天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『散歩とカツ丼』亡くなる前日まで胃の負担になるカツ丼食べに通ったと著者批判は食物嗜好を貫いた荷風の証

2011-10-29 18:59:10 | 日記
今日の日記は、今読んでいる『散歩とカツ丼―’10年版ベスト・エッセイ集』(日本エッセイスト・クラブ編・文藝春秋2010年刊)に収録されている新井千裕著『散歩とカツ丼』のことです。
某書店でこの著書のタイトル”カツ丼”に惹かれて、私は今自宅で読んでいます。その著書の中のエッセイ『散歩とカツ丼』で、とても印象に残った記述がありました。以下に、その文章の一部を引用・掲載します。
『趣味は散歩である。千葉県に住んでいるが、近所に江戸川と並んで東京湾へ注ぐ川があり、岸辺をよく歩く。・・図書館から市の中心部へ向かうと、「荷風ノ散歩道」というのがある。・・帽子をかぶり、丸いメガネをかけた荷風のイラストを旗にして街灯に掲げているが、車1台がやっと通れる道幅なのに交通量が多い。・・当時の散歩道の風情など、かけらもないが、荷風が亡くなる前日までカツ丼を食べに通っていた店が現在も営業している。彼を偲んで訪れる客が多いのか、カツ丼の並に日本酒一合、上新香が付いた「永井荷風セット」を提供している。・・数ヶ月前に、そのカツ丼を食べたが、かなりのボリュームだった。荷風は胃潰瘍による吐血が原因で亡くなったらしいけれど、こんな胃の負担になるものを食べなければよかったのにと思ったものだ。カツ丼を食べてからは、荷風を味わいつくした気分になってしまい、以後、彼の本は読んでいない。(「本」四月号)』
私は、この新井千裕氏のエッセイを読んで、彼の”こんな胃の負担になるものを食べなければよかった”の指摘に強い異論があります。私の大好きな”カツ丼”を、短絡的に”胃の負担になるもの”と決め付けている彼の主張に、私は文句を言っているのではありません。食べ物の嗜好は、各人さまざまで批評することはまったく自由です。
ですが、それを好んで食べた文人に対して、”食べなければよかった”と注文を付け、その好物を食しその文人の作品までも”味わいつくした気分”と断定する作家・コピーライターの新井千裕氏に、文筆業の大先輩への”畏敬の念”を私はまったく感じないからです。
私は、作家永井荷風の作品を、残念ながら今まで読んでことはありません。しかし、私の受けた高等学校の「現代国語」授業で、日本人作家の読書評をクラス各人が発表する時間がありました。その時、国語好きのクラスメートが、永井荷風の作品『濹東綺譚』(1937年)を紹介していたので、私は永井荷風の作風はある程度知っています。
彼は、浅草の軽演劇やレビューを多く鑑賞し、劇場に出演している踊り子や劇場関係者と親交がありながら、文化人としての最高峰名誉・文化勲章を受章した大作家です。だから、一般庶民への暖かい眼差しと確固たる自身の食嗜好を亡くなる最後まで貫いた”証”が”亡くなる前日までカツ丼を食べに通っていた”と私は今思っています。
そして、今までまったく没交渉だったカツ丼が大好きだった永井荷風の作品を、これからは読んでみようと、私は今強く決意しています。さらに、私も荷風に見習って、大好きカツ丼を人生の最後まで愛好しようと再確認しました。
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