インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

古代マヤの自己供儀

2008-10-12 21:36:02 | 思想・宗教
 『マネー神の崇拝』は資本主義経済の世界観を、古代アメリカの世界観でRIMX?したような感じになっているが(逆か?)、金が万能な物質となっている現代では、何かしら共通するものを感じる。金のために献血するなら、もはや血は金と同一視されているとっても過言ではない。

 そう考えると、お金を寄付するというのは「自己供儀」のような気もする。

 そこで資料で調べると、
「死に至らしめる儀式を行って、人間や動物を生贄にするばかりでなく、マヤの人々は自己供儀(儀式的な自傷行為)も実践していた。この行為を表すために、とくに二つの文字が使われていた。そのうちひとつは文字通り「放血」を意味している。自己供儀を行うのは、神官や高官などの特権階級に限られていた。
 レリーフに刻まれたテキストによると、自己供儀の際には、王や王妃は、香、荒々しい踊り、薬物などで朦朧とした状態になった上で、自らの血を流したという。
 男性が自己供儀を行う場合は、鋭利な黒曜石の刃、または植物の棘で自分の男根を突き刺して穴を穿ち、その穴にわらを通した。女性はこれと同じことを舌か唇に行った。体の特定の部分(特に性器)から流された血は、土に栄養を与え、豊穣ととうもろこしの方策をうながすと信じられていたのである。
 自己釘を行っている間に王や王妃はトランス状態に陥って幻覚を見る。幻覚に現れるのは、流された血のシンボルとされた「聖なる蛇」だった。マヤの宇宙観では、この原始の蛇を仲介として、人間は天界や地下にある冥界(シバルバ)と交信できるとされた……『マヤ文字辞典』より」とある。

 単なるマゾヒストだといえばそれまでだが、「放血すること」=「聖なる蛇」として神々と交流することと考えていた…。

 ということは、(やはり)神々に血を捧げることによって、部族社会を守ろうとと考えていたのか。

 大体、権力者なんて、血を流す必要なんて全くないはず。

 国民から税を吸い上げ、贅沢三昧で暮らす王様が多い中、マヤの王族には感心せざるを得ない。

 捕虜を生贄を捧げるというのは許しがたいが、神々に捧げるという確固たる世界観が出来ていたのであるから仕方なかったのだろう。捕虜も納得していたといわれる(しかし実際は…)

 今の世の中でも、ニュースに取り上げられないだけで、実際は恐ろしい出来事??が黙々と行われている(推測)。借金のかたに保険金やら内臓がやり取りされていても不思議ではない。
 自殺者3万人の世の中。ほとんどの原因はお金か?
 金との交換で、たくさんの血が流れている。

 魚や牛だって、金と引き換えで殺されてしまう。

 書いていることが分からなくなったが、

  血は金と変わらないということか?(金の亡者の思想…

 
    
 

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