今日の続編日記は、8月8日から出かけてた私の香港・深圳・マカオ旅行の紀行記(13):深圳の中国民俗文化村の土産物屋で購入した中国扇子・その2のことです。
を買いました。添付した写真は、その購入した中国扇子裏面に書かれた中国の人生訓『莫生氣』です。この人生訓『莫生氣』(日本語訳:怒ることなかれ)には、以下の文章が、揮毫されていました。
人生就像一場戲(人生とは一幕の劇のようなもの)
因為有縁才相聚(縁があればこそ一緒になったのだ)
相扶到老不容易(互いに支え合って年老いていくのは容易でない)
是否更該去珍惜(だからこそ大切にしなくては)
為了小事發脾氣(些細なことで腹を立て)
回頭想想又何必(後で思い返せばそんな必要も無かったのに)
別人生氣我不氣(ひとが怒っても自分は腹を立てない)
氣出病來無人替(腹を立てて病気になっても誰も代わってはくれない)
我若氣死誰如意(もし私が怒り狂っても誰も気にかけない)
況且傷神又費力(その上傷つき無駄骨折るだけ)
鄰居親朋不要比(近所や知り合いと比べっこなし)
兒孫瑣事由他去(子供や孫のあれこれに口を挟むな)
吃苦享樂在一起(苦しみも喜びも分かち合い)
神仙羨慕好伴侶(神をも羨む良き伴侶)
この中国人生訓『莫生氣』と『百鶴図:石林作』は完全に表裏一体となって、購入した扇子は出来上がっていると、私は得心しました。この扇子を製作した中国人工匠は、「鶴は千年、亀は萬年」といわれるように長寿の鶴(百年の寿命)にあやかって『百鶴図:石林作』を表面に描きました。そして、その長寿を達成するためには、この『莫生氣(怒ることなかれ)』の人生訓を必ず守る必要があると説いているのです。だから、とてもこの扇子は土産物屋で扱う品物ではないと、私は思っています。
私は、独善的な劇場悪行客の理不尽な迫害にとても立腹し、日記でその怒りをいつもぶつけているばかりです。この私の行為に、扇子製作者は『莫生氣(怒ることなかれ)』の人生訓を見せて、今までの所業を悔い改めよと、私に忠告しているみたいです。
しかし、たとえ私の立腹した怒りの所業で、長寿にならず私の寿命が途中で縮んだとしても、私は本望です。だから、私は最後の最後まで、独善的な劇場悪行客と闘います。
を買いました。添付した写真は、その購入した中国扇子裏面に書かれた中国の人生訓『莫生氣』です。この人生訓『莫生氣』(日本語訳:怒ることなかれ)には、以下の文章が、揮毫されていました。
人生就像一場戲(人生とは一幕の劇のようなもの)
因為有縁才相聚(縁があればこそ一緒になったのだ)
相扶到老不容易(互いに支え合って年老いていくのは容易でない)
是否更該去珍惜(だからこそ大切にしなくては)
為了小事發脾氣(些細なことで腹を立て)
回頭想想又何必(後で思い返せばそんな必要も無かったのに)
別人生氣我不氣(ひとが怒っても自分は腹を立てない)
氣出病來無人替(腹を立てて病気になっても誰も代わってはくれない)
我若氣死誰如意(もし私が怒り狂っても誰も気にかけない)
況且傷神又費力(その上傷つき無駄骨折るだけ)
鄰居親朋不要比(近所や知り合いと比べっこなし)
兒孫瑣事由他去(子供や孫のあれこれに口を挟むな)
吃苦享樂在一起(苦しみも喜びも分かち合い)
神仙羨慕好伴侶(神をも羨む良き伴侶)
この中国人生訓『莫生氣』と『百鶴図:石林作』は完全に表裏一体となって、購入した扇子は出来上がっていると、私は得心しました。この扇子を製作した中国人工匠は、「鶴は千年、亀は萬年」といわれるように長寿の鶴(百年の寿命)にあやかって『百鶴図:石林作』を表面に描きました。そして、その長寿を達成するためには、この『莫生氣(怒ることなかれ)』の人生訓を必ず守る必要があると説いているのです。だから、とてもこの扇子は土産物屋で扱う品物ではないと、私は思っています。
私は、独善的な劇場悪行客の理不尽な迫害にとても立腹し、日記でその怒りをいつもぶつけているばかりです。この私の行為に、扇子製作者は『莫生氣(怒ることなかれ)』の人生訓を見せて、今までの所業を悔い改めよと、私に忠告しているみたいです。
しかし、たとえ私の立腹した怒りの所業で、長寿にならず私の寿命が途中で縮んだとしても、私は本望です。だから、私は最後の最後まで、独善的な劇場悪行客と闘います。