インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

客観的事実は存在するのか?

2011-09-06 06:31:48 | 潜在意識の世界
 台風がゆっくりすぎて、紀伊半島は大事になったようだ。ウバメガシ(炭焼き)やら熊野古道が頭に浮かぶが、道は寸断され熊野神社は埋まり、世界遺産が危機的状況に陥ったようである。伊勢神宮へとつながる日本の最強パワースポットであるため、何か暗示めいたものを感じる。

 地球の温暖化とかで、台風がコースを変えただけであると(偶然と)見なすことも出来るが、大自然の何かが意図的に作用したといえるかもしれない。人間が世界遺産だと烙印したものなど、自然現象によって簡単に崩壊するのである。

 最近よく考えるのであるが、「客観的事実など存在しない」とカスタネダの本で語られるように、世界にはただ自分の意識しか存在しないのかもしれない。もちろん、自分が死のうが、いや生まれる前から、物質、客観的事実は存在していたのであろうが、知覚主体が存在していなければ、実は存在していないのかもしれない。

 鋼鉄とか硬い物質は存在しているのであるが、それは人間にとってであり、このパソコンとて、人間がいなければ何の意味もなさず、もし、我が輩に興味がなければ、そこらに転がっている岩と同じである。ブログもまさにそうで、アクセスしようとしなければ、存在しているけれども、実際は存在しないのである。

 自分という存在が投げ出され、ただ自分に縁があった対象だけを知覚している。「気づき」のレベルが、その人間の意識レベルを決定するのか。確かにいろいろ気づく人間は意識が高い。

 ただ実際は奥が深く?、気づいていても気づかなかったふりをしたり(タヌキだ)、気づいても行動しなかったり(意味がないか)、安定を保つために気づくのを止めようとしたりする。

 戦前のように周囲が大東亜共栄圏であれば、「本当はおかしいのではないか」と気づいていても、そう志向するわけで、今の日本社会、資本主義とかも、実はそうなのであろう。

 大勢が意識するから、客観的事実のような世界が出来上がり、自分もそれに浸るというのが本当ではなかろうか。

 台風で大災害があったのは事実であるが、それをマスコミが詳しく報道しなければ、自分はその事実を意識することはないから、当事者以外には存在しない事実である。

 死とてそうだ。実際には存在しないのかもしれない。

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