。なぜなら、アメリカ兵は私たちから電話を全部取り上げたからだ。カメラのついていない私の電話も取り上げた。」
1)ビデオは、ベストセラーになった。
政府は、携帯電話でビデオを撮影したのが誰か捜査仕始めた。政府は、看守の一人がビデオ撮影をしたと信じている。映像では、ファルンが罵声を浴びせている者達に止めろと言っているのが聞こえる。
バグダッドのサドル・シティでは、ビデオは、ベストセラーになった、と住人が述べている。さらに、1982年のドシャイルでの148人のシーア派虐殺のかどで判決宣告がされた様子を収めた2時間のCDも出回っている。これまでその断片しか公開されていないのであるが。
新しい国連事務総長のバン基文は、就任後最初の記者会見での死刑についての言及で議論を引き起こした。サダム・フセインの処刑に対する態度表明を記者に求められて、バン氏は、火曜日にイラクの元大統領は、重大な犯罪に責任があり、死刑執行に対して態度を決定するのはどの国でも自由であると答えた。
批判者は、これが国連の公式の死刑反対に対する矛盾であると考えている。1948年に国連の総会で通過した人権宣言は、すべての人の生命に対する権利があることを強調している。バン氏の前任者であるコフィ・アナン氏は、常に死刑反対を唱えてきた。バン氏の抑制された返答は、この立場に反するものと評価された。彼の広報官であるミシェル・モンタスは、最初の新聞記者会見でこのテーマについてしつこく尋ねられた。ハイチ出身の元ラジオ記者であるモンタスは、機関としての国連は引き続き死刑に反対するということを強調した。けれども、バンは、死刑をどうするかを個々の加盟国に委ねようと思っている。バンの出身国である韓国でも死刑が存在している。
サダムの弁護人であるフランス人のエマニュエル・リュドは、国連事務総長宛の書簡で、サダムの死刑についての調査を要求した。ビデオも彼の依頼人の処刑も、1949年の「ジュネーブ協定」に違反している。処刑されたフセインは、彼が死ぬまで、戦争捕虜という地位を持っていた。それゆえ、「ジュネーブ協定は、彼にも適用されねばならない」と火曜日に公表された書簡は述べている。弁護人はさらに「黙って絞首刑を執行したのは誰かを知りたいと望んでいる。なぜならば、高位のサダム反対者たちが占領軍当局との取引で、サダムを殺す際に手を加える特権を持ったかもしれないからである。
[訳者の感想]フセインの処刑後、いろいろな問題が出てきたようです。
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