白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(353)高島家の少女A

2019-07-07 16:24:08 | 思い出
                          高島家の少女A       

 この6月26日 糖尿病、アルコール依存症、うつ病、果てはパーキンソン病までの病気と闘いながら高島忠夫は老衰の為自宅で死亡した 享年88歳

僕と同じ関学の先輩の映画俳優ということもあり興味を持っていたが 格別映画では代表作といったものもなくテレビの家族団らんだけが売り物のスターといったところか
息子たちも結婚が遅く兄政宏とシルビア・クラブの夫婦は子供がなく 弟の政伸のところにかろうじて孫が出来 86歳の遅いおじいちゃんになったのがせめての救いか

 東宝の銀幕スター高島忠夫とタカラジェンヌの寿美花代というビッグカップルが誕生したのは昭和38年 新婚旅行は当時としても珍しい「世界一周旅行」 世間は憧憬と好意を持って二人を祝福した

ここに1人の少女がいた 仮に名前をAと呼ぶことにしょう
Aは新潟佐渡の出身、農家の4人姉妹の末っ子で昭和38年地元の中学を卒業した
高校受験に失敗し上京、東京墨田区にある「三和化工」に就職、女工として働いていた
その会社に高島夫妻を良く知る人がいて 新婚旅行から帰ってきた夫妻がお手伝いを探していると聞き Aは彼に頼み込み 昭和38年の暮れ高島家の住み込み家政婦として就職する もともと芸能界に憧れを持っていたAは夫妻に良く尽くし 夫妻も年が若い(16歳)Aを可愛がった、、、、翌年長男道夫が生まれるまでは

 翌39年長男道夫が生まれたので高島家では道夫専属の看護婦Bを雇う Bは大学病院での勤務体験もあり給与はAの3倍と言われた その上ちょうど高島が芸術座での舞台出演がありAは付き人として舞台に付くことになったため ベテランの家政婦C(69)を新たに雇い家の中の仕切りはCに任すようになった 自分一人が夫婦に可愛がって貰っていると思っていたAは道夫が生まれてから疎まれているようになったと思うようになった
また夫妻はその年の8月また海外旅行に行くことが決まりBやCには「お土産は何がいい?」と言っていたが自分には何にも言って貰えなかったため不満がつのる

事件のあらまし
昭和39年8月24日未明 世田谷在住の俳優高島忠夫方より警察及び消防署へ「息子が風呂に沈められ 部屋が荒らされている」との連絡があった
調べによると同日午前2時頃 住み込みの家政婦Aが長男道夫5か月の姿が見当たらないと夫婦に連絡し ただちに夫婦とAはAが見たという怪しい男を家中探し廻った 部屋は物色された跡があり高島は鉄の棒を持って探した そして風呂場でキチンと蓋のしまった風呂桶に沈められている長男を発見、大騒ぎとなった 長男はただちに近くの病院へ輸送されたが既に心肺停止状態だった

Aが見たと言う怪しい男も誰も見たものがいず 長男の泣き声も聞いた者も居なかった
不審者が近づくと激しく吠える番犬が吠えていない 物色しているところを赤ん坊に観られたといって殺す必要がない、死体を湯舟に隠してキチンと蓋をする必要があるのか・・・など不審な点が多くAを問い詰めると自供した

自供によると 犯行当日食事の後片付けをした後午前1時過ぎに1人で風呂の入った
入浴後自室に戻ったところ隣の部屋から長男のぐずる声が聞こえたので入って行くと長男はAの足を掴むなどをしてきた Aはこの姿を可愛いと思い長男を抱き上げ 夕涼み目的で庭先に出て長男を抱いたままあやしたりしていた その後汚れた足を洗おうと長男を抱いたまま風呂場に戻ったが この時に
「この赤ん坊さえいなければ 高島夫婦の愛情は自分に戻るのではないか」
と考え 気が付いたら長男を湯舟に沈めていたという 長男は激しく咳き込んだがAはなおも湯中に抑えつけた このままでは犯行がバレると思い風呂から出て物とりの犯行と見せかける為 室内を物色されているように装ったという

事件翌日25日高島邸にて通夜が営まれ映画関係者や芸能人などが弔問に訪れた 祭壇にはわずか五か月の長男の笑顔の写真が置かれお気に入りだったろうヌイグルミが飾られ弔問客の涙を誘った

昭和40年東京地裁はAに懲役3年から5年の不定期刑という至って軽い量刑を言い渡した 出所後結婚して新たな生活を送っているらしい
一方寿美花代はトラウマで湯舟には入れずシャワーのみの入浴である

高島一家の不幸はこの様な哀しい過去があるにも関わらず 仲のいい夫婦でいつまでも明るい一家を演じなければならなかったことである

先に高島忠夫には代表作がないと書いたが長男と共演した1988年森田芳光監督の「かなしい色やねん」の老親分夕張の役は良かった









  

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