会津若松市のシンボル「鶴ヶ城」。白虎隊士も見た国内唯一の赤瓦の天守閣が甦りました!
鶴ヶ城は今から約630年ほど前に、その前身ともいえる東黒川館を葦名直盛が築いたのがはじまりと言われ、
戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として、その名を天下に知らしめました。
明治7年に取り壊されましたが、昭和40年に再建、平成13年には天守閣に続く建物「干飯櫓・南走長屋」が
江戸時代の工法・技術を用いて復元されました。平成23年には赤瓦へのふき替えが完了し幕末当時の姿を再現し、
現存する天守閣では国内唯一の赤瓦の天守閣となっています。(観光案内より)
赤瓦、実際に見るととてもきれいで、印象強くなにか外国の建築物を思わせるせるような気がします。
赤瓦が印象的です。日差しが強いときはきっとキラキラと輝くのでしょう。どこに行ってもお城の石積みには驚かせれます。 現在でも技術は継承されています。
戊辰戦争のおり、16~17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊20人が戸の口原合戦場から退却し、
滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、
「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と、全員が自決しました。 (観光案内より)
20名のなかで1人だけ生き残った 飯沼貞吉 によって、白虎隊の忠義と悲運の物語は広く人々に知られるところとなりました
「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」 本来の会津の時の進み方ではなかった。 白虎隊十九士の墓 ”あまりにも時の流れが速すぎた”
「さざえ堂」 六稜三層の形がさざえに似ていることからこの名で親しまれています。 堂内に入ると、上り下りするためのらせん階段があり、参拝者は
一度も対向する 他の人に出会うことなく、また一度も同じ道を通ることなく、一方通行で堂内を参ることができるという世界的にも珍しい建物です。(観光案内より)
街のなかどこにでもたわわに実った柿の木を見かけます。 名産のあんぽかきを作るのでしょうか、軒先につるしかきもよくみました。
今年もvivaとふたりで秋の旅行に東北に行きました。 会津若松は今年のTV”八重の桜”のおかげで大変な人気、ひとでのようです。
観光、歴史探訪、天気が良ければ”大内の宿”の写真を撮りたいと、BLGのともにいろいろ相談しました。 おかげさまでゆっくりと楽しめました。
ITM/HNDから東北新幹線にのりかえローカル線で会津若松にむかいました。 東北新幹線ではボーイが”はやて”、”しんがたこまち”、”はやぶさ”、
”あさま”、”ときMax”、”やまびこ”など以前から大好きで名前、かたちをよく知っています。 昨年は写真を送ったところ名前が違うと、大失敗でした。
今回はお土産に”こまち”、”はやて”のクッキーの入ったおもちゃをたのまれてさがすのに大変でしたが、東京駅でやっとGET、ほっとしました。
「八重の桜」、会津の歴史については
武家屋敷でしっかりと見学しました。
家老 西郷頼母さんの屋敷にて
viva photo