白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(352)「王将」(4)1973年版

2019-07-01 11:56:39 | 思い出
「王将」(その4)1973年版

北條天皇(北条秀司)の「王将」は昭和22年新国劇で辰巳柳太郎主演で上演
これが評判を呼び翌23年大映にて阪妻(阪東妻三郎)主演 伊藤大輔監督で映画化 これまた大ヒット 
その後昭和30年 伊藤大輔は辰巳柳太郎,島田正吾ら新国劇メンバーを使い新東宝で「王将一代」を作った
(小春 田中絹代、玉江 木暮美千代)
 
昭和46年 西条八十作詞 船村徹作曲、村田英雄が歌った「王将」がヒットさせた

それにあやかって伊藤大輔は東映で三国連太郎主演で「王将」を監督した(昭和47年)、翌年「続、王将」を発表

 大映で大スターだった勝新太郎が裕次郎、三船敏郎らと同じように自らの制作会社(勝プロ)を立ち上げて久しい昭和58年 将棋好きの勝の企画で「王将」を製作する(配給は東宝)
今までの伊藤大輔色を一切外して東宝専属で黒沢明の弟子の堀川弘通を監督に笠原良三脚本で6度目の映画化 共演の玉緒さん曰く「キチンと台本通り喋り監督の言うことに一切従った」唯一の作品と言わしめた映画ある 
想像だが何年か先 勝が降板することになる黒沢の「影武者」の話が進んでいたかも?

さてYouTubeでこの作品を見つけたので早速観た
この映画は勝新太郎 中村玉緒という実際の夫婦に三吉、小春の夫婦愛を演じさせるのがセールスポイントになっている 果たしてこれが成功したか? 否、これが失敗だった
我々は小春の内助の功を見るにつれ 赤字会社勝プロを支える中村玉緒を観てしまう
小春が将棋狂いの三吉に理解を示すのに 映画狂いの勝新にダブってしまう

関根名人に黒沢の優等生 仲代達矢
長屋の隣のうどん屋の新吉には藤田まこと
ちょこっと審査長役に 村田英雄
掛け将棋の相手に懐かしい石浜裕次郎
後援者高浜にこれまた懐かしい谷口完
菊岡博士に永井達雄
小林東伯斉に佐々木孝丸

今年の巡業でご一緒した音無美紀子が三吉の娘玉江役で出ていたので 映画をみたこと 若き日の音無さんが綺麗だったことをラインで送ったら

きゃあ 懐かしい!!まだ21歳ですもの綺麗だったかも(笑い)
勝新太郎さんに将棋を教えてもらい 撮影の待ち時間にはいつも対局させて貰った思い出があります

との返事が来た
 
長屋の下を走る関西本線の汽車の煙を見たら狭い大阪三越劇場の舞台でけこみの後ろを這いつくばってスモークマシンを炊きながら匍匐前進したことを思い出した
南禅寺近くの旅館 座布団を並べる女中さん役の一人が上がってしまい何べんやっても出来なかったこと
新聞カメラマンがたくマグネシウムのライトがうまくいかなかったことなどが思い出される

ときおり映る「夜景に輝く通天閣」をみていたら北條天皇が「この通天閣は僕が子供の頃に見た通天閣とイメージが違う、気が乗らん 稽古中断!」と女優を連れてお茶に行き 照明のプランナーに「天皇は休憩がしたかったんだ このままで大丈夫」と言われ戻って来た天皇に本明かりでみせたら「これだよ これが昔見た通天閣だよ」と叫んだ 僕と照明さんは顔を見合わせて笑った

村田英雄の「王将」をテーマソングに使った歌謡映画だと思えば腹が立たないが
「小春の死」「銀が泣いている」まで細かく描いた割にはこのメンバーでこの出来だったら左程ヒットしてないなあ

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1 コメント

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Unknown (森田勇一郎)
2019-07-11 00:45:50
はじめまして。
森田勇一郎と申します。
偶然吉村様の記事を拝見しました。
私の祖父は奥田泰造と言います。
昔、東宝のテレビ事業部にいたそうで、
母から色々お話を聞いていました。

私が物心つく前に亡くなったそうで、
最後には舞台王将の仕事をしていたそうです。

この記事を拝見し、母にも読んでもらったところ、
懐かしい嬉しさと淋しさを言っております。

この記事を書いてくださり、ありがとうございました。
これからも、昔のお話を書いてくださるととても嬉しいです。
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