福知山の町から福知山城を見上げます、 明治の廃城からS61に市民の力で再建されました。
秋に学校の同窓会を計画中です、その相談にいまではのんびりと田舎暮らしを満喫している丹波市の友人を訪ねました。
少々時間があったので福知山まで足を伸ばしてみました。 20年ぶりにたずねましたが、あまり変わらずのんびりとした
こころ休まる町です。 ここが京都であることいつもながら不思議な感じになります。
ふもとから、橋を通って坂道をのぼります。 沢山の桜もまだまだ、満開になったらさぞかしきれいなことでしょう。
宝篋印塔、五輪塔などの石造物が大量に使用されており、”転用石”とも呼ばれています。
鉄筋コンクリートの内部はやはり趣が、(先日の犬山城と比べ) あまり感じられませんが、大江山酒呑童子のものがたり。
城を下りて昔の町並みをさがして、由良川の治水のことがいたるところでみられます。 築城に際してはお堀の代わりを
したこの川もS28には台風によって大変な被害をだしています。
御霊神社(ごりょう)のある公園は子供達からお年寄りまでいこいの広場になっています。 からくり時計の前に子供達が
集まっておおよろこびです。 ”シンボル時計”
明智光秀の霊を祀っている御霊神社には子供の遊びを禁止していました。
生前人々に慕われて居たものが冤罪(エンザイ)を蒙った様な場合に、その御霊を慰めようとした御霊社が各地にあり、
本社もその一例であります。 光秀も由良川の堤防、福知山城下町の功績、一方信長の逆心など・御霊を慰められます。
”敵は本能寺にあり”の口上のことが説明されています、いろいろなことがこの神社に託されている様子、
福知山のお守りでしょう。 歴史的なものより市民の憩いの場となっている様子でした。
梅が満開です。 ここにも治水神社があり由良川の氾濫、福知山盆地ならではのことでしょう。
福知山の近くの駅で”日本一低い分水嶺がある”との案内がありました。 地形的にも不利なことが、大変なことです。