インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

本棚の整理

2011-09-04 22:43:38 | 身の回り
   中国地方を台風がゆっくりと横断したが、広島はあんまり被害に遭っていないようだ(?)。むしろ隣の岡山が酷かったようで(鳥取界隈も)、笠岡市の知り合い曰く、「凄かった。道路に土砂崩れが起きていた」ようだ。瀬戸内海の島(しまなみ海道)とかも、そんなに恐ろしい目に合っていなかったようで(?)、台風は左側(関西・東海)の方が威力が強いのかも。

 日常生活ではあんまりストレスがないので、酒を飲む気も起きないが、実家の本棚を整理したりしていると、いろいろ出てきて、「作家になり印税生活をもくろんでいた時期」を思い出したりする(胸が痛い)。小説とかは、結局ネットとかで公開しているのだが、単なる自己満足に過ぎず、今書くなら、もっとレベルが高いのが書けるのではと、原稿用紙に活字を埋めたすることもある(ワープロは推敲で使うべきかと)。40枚ぐらいでペンを止め、自分では面白くても「果たしてこんなのが…」という、冷めた眼差しになってくるわけだ。

 まあ、所詮、このブログを書くのと同じで、「物書きゲーム」の一種で、書いてみなければわからないから書いてみるまでで、それが読まれるかどうかは、それほど深く考慮していない。物事はやる前からすでに決まっている(そういえば、「やる前から結果は分かる」なる記事を書いた)わけで、最初に相当戦略を練っていないと、小説など書くだけ無駄である。ただ、一方で、「書いてみなければ分からない」というような面も、物書きゲームにはあるわけだ。自分でも、「え? こうなるのか…」と、自分で自分が驚くぐらいでないと、決して他人も驚かないように思われる。

 そもそも人間の理性で考えられることぐらい、別の人間も考えているわけである。頭のいい人ならば、なおさらである。そんな人々を仰天させるには、理性を超えたような、得体の知れないパワーが必要で、ある意味、カスタネダの本とかがそれである。これまで自分が真実だ(当然だ)と思っていたものが、「ひょっとして、全然違うのかもしれない」と感じさせるような、そんな文章が上手い具合に物語となり、編集されていれば、物書きゲームはハイスコアを与えられて良かろう(出版化される価値もある)。

 ただ書き手の押しつけであってはならず、リアルな人間の行動からじわじわ来るようなものでなければならず、やはりこれは技術が問われるのか。

 集めた本を選別していると(封印したり、配置換えしたり)、何か自分の脳ミソをかき回しているような変な気分になり、妙な夢も見るし、小説を書く意欲が湧いたりするし、何か時間が遡ってしまったような気さえする。

 反復することで、意識は揺らぐのか(集合点の移動か?)

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