『2005~2010 世界同時大恐慌』
~光は極東の日本から~
ラビ・バトラ著 ペマ・ギャルポ+藤原直哉 監訳
を買って読んでいる![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book_mov.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_4.gif)
それにしてもこの本、2005年出版だわい
(600円もした)
ちなみに、これまで参考にした本は『1995~2010 世界大恐慌』だった
(10年縮んでるぞ)
今回の本は、サブタイトルで「日本から光が見える」とあり、何か五島勉の『ノストラダムスの大予言』を髣髴させる。
本書によると、「日本こそ、プラウト主義経済導入の一番手候補であるとする」。ラビバトラがいうには、1950~1975年くらいまでは、日本はまさにプラウト的な経済政策を行っていたというのだ。それが「オイルショック以来、アメリカ式経営がもてはやされ、様相が変わった」のである。
ラビ・バトラは語る。
私は「東の国から良き理解者が現れる」という”神の啓示”を受け取った。
日本人は自分たちを無宗教というが、他の国から見て、これほど宗教的に見える国は少ない。一貫した宗教教育を受けることもなく、宗教的空気を当たり前のように感じている民族である。
さらにラビ・バトラは日本人=インディアンのような発言を、その章の冒頭で始める。
日本人は多神教の国と言われている。”八百万の神々”が支配している。その八百万の神々とは、自然の力そのものだ。太陽、月、森、水、岩…、全てが崇拝の対象となってきた。日本人はこれらの自然に感謝しながら生きてきた。
一方、一神教の世界では神は唯一絶対の存在であり、人間は下僕、鳥獣に至っては人間が煮るなど焼くなど自由にしてよい存在とされている。でも「八百万の神々」の世界では鳥だって神になりうるのである。
後は日本のほめ殺しのようになっている
(和の精神、農耕民族の精神、ムラ社会の精神…)。サーカー師も「プラウト経済は日本から生まれ、広がっていくだろう」と予言?しているようだ。
抽象的過ぎてよく分からない。日本の現状は、ただ周り、世間を見ながら動いているだけで、「渡る世間は鬼ばかり」になりつつあるような…。
日本人は「長いものには巻かれろ」「郷に入れば郷に従え」であり、プラウト経済を推進する信念のような政党や組織が存在するのか?
ラビ・バトラがいうには、
プラウトは、マネーが社会を支配するものではない。選挙や政治にマネーは必要なく、政府は障害者や高齢者を保護するべきであると教えている。また労働力の努力は認められ、逆に罪は罰せられるべきである。さらに富める者が法を利用するべきではない。就職は実力であって、コネや影響力でするものではない。最低賃金は、食料、医療、住宅、教育、保険など基本的なニーズを満たすまで上げるべきである。
プラウト主義においては、全て男女平等であり、男女の賃金も仕事の規制もなく、人権も守られる
このプラウト経済が樹立すれば、![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_en.gif)
となるだろう。
だが世の中、そんなに甘くはない。
鳥を殺さずして、カラ揚げは食べられない。皆がカラ揚げを諦めるのなら、別だが…。
それにしても、マネーが社会を支配しないなら、どんな社会か?
日本は法治国家だから、憲法が支配するのだろうが、それは堅固な資本主義社会があるが上の話で、下部構造が揺らげば、法律など…。
あり得るとしたら中東のようなイスラム国家だろうが、それについてラビ・バトラはこう語る。
日本列島は、世界で最も雨量の多い地域である。ということは、森の緑と天然の真水に恵まれているということになる。気候は温暖、しかも四季の変化があり、その移ろいはそれぞれえもいわれぬ味わいを持っている。こうした地域では人々は自然と共存できる。
しかしアラビアのような荒涼たる砂漠、その過酷な自然風土の中では、人々は自然の恵みを感じることが出来ない。そのため自然を超越する希望の光として、唯一絶対神を想像しなければならなかったのだ。そして神と人間が”契約”を結んだ。その点、日本では別に契約などしなくても、神々がいつも人々の身の回りにいてくれる…
まさしくその通りで、日本人がイスラム教に入信するのは、中東生活経験とかない限り無理である。その世界に溶け込めない。日本人の頭は神道であり、体は八百万の神々に溶け込んでいるのだ。
ということは、神道国家が成立すると言うことになる。
いや、事実上成立していて、「神道資本主義国家」なのかもしれない。
全体の秩序を維持するために、別の要素と結合することが必要で、その一つが天皇制だ。戦前のような、国家神道を中心とする武人政治にでもなるということなのか。
イヤです
(神政連の世界は、八百万の神々の世界ではありません)
そもそも、天皇は最高のシャーマンだったが、発言が全然できなくなったわけだ。それが撤回されて、プラウト経済を推進してもらうという手もあるが、取り巻きが政治をしそうな気もする(それが戦前だ)。
こうなったら解決策は一つしかない。
”全国霊能力大会”でも開催して、才能を発掘するのだ(自らは出場しないかもしれないが)。
全国に多数いるであろう、霊能力者・呪術師たちを集めて、社会のトップに君臨させるのだ。
マヤ王国のようなシャーマニズム国家になるかもしれないが…、それなら、本当に、革命的に世の中が変わるかもしれない。
~光は極東の日本から~
ラビ・バトラ著 ペマ・ギャルポ+藤原直哉 監訳
を買って読んでいる
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それにしてもこの本、2005年出版だわい
