インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

固定観念の打破 ★車と『THE ROAD』★

2011-05-07 15:15:25 | 考えるインディオ
  地方都市に住んでいると(?)車が必需品で、さっき税金(4月1日のやつ。7200円)を払ったが、先週はバッテリー交換もしたし(車内で聴き過ぎか?)、何かとカネがかかる(ガソリンに保険に駐車料…)。「馬鹿な、何てことを言う!」と思われそうだが、本当に賢い人間は、できるだけ車を持たず(レンタカーとか使用)、車が要らないような生活スタイルを選ぶのではないか。

 原始の状態の思考(本来のブログの趣か?)から考えると、別に人間は車を養うために生きているのではない。車は人間を仕事場やら観光地やら店とかに運ぶけれど、人間を型にはめるための強固な道具でもあるような気がする。行動範囲が広がり、楽になるから、すぐ動く。徒歩とか自転車で距離があると、「面倒だなあ」といろいろ考え、行動を変えたりする(だからフリーが多そうだ)。ひたすらアメリカのTVドラマを永遠と観ているような状態だろう(実際に今、『フラッシュフォアード』を観ている)。気が付いていたら人生が終わっていた、って感じか。

  車に乗ると、空を眺めたり、裏道をじっくり観察したりすることはない。

  


  たぶん「野宿野郎」とか車など必要としていないだろうし(?)、車どころか、こんなパソコンすらうっとおしいように思えるのかもしれない。ブログを書くといっても、無数にいる人間の中で各自、好き勝手にそれぞれ妄想、幻想を書いているだけであって、第三者からすれば、そんなことはどうでもいいのである。「あなたはあなた、わたしはわたし…」頭の中はバラバラであるが、肉体的同一、カネを中心とした欲望的なメカニズムが、ただ秩序を作っているのである。

 世の中何でもありであり、その実相は、原始時代から何も変わってはいない。津波被害やら放射能汚染やら、安全の保障がなくなり、ろくでもない状態(?)になった時、車社会が幻想であることに気づくようになるに違いない。我が輩は、シャーマニズムな?書物とかいろいろ取り上げ、おかしいと思われているかもしれないが(?)、だからといって、人間の理性的な判断も、間違いだらけである。

 そういえば、アメリカのTVドラマでもサバイバルものが多く、『ジェリコ』(3月6日『ジェリコ』の世界)、『生存者たち』(6巻までみた)、『LOST』とかもそうか。そういえば、深夜、『THE ROAD』というとんでもない映画をみた。冒頭から野宿野郎の世界で、地球的災害の中、父と息子が買い物カートを押しながら、食べ物を探しながら、海へと向かう。人喰い集団から逃れ、海岸へ着いたが、やはり希望はなかった(何て映画だ!)。そして、松本清張の『砂の器』で山陰を旅する親子が永遠に続く感じで、最後は父親が死に、息子が一人残される(どうやって生きていくのですか)

 そこへ若い兄ちゃんがやってきた(おっ、子供がいるぞ)

 パパがこれを離すなって(僕を食べないでください)

 銃をおろして(一緒に来るか、死体と一緒にいるか)

 良い人だっていう証拠は?(散々だまされました)

 ない。それは賭けだ(向こうに子供がいるよ)

 家族の一員にしたところで、物語は終わる。無理やりEND。

  信じるか、疑うか。
 
 信じるということは、命を託すことなのかもしれない(大げさか)。 

 
 
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