インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

破獄

2010-11-02 20:51:12 | 考えるインディオ
  宙に浮く夢を読み返して(めったにないが)、やはり吉村昭『破獄』を読了した影響が出ていたように思われた。我々は囚人ではないし、自由に行動できる。今、眠ろうが、ブログを書こうが、テレビをつけようが、自分で考えて選択できる。考えようによっては、明日、仕事に行かなくても良い。

 何年、いや何十年も同じ職場に通うようになると、もはやそれは習性となり、当たり前で疑う余地がなくなる。毎月の収入と一定の休日が得られれば満足、仕事も覚えたし、仲間も大勢いる。もしこれらが切られれば一体どうなるのか…、不安になるので考えない。

 誰もが当たり前の日常をつくり、それを維持しようとすることによって世界はバランスが取れて安定し、当たり前の日常が再び生まれる。

 当たり前の日常は、かなりひび割れている。1980年代の日本と違い、2010年の今では大勢の人が自分の仕事を辞めたいと思っている。思ってはいるが、なかなか踏み出せないのは、何か良い所があるから、他に転職先がないから、家族から制止されるから、と事情は色々あるが、会社が潰れたり客がいなくなれば、自分の仕事を手放さざるを得ない。

 そんな場合でも人は自由に行動できる。気づいていないだけで、選択肢は無数にある。そこに至るまでのヒントも、日常生活で無数にあるわけで、それはある日突然わかるわけでもない。分かった人間は、自分から辞めて、積極的に行動するだろうし、それは受身ではないだろう。

 ある意味、それは脱獄方法を考えていた囚人に似ている。もう逃げられないと諦めて模範囚になり、看守に上がっていくか、脱獄して別の世界を目の当たりにするか(食っていけないので再び戻るか)。

 インディオなるも、かなりの脱獄犯なのであったわい(自由になりたい)
 そこで小説を書いて脱獄を試みていたのですね(あんなものではすぐに戻されます)
 

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