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ちなみに、これまで参考にした本は『1995~2010 世界大恐慌』だった
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今回の本は、サブタイトルで「日本から光が見える」とあり、何か五島勉の『ノストラダムスの大予言』を髣髴させる。
本書によると、「日本こそ、プラウト主義経済導入の一番手候補であるとする」。ラビバトラがいうには、1950~1975年くらいまでは、日本はまさにプラウト的な経済政策を行っていたというのだ。それが「オイルショック以来、アメリカ式経営がもてはやされ、様相が変わった」のである。
ラビ・バトラは語る。
私は「東の国から良き理解者が現れる」という”神の啓示”を受け取った。
日本人は自分たちを無宗教というが、他の国から見て、これほど宗教的に見える国は少ない。一貫した宗教教育を受けることもなく、宗教的空気を当たり前のように感じている民族である。
さらにラビ・バトラは日本人=インディアンのような発言を、その章の冒頭で始める。
日本人は多神教の国と言われている。”八百万の神々”が支配している。その八百万の神々とは、自然の力そのものだ。太陽、月、森、水、岩…、全てが崇拝の対象となってきた。日本人はこれらの自然に感謝しながら生きてきた。
一方、一神教の世界では神は唯一絶対の存在であり、人間は下僕、鳥獣に至っては人間が煮るなど焼くなど自由にしてよい存在とされている。でも「八百万の神々」の世界では鳥だって神になりうるのである。
後は日本のほめ殺しのようになっている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_8.gif)
抽象的過ぎてよく分からない。日本の現状は、ただ周り、世間を見ながら動いているだけで、「渡る世間は鬼ばかり」になりつつあるような…。
日本人は「長いものには巻かれろ」「郷に入れば郷に従え」であり、プラウト経済を推進する信念のような政党や組織が存在するのか?
ラビ・バトラがいうには、
プラウトは、マネーが社会を支配するものではない。選挙や政治にマネーは必要なく、政府は障害者や高齢者を保護するべきであると教えている。また労働力の努力は認められ、逆に罪は罰せられるべきである。さらに富める者が法を利用するべきではない。就職は実力であって、コネや影響力でするものではない。最低賃金は、食料、医療、住宅、教育、保険など基本的なニーズを満たすまで上げるべきである。
プラウト主義においては、全て男女平等であり、男女の賃金も仕事の規制もなく、人権も守られる
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このプラウト経済が樹立すれば、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_en.gif)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_en.gif)
だが世の中、そんなに甘くはない。
鳥を殺さずして、カラ揚げは食べられない。皆がカラ揚げを諦めるのなら、別だが…。
それにしても、マネーが社会を支配しないなら、どんな社会か?
日本は法治国家だから、憲法が支配するのだろうが、それは堅固な資本主義社会があるが上の話で、下部構造が揺らげば、法律など…。
あり得るとしたら中東のようなイスラム国家だろうが、それについてラビ・バトラはこう語る。
日本列島は、世界で最も雨量の多い地域である。ということは、森の緑と天然の真水に恵まれているということになる。気候は温暖、しかも四季の変化があり、その移ろいはそれぞれえもいわれぬ味わいを持っている。こうした地域では人々は自然と共存できる。
しかしアラビアのような荒涼たる砂漠、その過酷な自然風土の中では、人々は自然の恵みを感じることが出来ない。そのため自然を超越する希望の光として、唯一絶対神を想像しなければならなかったのだ。そして神と人間が”契約”を結んだ。その点、日本では別に契約などしなくても、神々がいつも人々の身の回りにいてくれる…
まさしくその通りで、日本人がイスラム教に入信するのは、中東生活経験とかない限り無理である。その世界に溶け込めない。日本人の頭は神道であり、体は八百万の神々に溶け込んでいるのだ。
ということは、神道国家が成立すると言うことになる。
いや、事実上成立していて、「神道資本主義国家」なのかもしれない。
全体の秩序を維持するために、別の要素と結合することが必要で、その一つが天皇制だ。戦前のような、国家神道を中心とする武人政治にでもなるということなのか。
イヤです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_uru.gif)
そもそも、天皇は最高のシャーマンだったが、発言が全然できなくなったわけだ。それが撤回されて、プラウト経済を推進してもらうという手もあるが、取り巻きが政治をしそうな気もする(それが戦前だ)。
こうなったら解決策は一つしかない。
”全国霊能力大会”でも開催して、才能を発掘するのだ(自らは出場しないかもしれないが)。
全国に多数いるであろう、霊能力者・呪術師たちを集めて、社会のトップに君臨させるのだ。
マヤ王国のようなシャーマニズム国家になるかもしれないが…、それなら、本当に、革命的に世の中が変わるかもしれない。
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