インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

3月半ば、見知らぬ味

2015-03-15 19:46:33 | 身の回り
  雅太は昨夜今日と、温泉やら買い物で散財し、冷蔵庫にあるものを利用して、夕食をこしらえる。じゃがいもに玉ねぎ、白菜に、平飼いの卵、割引の神石牛の少々あった。早速刻んで、鍋を作るもの、味ポン肉じゃがでは芸がない。そこで、「行列ができる博多ラーメン」の残った液体スープを入れてみることにした。

 こんな脂っこいものを入れて大丈夫なのだろうかと思いつつ、体に脂肪がついていないからいいだろうと、ヤケクソで入れてみる。なかなか複雑な味で食べたことがない。お代わりをしたということは美味かったのかもしれぬ。ただ、バカなことをした、味ポンの方が美味かったのではないか、という後悔も残る。

 先週は虫歯の親知らずを抜き、ようやく冷たいものを口に入れることができるようになった。怪しげな小説も快調に進み、今回はいい線を言っているのではないか、と思うも、世の中には凄い本がゴロゴロ転がっていて、それであんまし売れないわけである。最近、『見知らぬ心臓』なんてフランスのノンフィクションを読んでいるが、これも摩訶不思議な実体験、書いて人に伝えるべき面白い内容であろう。

 雅太自身も面白いから書くのであるが、読み手にとって面白いとは限らぬ。役に立つか、感動するか。面白いというのは当てはまるが、それだけでは空回りする。説得力を持つためには、読んでいる間に、不思議なことがバンバン起きるぐらいでないと、ダメなのだろう。著者からすれば、書いている間に。

 ここまで書いたとき、雅太の腹は、濃い脂分のためか、異様なものを食べたせいか、何か重苦しい感じがしたのであった。

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