インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

チャクラ開発か、宗教的瞑想か

2009-04-02 20:49:00 | レイキ、サネヤ・ロウマン
 毎日寝る前に、我流の瞑想をしているが、昨夜、強い白い光を感じて立ち眩みがし、死ぬかと思った。

  クンダリーニ症候群

 たかが瞑想とはいえ、一応、大地のエネルギーを自分の身体を媒介として宇宙の彼方へ押し上げるようイメージしているから、インドのヨガに近いのかもしれない。

 精巣・卵巣にあるエネルギーの源が「ムラダーラ・チャクラ」で、この性ホルモンが、脳下垂体にある第三の眼が「アジナー・チャクラ」やら甲状腺とか副腎とかのホルモン(それぞれチャクラ名称がある)を刺激して、超能力を開発するらしいが、現実はもっと総合的で、掴みどころがないような気もする。

 クンダリーニとチャクラ


 大体、邪心のない高次の霊と出会おうとする人間が、

 超能力を身につけよう(テレパシーで商売しよう)

 …という心境で瞑想しても、何か矛盾しているし、ハイアーセルフと合流できないような気もする。

 ネットサーフィンしていたら、スピリチュアリズムにおける瞑想と祈りを発見した。

 現実にはクンダリーニが上昇して覚醒するのではありません。霊的エネルギーが満たされ、霊主肉従の状態になって、それがさらに進んで霊的意識が大きくなるのです。…サイキック能力が得られたことが、魂の成長の証ではありません。

 なるほど、と思う。

 ヨガの知識と技術によってクンダリーニを昇華させることと、瞑想によってより高い自我と一致しようとすることは、似ているようで、違うのだろう。

 クンダリーニ昇華でも、求めているものが善であり、光であれば、行き着くところは、サネヤ・ロウマンの愛の世界かも

 瞑想する上で、善なる光を求めるか、そうでないかは決定的かもしれない。

 「あらゆる存在が神である」というのは賛成するが(インディオ世界だ)、やはり神として認めるのは光でないとヤバイというのは事実だろう(違うか?)

 また、「神は存在しない」と考える人間が、深い瞑想をし、クンダリーニ昇華をするというのも、危険なように思える。

 キリストにしても、アッラーにしても、仏陀にしても、ハイアーセルフの延長上にある光として拝んで瞑想するのが、一番いいのかもしれない。



 

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