天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

他人に迷惑をかけないを道徳とす投稿者に同性愛者O・ワイルドを偉人とした『偉人たちのロンドン図鑑』捧ぐ

2011-12-12 18:44:51 | 日記
今日の日記は、イギリス旅行の勉強の為に、今読んでいる大塚勝弘著『偉人たちのロンドン図鑑』(2010年・新人物往来社刊)に掲載されている偉人、オスカー・ワイルドのことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
私はこの著書を読んでいて、著者が偉人とした人物で、その生きていた当時の道徳及び規範(法律を含む)から激しく糾弾された人物でも、現在はロンドンの街角にブルー・プラーク(注:建物の壁にはめこまれた青地の円形タイルに、白文字でその場所に歴史的著名人が住んでいた事を紹介したプレート)として、自身の名を後世を残っていることを知りました。
その人物とは、1892年に詩劇『サロメ』(私注:引退した某踊り子嬢の代表的演目だった)を発表しながら、母国イギリスでは上演禁止になった劇作家のオスカー・ワイルドです。以下に、その著書から彼を紹介した記述の一部を引用・掲載します。
『「人生最高の目的は感覚的な快楽にある」という人生観のワイルドは、41歳の時に、アルフレッド・ダグラスという16歳年下の青年と同性愛になった。当時のワイルドには、妻と二人の息子がいた。この時代のイギリスでは、同性愛はそれほど特異な関係には見られていなかったが(私注:著者のこの見解は間違いであると思う。イギリスの刑法では、1967年まで同性愛行為は完全な犯罪。自然にそむく行為と看做され、特に男性間のわいせつ行為・肛門性交は、完全に性犯罪として規定。)、なにしろ相手が悪かった。相手の父親が侯爵であったため、激怒したこの侯爵によって告訴され、1895年から2年間投獄されることになった。・・ロンドンでワイルドが住んだ家は、チェルシー地区、タイト・ストリート34番にあり、1階の壁にプラークが付けられている。この家は、ワイルドの栄光と転落の人生を感じさせない落ち着いた雰囲気である。』
このように、イギリスでは、現在はまったく合法的な存在である同性愛が、半世紀前までは道徳に反する犯罪行為だったのです。だから、このような道徳と呼ばれる社会的な規範は、絶対的な確固たる存在ではないのです。
そして、このような道徳の歴史的な変遷を、私の関係したネット掲示板に書込みした投稿客にも、私は良く知ってほしいです。その問題とする投稿を、以下に引用・掲載します。
・2011/12/11 23:05『今日のレスは、今私が読んでいる道徳の教科書に書いてあった「他人に迷惑をかけない」という一文から(中略)まったくもって周囲の迷惑をかえりみる事のできない一部迷惑客(筆者注:○○<私注:伏字にした>のおじさん)のために多くの一般客が迷惑をこうむり(中略)○○<私注:伏字にした・投稿文に書かれた私ではなく、告発文を送り付けた悪行客が主語>氏が(中略)快適な観劇が出来るようになったことを、勤務先の人事課に感謝したいです。』
この投稿文は、日本語として不備でまったく論評に値しないものですが、この投稿者が書いた”道徳の教科書”という絶対的な規範・ルールなどまったく存在しないのです。その顕著な実例が、オスカー・ワイルドの性犯罪です。
いわんや、「他人に迷惑をかけない」を、この投稿者は金科玉条に道徳項目にあげていますが、その迷惑の主体は、受け手(観客と主役の踊り子嬢)によって、まったく違います。主役の踊り子嬢には何ら迷惑行為でなくとも、より良い柔軟な思考を持てず、硬直化した独善的な応援教義を信奉する人間には、一方的な思い込みの感じ方により、まったくおかしな「迷惑」となるだけです。
だから、まったく身勝手な倫理観を振り回すこの投稿客に、私は劇作家オスカー・ワイルドを紹介した著書『偉人たちのロンドン図鑑』を是非読んでほしいです。
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