白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(252)「マキシーのために」

2017-08-11 10:41:28 | うた物語

    マキシーのために

関西の有名料理人の程一彦さんは関学の先輩(軽音楽部)だが芝居が好きだ 
僕は一度だけ平成13年お付き合いして「忠臣蔵外伝・大阪昆布屋物語」でお手伝いした その時小道具に使う昆布をお借りするため出演していた南条好輝に紹介してもらったのが天満にある老舗昆布屋の女主人だった (おぼろ昆布の削るカンナのような包丁や本物の大きな昆布を初めてみた) 話を伺っていたら後継ぎになるべき長男は東京の大学(早稲田)に進学 一番激しい頃の学生運動を経験して当然のように中退してそのまま東京で放送作家になった 僕も同じ経験がある 違うのはその弟さんは今や売れっ子作詞家の喜多條忠になっていたことだ 

さて読売新聞に連載の「時代の証言者」南こうせつの「青春のフォーク」によると「かぐや姫」時代にキャンペーンに文化放送にいくといつも逢う放送作家がいて これだけ書けるなら歌詞も書けるのでは?とお願いすると書いて来たのが「ピラニアのために」という歌詞だった そう僕には南こうせつがいなかったのだ
彼の友人の全共闘の女闘士をモデルに書いたものだそうだ 
機動隊に食らいついたら離れないので「ピラニア」というニックネームが付いた女性で1969 1・18東大安田講堂で最後まで戦った唯一の女性闘士として有名であった 彼女は釈放後自分たちは大衆に支持もされない存在であったことを悔やんで自殺する 
南によるとレコード会社はピラニアでは売れないと当時流行っていたマキシルックからマキシーに変更したらしいが別の喜多條が書いたものによると変更を命じられ変えるなら好きな浅川マキからマキシーとしたとある 浅川マキ懐かしいなあ
歌詞の中で睡眠薬を大量に飲んで自殺するという描写が放送禁止となり以降 仕方なくライブの楽曲の定番となる

マキシー それがお前のあだ名さ 
マキシー お前は馬鹿な女さ
マキシー 夢を見たことがあったろう
マキシー 二人で金を儲けて
青山にデッカイビルを建てて
おかしな連中 集めて
自由な自由な お城を造ろうと

マキシー 俺今真面目に働いてんだよ
マキシー 風の便りに聞いたけど
マキシー どうして自殺なんかしたのか
マキシー 睡眠薬を百錠も飲んでさ
渋谷まで一人で歩いていって
ネオンの坂道で 倒れたって
馬鹿な奴だったよ お前は最後まで

マキシー 俺は明日旅に出るぜ
マキシー お前のせいじゃないのさ
マキシー お前ほど遠くに行けないが
マキシー 一人旅には変わらないさ
悲しみを抱えたままで
夜空に光るお前の 星を探すまで
さようなら マキシー

そしてこの曲の小ヒットが次回作「神田川」の大ヒットにつながっていく そう喜多条忠は南こうせつが作ったのだ

南の文章の最後には「今でもライブでは人気曲でピラニアさんが自殺する哀しい曲なのにロックビートの激しい曲調に乗って お客は総立ちになります」とある


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