インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

農家の活路

2010-10-29 22:32:49 | 考えるインディオ
 最近思うに、農家は自分で営業したほうがいいような気がする。都会の(非農家の)人間とちょっとでも接点があれば、すぐに持って行ってくれるからだ。例えばこのブログでも、米が欲しいと思っている方がいらっしゃるかもしれないが、たぶん、提示する条件なら即買うと思われる(しかし物体が重たいので、関東とかまで運送料がかなりかかり、大問題となる)。基本は自分で持っていける範囲か。

 あまりやりすぎると、所得隠しとかになるが?、米農家の悲惨な状況からして皆色んな所でやっているのではないか(知り合いの伝とかで)。

 米は誰でも売れる。営業テクニックなど必要ない。そもそも営業というのは、スーパーとか小売に置いて売れないものを、人間を雇ったりテレビとかで宣伝して必要性を作り働きかけるわけであって、米は妥当な値段で置いていれば人々は勝手に買っていくわけである。

 「車の中に実家の米が○○キロ置いてありますよ」とちょこっと語るだけで、非農家は大いに関心を持つ(特に一日一升炊く主婦とか)。あとは値段という壁があるわけであるが、(激安でない)スーパーと同じくらいにすれば別に問題はないだろう(何か余っている野菜でも付け足せば相手も喜ぶ)。あんまり儲けようとは思っていないし、まあ、サウナ代でも稼ぐって感じか(?)。

 やはり農家も自分が作った米を、満足して食べてくれる姿を見たいわけで、「よし、来年も作るか!」っていう気になるだろう。ただ出荷してJAに委ねるというのでは、実感が湧かない。同じ米を食べていると、生き物と生き物がつながっているという感じがするし。

 問題は都会人と農家の接点(交流)がほとんどないということか。売ろうにも相手が全く分からないし、買おうにも相手が全く分からない。ただ何でも良いから色んな所に顔を出し、話しかけていると、見つかるであろう。

 中でも都会では圧倒的に非農家が多いので、都会に勤めている子供やら兄弟がいるなら、代理で彼らに売ってもらうのが一番いいのだろうと思う(まさに自分がコレ)。田舎者とはいえ、米ぐらいさばけないようでは今の厳しい世の中を生き抜くことは難しいのでは(極論すれば、自分が売れなくても米は売れる…)

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