インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

現象と本質

2011-08-02 06:43:38 | 考えるインディオ
  台風以降、涼しくて過ごしやすいように感じる(朝だけか?)。何か書かねばと思いながら、書いたところでどうなると思いつつ、昨日の訪問者が190人もいれば、何か書くべきだろうと、キーボードを叩くのである。

 ブログだけでなく、映画にしても、小説にしても、細かく語らなくても相手には十分伝わる。日常では会話以外の態度やら行為が、大きな力を持ってくる。口先だけ良いことを言う人間はかえって信用ならなかったり、あんまり喋らない人間の方が奥が深かったりする。

 理性的に装っている人間も、案外、内部では混乱しまくっているものである。現代社会は「外観法理」であり、「見かけが金持ちだから、きっとカネがあるだろう」「家族もあり、収入も多いからきっと幸せなのだろう」とか、上辺だけで勝手に想像するわけで、実態はそう単純ではないだろう。

 中身が重要なのであるが、もっとも、価値判断は人それぞれだから、何とも言いようがない。そういえば、週末に、カスタネダをやはり読み返したわけであるが(∞の本質、呪術の実践、沈黙の力)、読めば読むほど奥が深く、引き込まれる。どれも同じような内容が書かれてあるのであるが、「人間にははかり知れない能力がある」というのに、それが全然眠ったままであるというのは興味深い。

 プライドを持ち、外観を整えることばかりにエネルギーを注ぎ、それを「意図」している結果、他の可能性が閉ざされているわけである。

 こうやってカタカタ打っている自分も、未だ意識を放棄しているわけではないから、まだまだ未熟なのである。体裁やら形式にとらわれている。もう少し意味不明な文章を書くぐらいがちょうどいいのかもしれない。明解であるというのは、何か浅いような気がする。

 世界経済が悪循環に陥ようが、苦しんでいる自分がそこに居ようが、

 そういった「動き」が、ただそこにあるだけ。淡々と眺められるようになれば、しめたものか。

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